2017 年12月『エヴリバディ・ウォンツ・サム』『天国と地獄』『インターステラー』

12月13日 コルヴスのラジオ放送室「密談」収録。ほとんど打ち合わせなしのトーク。

12月14日 新宿武蔵野館にて映画『エヴリバディ・ウォンツ・サム』を鑑賞。

人生は果てしない徒労だろうか?
たとえそれが真実だとしても、そんなことを吹き飛ばしてしまうほどの美しい瞬間があることを、虚構であるはずの映画がいつも教えてくれる。この映画では誰もが心ときめいたであろう、無垢な時代の空気が再現されている。しかしそれを懐かしむわけではなく、今を生きる「昔若かった人たち」の足元へと一本のラインをつなげる演出が心憎い。

12月15 風邪が流行っている。職場の一つである幼稚園でも子どもの半数がお休み。

さて「こんなものいったい誰が買うんだろう?」というような商品がコンビニにはあふれている。しかし売っているということは売れているということなのだろう。普段は別段欲しいとも思わないグミを購入してみた。10年振りくらいだろうか。

先日、甲府で打ち上げの宴を開いてくださった田中さんのお宅での出来事。

素敵な食事を楽しみ、夜も更けた頃、田中さんの高校生の娘さんが、突然「グミが食べたい」と言いだした。ひなびた温泉街からほど近いところにある田中邸のこと、付近にはコンビニもなく、あいにくの寒い夜。そんな時、高まり行く娘さんのグミへの欲求。ふと思いだしバッグのポケットを探るとグミがある。そっとテーブルの上にイチゴ味のグミを差し出したことはいうまでもない。

12月16日職場の一つである幼稚園で冬至祭り。かぼちゃと小豆のいとこ煮、りんごなどを皆で食べる。夜は1月の公演稽古へ。昨日グミで奥歯の詰め物取れたため、急遽歯医者さんを予約。ネット予約はいっぱいだったが電話でなんとか入れてもらう。歯が一本短くなると、かなり短い期間だとしても歯列が移動してしまうことは経験上知っていたので早い予約が取れて一安心。

12月17日 歯医者さんで詰め物を入れてもらい噛み合わせの調整。顎関節症は頬杖をついたことからなることもあるらしく、何が原因かもわからないという。

聞こえてくる会話からするに、隣の診察台の方は重い歯周病に苦しんでいるようである。

歯磨き粉のかわりに重曹を使うようになってどのくらい経つだろうか。歯医者さんんによるとわたしは歯石のつきにくい体質らしいとのこと。しかし以前はよく虫歯になったものだし特別歯石がつきにくい訳ではないはず。(のちに歯磨き粉に変更)

一度虫歯を放置して大変なことになった経験が身にしみている。いずれにせよ歯に関しては予防が大切だ。

重曹はトラベルグッズコーナーで買い求めた25ml用の携帯容器に入れ、歯ブラシですくって使っている。かなり使い勝手が良く重宝している。

帰り道、高円寺駅のベッ○ーズに入ったところトイレが地獄のように汚かった!「インド富士子」へ。東小金井の「インド富士」のカレーがかなり美味しかったため、姉妹店の「インド富士子」には期待。「ほかほか感」や「一皿の輝き」のようなものは「インド富士」が格段にあるように感じた。思い込みかもしれないが。

この日見た映画は『天国と地獄』

黒澤映画を久しぶりに。もっとも感じたことは絵が重いということ。一枚一枚の画が重いパンチを受けたように効く。フィルムの力?役者の力なのか、監督のこだわりなのか、その全てと思いもよらないプラスα?横浜黄金町のヘロイン窟やダンスホールの描写が印象的。また伊勢佐木町の街並みなどは、今も当時の面影を残しているようだ。奇しくも先日、似た内容の『64ロクヨン』を見ていたので、現代と比べて当時の警察の捜査会議がとてもゆったりしたものに見える。携帯電話のなかった時代の捜査というのはこういう感じだったのだろう。捜査本部長役の志村喬が磐石の安心感を醸し出している。好きな役者だ。

