濃厚接触者になる

 先日のことだが、思いがけず濃厚接触者という立場を経験した。

 不特定多数の人が集まる打ち合わせに参加した折、その中の一人が数日後に新型コロナの感染が分かり、芋づる式に私のところにも保健所から連絡が来た。(こういう場合は自費ではなく、公費でPCR検査を受けることにる。)

会合のあった日は飲食も行われた。比較的長い時間、感染者と同じ部屋で会話をしていても濃厚感染者とはならないが、感染者と同じ皿から食べ物を食べた場合、濃厚接触者と認定されるようである。

 私が受けたPCR検査は市の保健所に午後3時〜4時までの間に検査キットを取りに行き、翌日の朝一番の唾液を採取して朝9時半〜10時までの間に窓口に提出するというものだった。係員が一人で対応してくれる。大変ストレスのかかる仕事である。
 
 私の場合は自宅から歩いて行ける場所に保健所があったため歩いて行ったが、特に電車やバスなどの公共交通機関を使わないように、とは言われなかった。具合が悪く歩けない人はどうするのだろう?

 翌日の夜7時頃、保健所から電話があり、陰性とのこと。

 仕事先の施設が私のPCR検査の結果待ちで休業してくれていたこともあり、ほっと胸を撫で下ろした。即刻連絡を入れ、翌日から事業再開されることとなり、とりあえずは一安心、ほっと胸を撫で下ろした。

 今回、濃厚接触当事者を経験することで、PCR検査について、感染症というものについて改めて勉強せざるを得なくなり、その意味では良い経験だった。
 PCR検査というもの一つとってみても、あまりにも様々な立場の人たちがいる。
ともすると見解の違いから対立を生みやすいが、反対にきめ細やかな対話が生まれる機会とすることもできる。気を付けていたとしても、おそらく今後もこういうことが増えてくるだろう。
その時々の状況の中で最善のコミュニケーションが取れるようにしていきたい。

マクドナルドの創業者とは?『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』

 「楽しい楽しいマクドナルドのお話を見終わったあとはマクドナルドに行きたくなる!」誰もがそういう作品だと思うはず。しかしまったく予想を裏切る展開が待っています。

 隠された創業秘話

 原題の”The Founder”とは「創業者」の意。1948年、モーリス・マックとリチャードのマクドナルド兄弟はファーストフード店マクドナルドを創業しました。三十秒でハンバーガーを提供するシステムを考案し、米カリフォルニア州サンバーナディーノに第一店舗を構えます。
 そんな折、調理機器のセールスマンとして全米を駆け回るレイ・クロックが現れます。レイは野心が強く、目的のためならどんなに汚いことでもポジティブシンキングという名の元にやってのける人物。彼は後に法律的な意味でのマクドナルドの「創業者」となります。マクドナルド兄弟は店名を商標登録していなかったため、クロックに店と全国フランチャイズの権利を乗っ取られてしまうのです。

効率化を計りながらも質を落とさず丁寧な商品作りに勤しんでいたマクドナルド兄弟は、利益追求型の新自由主義時代の到来に為す術がありません。

正義は勝たない?!

 正直で誠実な態度は市場原理主義に反します。正直ではいけないのです。積極的に人を騙し、自分と、自分の周囲にいる、自分にのみ富をもたらす少数のビジネスパートナーに富を分配することだけが最優先事項なのです。なるほど私たちが普段利用しているマクドナルドにこんな創業秘話があったとは。
 

 

 二人で立ち上げた夢の事業を乗っ取られ、追い詰められていくマクドナルド兄弟を見ていると本当に嫌な気持ちになります。
 しかし乗っ取った側のレイ・クロックからすれば、片田舎の小さな店を全国展開のみならず世界市場に押し上げた自分の功績は讃えられて良いものだという思いのみしかありません。実際このような態度を是とする層も多く、この映画の評価は二つに分かれています。

マクドナルド社はこの映画に出資したのか?

