祈り

 

熊本の人のために祈りはじめると最終的には自分が癒されている

人のために何か行為することは そのことが自分に必要だからするのだと思う

そういう意味では結局じぶんのことになる

思い浮かべたイメージ、思考内容はじぶんのうちで生き物として立ち上がってきて、じぶんじしんに確実に作用をおよぼす

そのとき距離が消えて現在しかない

祈ることにやりかたなんてないし、本当にやりかたはどんなでもいい

ただやってみないとわからない

やってみて なにが出てくるかもわからない

人は本当にふかいところでは利己的であるということはありえない

自己が同時に他者でもあるところでは

表層の議論にまどわされて人を批判の気持ちで見ないこと

 

春に思うこと

 

あらゆる事象と対話が必要だ
言葉を持ってしても しなくても
狂人の独白を聞きとるように 桜の散るを聴き
宇宙の呼吸が四季であり
肺から押し出される言葉の一つ一つが 実りの果実であり
花弁の一つ一つさえ 意思があっての落下を落ちている
姿は変われども語られた言葉は決して消えず
流転する呼吸の中に時を超えて蘇る
それらに耳を塞ぐ鳥はいないのだから
こちらがただ耳をひらくことが必要なのだろう