12月18日 年内最後のワークショップでした。るメガネのリムロック部分が金具ごと折れた。

この日見た映画は『インターステラー』

見るのは3回目だが面白かった。いったい重力というものは何なのか?0.3086mGal/m(ミリガル)という数値は、日本において地球の中心からの距離(=標高)が1m大きくなるごとに小さくなる重力の値である。昔、新宿を歩いていて高層ビルを見上げた途端に重力が外れて新宿住友ビルの52階まで自分が飛び上がったような気がしたことがある。それ以来世界のどこかに重力が外れてしまうポイントがあるような気がしてならない。

ガル(英:gal、記号:Gal)は、CGS単位系における加速度の単位である。gal という名称はガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)にちなむ。 地震に関連する分野ではよく用いられるが、国際単位系としては認められていない単位である。ただし、日本の計量法は特殊の計量である「重力加速度又は地震に係る振動加速度の計量」に限定してガル( Gal)および1000分の1のミリガル(mGal)の使用を認めている。(wikipediaより)

・重力加速度又は地震に係る振動加速度の計量 Gal mGal

みなみ音楽教室発表会、ロクヨン

12月5日

甲府で稽古。大根の煮物をお土産にいただいて帰る。

12月8日

本当に時々、良い稽古ができたな、と思う日がある。そんな日は帰り道の景色が書き割りに見える。自分の存在を垂直に、世界を水平に感じると言ったらいいのか。自分が宇宙に対して開いていて自他との区別がなくなる瞬間。どんな豪邸に住むよりもこういう時間が幸せだ。

12月9日

甲府泊。かねてから行ってみたいと思っていた喜久の湯温泉へ。東京は銭湯の入浴料金が460円。山梨は400円、しかも温泉なのだから羨ましいと言うほかない。

12月10日

本番当日。音楽教室主催のプライベートな会への出演でした。前半は音楽教室の発表会。後半部分で小河原律香さんの書いたお話にからめてパルムグレン作曲の4曲を踊りました。フィンランドの作曲家であるセリム・パルムグレンは、私も初めて触れる作曲家でしたが、非常に叙情的で美しい曲が多く、シンプルで力強い旋律はほんとうに表現するのが難しい。小手先のテクニックでは曲に近づけないので、まずは体全体で音を聴くことから動きを作っていきました。

この会は、北欧神話の「光と闇」に興味を持った小河原さんと、北欧神話や、アンデルセン、グリム、などを読みつつ、数ヶ月かけて内容と曲を組み立てていったもの。自分の知らない北欧神話の世界と出会えた貴重な体験でした。パルムグレンは今後も引き続き踊りつづけたい作曲家です。

会場では甲府在住の田中さんが大きなヒンメリを作成してくださったものを空間演出として設置しました。照明がヒンメリの影を床に写し、幻想的な空間を作り出すなか、自分の演奏を終えた音楽教室の生徒さんたちが鈴なりになって踊りを見てくださる光景はクリスマスの童話のように可愛らしく心が和みました。

 

1

12月11日

国立を散歩するなど。

12月12日

映画『64-ロクヨン- 前編/後編』をみる。主演の佐藤浩市さんと永瀬正敏さんの演技に心を動かされた。県警の広報官室と県警担当記者たちとの渡り合いの描写が細かく描かれていて興味深い。余談だが、佐藤浩市さんの父親の三國連太郎さんは、赤紙が来た時に召集を逃れて逃亡、遠地から母親に送った手紙を母親自身が憲兵に差し出したことで捕らえられ出征したそうだ。息子が戦争に行くことを拒めば、家族が村八分に合うというひどい時代だったのだ。

セルジオ・レオーネ作品、肉について、甲府-国立での稽古、りんごろうそく

11月16日

「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」を見る。『ハドソン川の奇跡』の完成度が高すぎて震撼したため、隙間時間にちょこちょこイーストウッド出演、監督作品を見返しているが色々と発見がある。イーストウッドでさえ、最初から巨匠であったわけではないことがわかりもし、なんとなく安堵した。しかし最初から芯の部分はぶれていない。

セルジオ・レオーネはやはり暴力描写による演出の巧さに唸らされた。うますぎて少し嫌味でさえある。

夜は城戸さんに焼き肉をごちそうになる。ちょうど2ヶ月断っていた肉。食後は身体中に油をさしたように動作が滑らかになったように感じた。意識の面でも充実感、多幸感あり。また体の蓄熱効果も。いただいた肉が最上級のものであったこともあり、激しく効果を感じられた。肉を摂らずにこの効果を生み出せるようになってみたいのだが。。。また、この二ヶ月でずいぶん肉の食感、味に敏感になった。