 どう見てもマクドナルドに資する内容ではない本作ですが、そういう作品も大スターを起用し、商業的利益を上げるパッケージ商品として世に放つことができます。
 米国にはフェアユース法というものがあり批評者が守られるという仕組みがあります。また市場経済の為せる技でもあります。充分な興行収入が見込めるのであれば製作側は利害関係を考慮した上でゴーサインを出す。だからマクドナルドの出資なしにこのような作品が存在できるのです。私たちが生活している社会そのものが今やレイ・クロックの申し子であると言えるでしょう。

 権利を守りもし剥奪しもする。これもアメリカ、それもアメリカというわけです。さまざまな意味でアメリカとは興味の尽きない国です。

 この映画の中で自分たちの夢を踏みつぶされたマクドナルド兄弟の姿。それは資本主義社会の中で徐々に行き場を失っていく私達の姿にほかなりません。世界で最も裕福な資本家26人の富は、貧困層38億人(世界の総人口の半分)の総資産額と同額だということです。今はコロナ禍中ですが、閉店する個人店を見る度にそのことがよみがえってきます。


 

『行き止まりの世界に生まれて』イマジネーションで虹をかける

原題は「minding the gap」( 段差を意識しろ)スケボーをやっているときに段差(ギャップ)に気をつけないと転んでしまう。普通に歩いている時も「段差に気をつけて!」と使われる言葉だ。

『行き止まりの世界に生まれて』(2018) は1989年生まれのビン・リュー監督のドキュメンタリー作品。米イリノイ州ロックフォードで過ごしたスケートボード仲間たちとの一時期を数年間にわたって撮影した膨大なフィルムからこの作品を作り出した。

 物語の主人公であるビンは幼少時に継父から受けた凄惨な暴力、そしてそれを見てみぬふりをしていた母へのどうしようもない怒りを心の奥に抱えていた。
 同じ年に作られたジョナ・ヒルの『mid90s ミッドナインティーズ』では分からなかったある疑問。なぜそのような悲惨な境遇にある若者がスケートボードという文化に救われるのか?それが『行き止まりの世界に生まれて』で明らかになった。
 
 この物語(ドキュメンタリー作品であるがあえて物語とする)の主人公の一人でもあり、撮影者、作品の編集者・監督でもあるビン・リュー。彼がインタヴューで語っているのは、傷つき、自己にも他者にも破壊的な感情を抑えられなくなってしまった時、スケートボードをすることでその感情を癒すことができるということだ。

「スケートボードをするときには全身全霊で意識を集中させなければコケてしまう。」

 破壊的な衝動はスケボーでハードなプレイを行うことによって昇華できるという。悲惨な環境に持っていかれそうな自分の意識を、段差(ギャップ)に集中することで、悪夢から逃れる方法がスケボーをすることなのだ。
無論その方法はスケボーに限られることではなく、その人の置かれている状況によって千差万別だ。全ての追っ手から逃れて自分自身でいられる聖域が、彼にとってはスケートボードを介するコミュニティだった。

「スケボーは動く瞑想のようなもの」とビン・リューは言う。
それは肉体から感情というクラウドを引き剥がす行為でもある。
設定するギャップは細かく精緻なものから大胆に切り立ったものまで多岐にわたっている方が良い。細部の感覚を使ってそれらに意識を向けていくうちに、いつの間にか虹のかかった場所にでている。主人公たちがスケボーで滑走するシーンにはそんな奇跡のような美しさが写っている。そしてこの映像がドキュメンタリー作品であるということの奇跡もそれ故である。

連鎖する暴力

 三人の主人公のうち、ザックは仲間内のリーダー。男らしく、憧れられる存在だが恋人のニナに暴力を振るっている。

 黒人のキアーは柔和な青年だが時々怒りに任せてスケートボードを破壊する一面がある。幼少時、父親に暴力を振るわれていたが、大人になるにつれてそれが白人社会で生き抜くための父の愛ゆえの行為であったことに気づいていく。