11月17日

人形劇の朗読練習で、思いっきり情感を込めて読んだところ「込めなくてよい」旨の指摘受けちょっと赤面。「自分の感情は心の中で豊かに広げれば良い。過度に声色で表現することは、むしろ聞く人(得に子どもの場合)のさまたげになる」とのこと。深く納得させられた。

11月18日

幼稚園から借りてきたグリムをたくさん読んだ日。

11月19日

午後からワークショップ。子どもに向けてのワークショップはまだまだ経験が必要。だれでも初めは初心者だと思って先に進むしかない。

11月20日

甲府のイベントの稽古。「山奥の生活」というブログを読む。女性のログハウス山奥一人暮らしの記。なんでも一人でDIYするしかない。システムキッチンやトイレの配管に至るまで自作している。読み進めていくと、まるで自分が山奥で生活しているような錯覚を覚える。清々しい孤独感。しかし何もないところで一人生活していくことはとにかく大変そうだがとてもかっこいい。

11月21日

甲府で会場セッティングの打ち合わせと稽古。

11月22日

ひたすら眠い。夜は鍋。今まで日本酒の美味しさがわからなかったが、「景虎」というお酒に初めて感動した。

11月23日

午後人形劇の稽古。夕方から「山奥の生活」に出てきたバナナケーキなどを焼く。ケーキはまあ失敗。おかし作りに限らず料理は日々の経験と試行錯誤。

11月24日

風邪ひいている。朝から幼稚園。人形劇の稽古。宝探しゲームの景品作り。夜はデザイン仕事。

11月25日

風邪少し良くなる。人形劇の稽古と照明セッティングなど準備。

11月26日

幼稚園のオープンディ。人形劇の朗読をする。園庭のデッキをお父さんたちが修繕したり、お母さんたち手作りの焼き菓子を堪能しました。終了後、先生たちと仮店舗営業中の「かな井」へ。のりとわさびの「花巻そば」をチョイス。

11月27日

『荒野の用心棒』続けて二度見る。うーん、おもしろい。夜は雨。風邪の治りが芳しくないので稽古場へ行くのを諦めた。

11月28日

午前中なんとなく気が向いて谷保天満宮へ。おみくじをひく。「心やわらかに他人とつきあいなさい」とのこと。

昼から甲府で稽古。会場セッティングに思ったより時間がかかりそう。でも話し合いながらゼロから空間を作り上げていく作業は楽しい。大きなヒンメリを会場に吊り下げる予定。オイリュトミーユニット、コルヴスなどの舞台設営でつちかったノウハウがここに来て役に立っている。甲府駅まで送ってもらった帰り際、もぎたて大根と手作りりんごジャムをいただく。新聞紙に包んだ大根を持って電車に乗った。

11月29日

デザイン入稿作業の合間にホットケーキを焼きまくった一日。全粒粉とバターミルク入りの粉を混ぜたり、りんごジャムを混ぜ込んだり。フライパンに油が馴染んできた2枚目くらいからうまく焼け出すのが楽しくて止まらない。

 

%e5%86%99%e7%9c%9f%ef%bc%882016-11-29-11-16%ef%bc%89

 

 

12月2日

午前中、甲府から律香さん来て稽古。幼稚園に置かせてもらっていた照明機材をピックアップ、甲府のみなみ音楽教室まで運んでもらう。「Cafeここたの」でランチ。この日のメニューはハンバーグだったのでピザトーストのハム抜きを頼む。ここで働いている人は一橋大学の学生さんと市民スタッフ。おばあちゃんの作ってくれる料理のような懐かしい味が楽しめます。

12月3日

夜、幼稚園でりんごろうそくの会。

もみの木の枝で作られた螺旋形の道の上を、りんごろうそくを両手でしっかりと持った子どもが緊張したおももちで歩いていく。その姿は童話で暗い森の中を一人進んでいく子どもの姿を彷彿とさせ、子どもたちのこれから歩いていく人生を応援せずにはいられない。子どもたちの歩くリズムにその子の内面世界が表現されていることも興味深く、オイリュトミーにおける「歩行」の練習の大切さをあらためて実感させられた。

事前にりんごを磨いて輝かせることで、そのりんごが自分にとって特別なりんごになる。またろうそくも、数日前から蜜蝋を溶かして子どもたち自身が作ったもの。

このような準備をすることは、まわりの大人にとって決して簡単なことではないが、物と自分の関係性、ひいては循環する地球上の生命との関係性を間接的に体感する機会をつくることは、合理性と利潤追求を優先する社会においてはとても大切なことだ。

帰り道、国立駅前のイルミネーションがバージョンアップしていた。

 

fullsizerender
ろうそくが燃え尽きたあとのりんごろうそく

 

12月4日

午前中、自主学校「遊」の「遊まつり」へ。人形劇を見る。シュタイナー系の人形劇では、さまざまな色に染めわけたシルクの布が、場面転換装置のほぼ全てである点が興味深いところだ。説明しすぎず、見る人の想像力に託す、という姿勢が一貫している。

 

「灰のオホカミ」終わる 写真美術館 古本屋

11月5日

中野テルプシコールで「灰のオホカミ」ゲネプロに再度立ち会う。その後、仕込み当日の打ち合わせ。帰宅後明日の準備。

11月6日

午後、国立ワークショップ。国立大学通りは例年の天下一祭り。公演前ということもあり忙しくて今年も駅前から賑わいを見るのみ。

11月7日

とうとう公演の週明け。終日準備。

11月8日

中野テルプシコールで「灰のオホカミ」3回目のゲネプロ。帰宅後、寒気と筋肉の痛みで風邪っぽいが仮眠して復活。

11月9日

明日から小屋入り。もう20年近く通っているが未だに飽きないロージナ茶房で夕食。グラタンの季節、、、

11月10日

小屋入り。「灰のオホカミ」はロビーから玄関外までリノリウムを敷き詰め、客席も特別な組み方をしたうえ、舞台面にペイントを施すという凝った演出。朝から夜まで設営に携わってくれたスタッフには感謝してもしきれない。公演パンフレット、折り込みチラシ次々届く。パンチカーペットに出力したB全サイズのポスター納品される。良い仕上がり。みなさん作業に没頭し、確実に空間作りが進んで行く。ひたすら感謝。午後になって仙台からTOJUさんペイントの為に来てくれる。夜は照明シュート、明かり作り。etc… あっという間に22時。

11月11日

本番当日。なかなか雨止まず。私はあちこちやることがありチラシの折り込みは受付を手伝ってくれた会田さんにお任せになってしまった。さらに見かねたテルプシコールの秦さんが手伝ってくれるという始末。みなさんの協力のおかげで、とにかく無事に初日、幕が開けてよかった。

11月12日

本番二日目、無事終演。バラシ、打ち上げ。またもスタッフの皆さんが一人3役くらいをこなしてくれて滞りなく撤収できた。心より感謝いたします。

11月13日

廃棄するリノリウムを回収業社に受け渡し。舞台用リノリウムが何でできているのか調べてもいまいちわからないので見積もりが大雑把。出された見積もりに難色を示すと即2千円ディスカウントされた,,,もっと強気に出ればよかったと後悔。

11月14日

午後、甲府からむすびばの律香さんが来て稽古。稽古場までの道々、生垣の椿の種を採取。夜は小金井の友人宅にお招きいただいた。なんとこのお宅は映画『village on the village』の撮影場所でもあるのだ!雨上がりで靄がかった雲の上にはスーパームーンも輝いているらしく、映画と現実が曖昧になる夜であった。

11月15日

母と恵比寿、新宿を散歩。恵比寿の写真美術館は企画展示はお休み中だったが、地下展示室で「写真新世紀」催しを見る。迫鉄平さん作品がジャック・ロジエの映像みたいで美しかった。12月からアピチャッポン・ウィーラセタクン短編集上映があるそうなのでまた来たい。新宿では二丁目の入り口にあったいつでも傾いだ印象の古本屋が潰れていた。昭友社書店という名前だったそうだ。昔ながらの古本屋がどんどん消えていくが、決して本が必要とされていないのではなく生活が変わって本の流通形態が変わったのだ。南口の紀伊国屋書店も撤退していた。

こどもといっしょにライゲンとことばのオイリュトミーのじかん

 

__________
__________
2016年11月19日(土)14時〜16時
小金井市内でワークショップがあります

(詳しい場所はお申し込み時にご連絡いたします)

参加費2千円

お問い合わせ ▶︎miguel9950@yahoo.co.jp(ツツミ)