 ザックの恋人ニナは暴力を振るわれながらもザックからの愛を期待してしまい、ザックと対決することから逃げてしまう。

 作品はこの三人の数年間を、撮影者であるビンが追うかたちで進んでいく。やがて、母の見えないところで凄惨な暴力を振るっていたビンの継父、暴力を受け続け、誰にも助けてもらえなかった自分(ビン)自身、暴力の連鎖を断ち切ることのできる存在であったにもかかわらず、それをしなかったビンの母親の姿がこの三人のキャラクターと重なりあらわになっていく。

 自身も暴力を受けながらビンの母親は父親を庇う。「あの人が本当にひどい人だとは思えない。」継父から暴力を受け、本来自分を救ってくれるはずの母親からも見放され、ビンは自分というものが分からなくなっていく。母親はかたちだけだとしても夢見た家庭を失いたくない、孤独になりたくない。その気持ちをくむとビンはさらに何も言えなくなる。母親は子供を連れて家を出るほど強くない。ザックの恋人ニナも同様だ。

 ザックは子育てやニナとの関係から、撮影者としてのビンの視線からも逃げ続ける。しかしザックにも暴力を日常的に受けていた過去があり、知らずしてそれを繰り返している自分を責めていた。いつもお洒落でかっこよく、リーダー格のザックが見せるあまりにも痛ましい表情。

 撮影者であるビンは、いつもカメラを通して見ている。ときには自分にもカメラを向け、母親になぜ自分を見捨てたのかと問う。母とニナが重なる。

イマジネーションによって暴力の連鎖を断ち切る

「スケボーの技を習得する時、それが自分にできると信じなければ絶対にできない。」とビン・リューは言う。作品も同様にできると信じなければ完成しない。数年間に渡る膨大な撮影フィルムの中から、この三人の物語を紡ぎ出すにはとてつもない長い時間を要することは想像に難くない。作品のホームページを読むと、どうやら監督のビン・リューは出演者のキアーやザックと特に同時代を過ごしたわけではないらしい。自分のプロジェクトの被写体として出会ったようだ。脚色・編集の怜悧さに喜んで騙されたい。

「生まれ変わってもまた黒人に生まれたい。なぜなら俺たちはいつでも何かに立ち向かっているからだ。だから白人がキツいと思っているようなことでも俺たちにとってはへっちゃらなんだ。」
 
 キアーが父親に暴力を震われていたのは黒人に対して厳しい社会で息子が生きていけるようにとの愛からだった。その言葉は被虐待者としてのビンにも響く。

 父への複雑な思いから墓前に赴くことのできなかったキアーは、初めて訪れる墓所で父の墓を見つけられない。「父さんの墓を見つけることができたら今日は最高の日なのになあ」 やがて見つかった墓の前でキアーは自分でもどうしていいか分からないほど止めどないない涙を流す。

 キアーは次第に被虐待者から愛される存在へと変わっていく。そして観察者としてキアーの体験を共有するビンも連鎖的に変化していく。

 物語は愛された者として旅立っていくキアーの姿で終わる。キアーは希望の象徴としてロックフォードを出発する。

 このドキュメンタリー映画の出演者たちが、自分と同じ時代に生きていると言うことが自分を励ます。一すじの希望の光のような存在感を放つ自分にとって特別な作品だ。

『ビーチ・バム まじめに不真面目 』 ハードボイルドなタイピスト

 ハーモニー・コリンの『ビーチ・バム まじめに不真面目』が本日(5月20日)で都内上映打ち切りということをTwitterで知り、急遽予定を変更して立川まで行ってきた。予想以上に下品であけすけ描写が多かったけど、全体的に抑えた演出でハーモニー・コリンは本当に巨匠になったんだ…と同世代の者としては感慨深かった。

 主人公のムーンドッグはずっと遊んでいるけど全く遊んでいるように見えない。ここまで徹底して遊ぶというのは楽しいはずはなく、むしろ大変だと思うし、仕事(詩作)をめちゃくちゃしている。遊んでいるのか仕事をしているのか分からない。ここまでいくと人間を超えた存在なので善悪の区別も彼には適用されない。感情にも比較的しばられない、そういう意味で自由だ。マリファナを吸ったりずっとビールを飲んだりすることが自由かというとそうではない。