%ef%bc%91%ef%bc%91%e3%83%bb%ef%bc%91%ef%bc%99

「無心所振り」

 

10月27日 

いずみホールでkai。高橋悠治さんの演奏久しぶりに聴けた。音楽が時間とともに流れていくのではなく、音楽は時間を生み出すほど力強いもの。そんな認識に至らされる。笠井先生の踊りは、母親に橋から落とされて亡くなった三才の子供のニュースを思い出した。終演後岩手へ。

 

10月28日

入浴介助のスタッフ3人が8畳の和室にあっという間にバスタブを組み上げるのに驚く。

 

10月31日

DM発送など制作関連のことを一日中やる。

 

11月1日

稽古場に大きなカメムシがいて1時間ほど落ち着かない。深夜まで入稿間近のデータ作る。

 

11月2日

11月に入って公演間近の空気になってきた。

 

11月3日

折り込みで阿佐ヶ谷へ。B機関の旗揚げ公演おもしろそう。明日からで観たかったが断念。阿佐ヶ谷パールセンター商店街がとても楽しい。自分と同類っぽい人が多くやたら馴染む印象。夜、中野のテルプシコールで通し稽古に立ち会う。

 

11月4日

友人と永福町の「くるまる」。丁寧に作られた野菜のおかずと玄米の定食がおいしい。その後下北沢を散策しガレージで古着酔い。

 

img_9347

IKEA ホメオパシー ドラゴンフルーツ  クッキー

10月8日

イケアのベジボールを黒パンに乗せて食べるのにはまる。

ホメオパシーはバッシングもあるけれど、効く時は効くし効かない時は効かない。自分は使い始めて3年目。使いこなすにはかなりの経験が必要。人に無理に勧めることもない。数ある薬の中の一つの選択肢として使用している。

 

10月9日

ドラゴンフルーツを購入。まだ食べ頃でないようだった。気が向いて入ってみた立川ドンキホーテのお菓子売り場で、あまりの品揃えに驚く。駄菓子から輸入菓子まで。40分ほどいたが別に安いわけでもないので何も買わず出た。

 

fullsizerender-3

 

 

 

10月10日

立川ルミネの「銀座みゆき館」がメニューをマイナーチェンジ(自分的に)。焼きサンドウィッチが三角から四角に。よく頼んでいたサラダとトーストのセットがなくなってしまった。

 

 

10月11日

甲府で稽古の後、AIRYに挨拶に。坂本泉さんに7ヶ月ぶりお会いする。シルビアさんというイタリア人のアーティストが日本人の古い写真を見て作品を作っているというので急遽、家族にメールで写真を送ってもらう。

 

fullsizerender

 

 

10月12日

一日中家事など。

 

10月13日

寒気がして早めに床についたので明け方5時過ぎに目覚める。幼稚園の日。子どもたちの半数が風邪。グリム読む。『夕陽のガンマン』を半分まで鑑賞。

 

10月14日

午後稽古。全粒粉でクッキーを焼く。粉状の材料100gに対して大さじ2のお好みのオイルと水でまとめるだけのシンプルなもの。冷凍してあった生姜をすり入れた。同じく冷凍してあった豆腐を入れたものと2種類を作った。素朴でおいしい。

 

fullsizerender-7

 

 

 

10月15日

タイの次期王位継承者のワチラローンコーン氏が気になって仕方ない。政権の変遷、頻発するクーデターとタイの憲法についてなど、全く知らなかったので興味深い。

 

10月16日

午後ワークショップ。再び全粒粉とそば粉のクッキーの二種類作る。冷凍庫のそばの実とビール酵母も入れてみた。食感がややフカッとなる。粉類と油と水だけでおいしいものが出来るというのが楽しくしばらくはまりそう。砂糖少なめなのでバターを塗って軽食にもなる。

 

10月17日

終日事務仕事。途中まで見ていた『夕陽のガンマン』を最後まで鑑賞。何度見てもいい。リー・ヴァン・クリーフが田我流さんに似ている。

ユニバーサルスタジオジャパンで行なわれている日本人形を使ったホラーアトラクションに、実際に人形供養に出されたものが展示されているというニュース。人形供養で有名な神社の宮司が貸し出しを許可したということだ。。。

 

TOJU ( 画家 ) × 石田尚志 ( 画家/映像作家 )× 生西康典(演出家) トークレポート

先日、神田のtetokaにて行われたTOJUさんと石田尚志さんのトークショウに行ってきました。(司会は演出家の生西康典さん)

 

TOJU 画家 × 石田尚志 画家/映像作家 × 生西康典(演出家)

 

img_2764

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石田さんは3年前、生西さんからTOJUさんのことを聞いたそうです。「是非見て欲しい作家がいる」と興奮する生西さんの話を聞いてから、この日、初めてTOJUさんとお会いになったそうです。

(2013年の、生西さんとTOJUさんとの出会いはこちらに書かれています。→【1/29】合同公開授業(実作講座「演劇 似て非なるもの」+絵と美と画と術)『画家TOJUさんに聞く』「TOJUさんのこと」http://bigakko.jp/event/2016/toju

 

 

img_2760

 

 

 

 

こじんまりと居心地の良いスペースで膝を突き合わせてのアットホームなトークは2時間ほども続きました。

 

img_2775

自分は「絵を描かないとダメな人間、絵を描かないとわかったって気持ちにならない。自信を持って物が言えない人間」であるとおっしゃるTOJUさん。

 

 

img_2793

18歳で東京が息苦しくてしょうがなく沖縄へ移動したという石田さん。その後東京へ戻られてからは、東京のなかで自然を探そうと思ったそうです。

 

img_2774

TOJUさんは23歳で東京で生活するのが嫌になり仙台へと移住、都市と自然が混在する仙台という土地で創作活動を続けられました。

 

 

img_2781

TOJUさんの膨大な創作ファイルをひもときながら、都市と自然、記憶と行為、直線と曲線、円と四角の関係など、数え切れない興味深いお話が万華鏡のように飛び出します。

 

たとえば、

・焼きとうもろこしをかじりながら滝を見たときの音体験(!)

・粘土の造形とタルコフスキー作品におけるミニチュア

・お二人が「画家」を名乗るようになった経緯

など、

お互いが共鳴、増幅し合うような刺激的なやりとりが続きました。

 

呼吸形態についてや、ブランクーシの作品「無限柱」と水の造形に関わるお話など、特に印象的でした。

img_2758

 

 

 

img_2777

 

TOJUさんの「タバコを吸い続けてきた人間が吸うのをやめちゃうと外部とひとつになれない」という、ある意味喫煙者の言い訳のような発言も、作品を前にすると何か心に深く響きます。

 

 

img_2798

あいちトリエンナーレで上映された石田さんの最新作の投影も少しだけ見ることができました。

 

 

img_2803

TOJUさんの「空間儀」とのコラボレーション。石田さんの、バッハの「フーガの技法」を視覚化した作品、是非見てみたい!

 

 

img_2808

 

石田さんによるTOJUさんの作品への深い洞察がすばらしく、作品は読み解かれるのを待っているんだなと思いました。この日のトークを聞けたことは私にとっても大きな体験でした。

 

TOJUさんは会期中の週末は在廊されるようです。行かれる方は是非、TOJUさんのお話にも耳を傾けられることをおすすめします。

img_2762

 

(全ての写真撮影:梨乃さん)

 

今年の初めに美学校で行われたイベントのレポートにもTOJUさんの作品世界を伺うことが出来ます。ご興味のある方はぜひ合わせてお読みください。

【レポート】合同公開授業(実作講座「演劇 似て非なるもの」+絵と美と画と術)『画家TOJUさんに聞く』

http://bigakko.jp/blog/report/toju

 

 

今後のイベント

(ポエトリー・リーディング&トークショー)

TOJU 画家 × 暁方ミセイ( 詩人

日時:1022日(土)19:00開演(18:30開場)

料金:1500円( 1ドリンク付

暁方ミセイ(あけがたみせい)

1988年、神奈川県横浜市生まれ。幼い頃より、自然に触れ詩を書き始める。2010年、第48回現代詩手帖賞。2011年、第一詩集『ウイルスちゃん』を上梓、翌年、同作で第17回中原中也賞。2013年には処女小説「青い花」を『文藝』に発表。その他の著書に、『宇宙船とベイビー』(マイナビ)、『ブルーサンダー』(思潮社)、連詩集『地形と気象』(左右社)がある。

 

 

TOJU 「 RITUAL AND SHAPE FOR SPACE 」展

10月1日(土)~10月23日(日)