 ストーリーはシンプルでどんでん返しとか全くないが、こういう内容を描く場合はむしろこれでいいのだ。骨太のプロットに魅力的な役者。放火犯や偽船長の描写も衣装やメイク含めて絶妙なおかしみと神聖さ、そしてさりげなさがある。(ザック・エフロンの出演部分は豪華だ!)前作の『スプリング・ブレーカーズ』は正直どう受け止めて良いのか分からなかったけど、今作とポジ・ネガ的な繋がりを感じた。 

 マシュー・マコノヒーは出演作品数も多く全く別人の役が多いのでもっともっと見たくなるという中毒性がある。案の定マコノヒーがもっと見たくて帰宅後に『マッド』『リンカーン弁護士』を見る。私も仕事をしなければならないんだけど…

 作品中で二度繰り返される「夜中にトイレに経って下を見下ろすと、、、」の詩はピストル自殺をしたリチャード・ブローディガンの『ビューティフルな詩』 
ブローディガンがマコノヒーのムーンドッグに転生したかのような幸福感と訳のわからなさが混在していて素敵だった。あらゆる姿勢でタイプライターを打つムーンドッグの勇姿が瞼に焼きついていつまでも感動させられる。

『L.A.コンフィデンシャル』を20年振りくらいに…

『L.A.コンフィデンシャル』を20年振りくらいに見返す。初見当時、やたらおもしろいということだけが記憶に残っていたけれど、細部は全く理解できていなかった。誰が味方で誰が敵かも分かってないのに面白く見させるっていうのは相当多義的な魅力に富んだ作品なのでしょう。久しぶりに見て…これは…やはり最高に傑作でした。
 きっかけはそもそもなんとなく初めにマイケル・ペニャを見たくなり、『エンド・オブ・ウォッチ』を見てデヴィッド・エアー監督いいなーと続いて『フェイクシティ ある男のルール』これがまたとてもよく、しかも『L.A.コンフィデンシャル』に話がそっくりだと思ったら脚本ジェイムズ・エルロイ。さらに偶然「アンダーワールドU.S.A.シリーズ」第1部『アメリカン・タブロイド』上下巻2冊をなぜか各巻100円でブックオフで入手し読み終わっていたところということもあり、

ブックオフミラクル


続けて「L.A.コンフィデンシャル」を見ると主要人物設定がほぼ同じですごくわかりやすかった。主人公二人/猪突猛進タイプと冷静沈着タイプのドラマが主軸になり、タブロイド誌のトップ屋の洒脱な節回しで物語が進んでいく。そして魅力的な脇役(ロロ・トマシ…)、裏切りにつぐ裏切り、落ちていく人、はい上がる人のひきこもごも…。
「アメリカが清廉潔白だったことなんて歴史上一度もない。」『アメリカン・タブロイド』の書き出し。ジェイムズ・エルロイの筆致が冴えわたる裏の時代史。

スカパー! 529ch(ベターライフチャンネル)番組「故郷を生きる」岩手・吉浜食堂篇放送のお知らせ

 番組「故郷を生きる」岩手・吉浜食堂篇のナレーションを務めさせて頂きました。
「吉浜」と書いて「キッピン」と読みます。吉浜食堂は岩手県盛岡市にある、とても素敵な三陸の海の幸のお店。キッピンとは地元の海で取れるアワビにちなんだ名前だそうです。

 こちらでシェフとして腕を振るう松川さんは漁師でもあります。
海に出て「いいなあ〜!!」と思わず声が出てしまう松川さん。その素直な爽やかさに心がほぐれました。

 放送は土曜日の朝になります。こちらをご覧になれば素敵な週末が始まること請け合いです!ぜひご覧下さい。

番組「故郷を生きる」岩手・吉浜食堂篇
特別出演:工藤玲音/くどうれいん(歌人)

スカパー! 529ch(ベターライフチャンネル)

初回放送 2021年5月8日(土)朝8:00〜8:30(30分番組)

以降1週間、スカパー!オンデマンドにて無料配信(パソコンやスマホから無料で視聴できます) 
※URLは当日決定のたため、配信がスタート次第、こちらで(私のツイッターアカウント)にてお知らせいたします。

ちょっとあれなんだろう!?

 普段あまり外食する方ではありませんが、この緊急事態宣言中、通りを歩いていてほとんどのお店が閉まっている時間帯など、寂しいです。このお店に集って楽しそうにやっていた人たちはどうしているんだろう、テキパキ働いていた板前さん・大将・店長・料理人・ホール係はどんな日常を過ごしているんだろうと想像してしまいます。

 そんな時は散歩に出るのがおすすめです。街を歩いているだけで、面白いものに出会えるから。

 先日はパンチパーマ、アイパーがかけられるという鹿の首の剥製が飾ってある理髪店を見つけました。ツイン・ピークスに出てきてもおかしくない店構えに萌え。

「アイパーとは何だろう?」という疑問に対しては埼玉県の新所沢にある理容店・床屋 ヘアスタジオガイズのブログで多彩なテクニックを見ることができました。これがアイパーなんだ!街でよく見かける髪型は「濡れパン」だったんだ!勉強になります。

 近場での散歩であれば、その日の気分に合わせて気楽にルートを決められるという利点があります。今日は何となく見晴らしが良いところ、空気が清々しいところに行きたい等。

また時間帯によっても、日没が近ければ夕焼けが素晴らしいところ、夜であれば比較的明るい道など、その時の状況に合わせてフラッとほっつき歩く、そんな気まま加減が近場散歩の良いところ。

目新しさはなくとも、自分の日常を取り巻く環境を肌で感じることができるのです。

鮭を使ったメニューが多かったキッチンベル

あそこの工事が少し進んだとか、いつも窓際にいて通りを見ているおじいさんが今日はいない、というような、小さな発見の数々によって、相対的な現在進行形の街の雰囲気を感じ取ることができるのです。さて、今日の牛はどんなかな?

草を食べ終わってのんびり

 反対にしっかり計画を立てて攻める遠出散歩。前からゆっくり歩いてみたかったところであれば、まずマップを検討してどのくらいの時間をかけてどこからどこまでの移動を目的とするかを考えます。その作業だけでもかなり楽しいものです。

限りなく透明に近いブルーな風景を激写

その土地の初心者である故に選んだ、なんの変哲もなく空気の悪い産業道路を歩いていてさえ発見の連続になること請け合いです。

ランチ時の立川を激写。

 地元の人ならば、なんらかの目的がなければまず通らないような田舎道を歩いている時など、向こうから歩いてくる地元の住人が、こちらが地元の人間でないということを諒解していることがなんとなく伝わります。

挨拶を交わすわけではないけれど、何かお互いに居心地の良いような悪いような、独特のコミュニケーションが生まれる瞬間。自分がよそものであるという新鮮な感覚。自分のテリトリーにいてはなかなか味わえないものです。

 また、思いがけないところに大きな段差があったり、周囲の雰囲気がなんとなく違う一体があったりする場所は、探究心が湧いてくるならば、帰宅後にその地の歴史や成り立ちを調べるのも楽しい時間となります。

日が落ちた後しばらく続くミラクルタイム…

 

 しかし、いくら周到にマップとルートを検討しても計画通りには決していかないのが小旅行の醍醐味。googlemapに載っていない店などいくらでもあるのです。実際行ってみなければ見つけられない小径もたくさんあります。

緊急事態宣言下でも酒類販売禁止でも「居酒屋必要ないですか〜?」という声が聞こえてきたりするように、みなさんそれぞれの状況下で生きています。

 ふらっと外に出るだけで、今まで見逃していたあなた好みの風景に出会えるかもしれません。散歩は未知との遭遇です。知覚感覚の拡張に他なりません。どんな小さな散歩も、そこから生まれる感覚や疑問はあなたを知るヒントになるはずです。考えが行き詰まった時など、自分の固定観念を打ち破る助けにもなります。

さあ、散歩に出かけてみよう!

フィトンチッドを感じる…