会場:TETOKA

東京都千代田区神田司町2-16 楽道庵1F

営業時間:16:00-23:00

休廊日:水曜日

イベントのある日は営業時間が変更となる場合がございます。

TETOKAホームページをご確認下さい。

http://tetoka.jp/archives/category/events

Tel: 03-5577-5309

観覧料: 1ドリンクご注文制

img_2765

 

 

 

img_2768

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スウェーデン版「ミレニアム」とハリウッド版「ドラゴン・タトゥーの女」

スウェーデン版「ミレニアム」を全3作見る。原作、ハリウッド版、スウェーデン版と全然別の作品として楽しめた。

スウェーデンにおける女性に対する暴力の割合は世界でもトップクラスであり、この小説はそのことをテーマにした作品である、というような前書きが原作小説にあったと記憶している。

作者のスティーグ・ラーソンは15歳のときにある女性の輪姦現場に遭遇しながら何もできず逃げてしまった罪悪感からこの作品を書いたらしい。その被害者女性の名前がこの小説の主人公「リスベット」だということだ。

一人の人間の中に、様々な年代のその人が垣間見える時がある。

現在五十代の男性の中に四歳の子供が見え、未来の八十代の姿を想像する。

年代の違う二人の女性がバスの待合室で隣同士になったとする。ぼんやりとたたずむ二人の人物の中に、共通項はあるのだろうか?

ハーラン・エリスンの作品集『死の鳥』

『北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中』という作品では、主人公が極小さくなり自分の体内に入っていくのだが、その体内は主人公の意識の世界であるという話。『ジェフティは五つ』は、周囲の人間が成長してもジェフティだけはいつまでも五才のまま、彼のラジオからだけは昔の番組が今も流れてくる、、、。

フィクションの世界が現実に影響を与え、現実がまたフィクションの世界を生み出す。二つの世界は複雑に入り組んで存在している。

それならば現実の被害者の復讐を、創作されたキャラクターがやり遂げることもあるだろう。「ミレニアム」は3巻までを上梓し作者は亡くなっているが、近頃4巻が出たらしい(作者は別)。

生み出された物語が作者の没後も続いていく。

夕陽のガンマン

10月4日

終日事務仕事と家事。エリンギと木綿豆腐の麻婆豆腐作る。肉なし。小さじ一杯ほどの砂糖を入れないと味が決まらない。タイカレーを作るときにも思うが砂糖の役割は大きいな。

 

10月5日

郵便物を出したり、音源編集してイタリアに送ったりで気づくと夕方。買い物に出ると台風!びしょぬれに。洗濯、料理。今日もキノコと木綿豆腐の麻婆豆腐、と玄米。気に入ると同じものを食べがち。セルジオ・レオーネ「夕陽のガンマン」見るつもりでデスクに出しておいたが時間取れず見れなかった。

 

 

1

 

 

 

 

映画『ハドソン川の奇跡』

10月3日 イーストウッドの「ハドソン川の奇跡」

素晴らしすぎて帰宅後、棚にあった「目撃」のDVDを見た。ご都合主義的な展開も多少あるが、やはりイーストウッドの創るキャラクターは魅力がある。

嫌われている娘の家に忍び込んで冷蔵庫の食材を補充したりする大泥棒という設定が素敵。

「トゥルー・クライム」も見たかったのだが、こちらは手持ちのDVDのケースだけありディスクが行方不明。この映画の軟派な記者がイーストウッド自身が演じる中で最も好きなキャラクター。「トゥルー・クライム」はクリスマスには毎年見たくなる。

10月2日

10月2日

午後、神田tetokaでTOJUさんの個展と映像作家・画家の石田尚志さんとの対談。(司会は生西康典さん。)今年の夏、思わず走り出さずにいられないほど、ものすごい色の夕焼けの日があった。刻々と色合いを変えてゆく光がやがて闇になり、事物から色を奪っていく。そして明け方の、影の集積でしかない景色に光が色を定着させていくさま。昼と夜はまったくちがう生き物が棲み分けている。光が与え闇が奪う。もっと襟を正して夜を、朝を迎えたいと思った日だった。

 

cropped-IMG_6860-1.jpg

9月30日 10月1日

9月30日

午後から稽古。和音の解析。必要にかられてやっていると少しづつ早くできるようになってくる。アルペジオ部分のインターヴァルをどういうまとまりで動きにするかいつも悩む。礒山雅著『バッハ=魂のエヴァゲリスト』を引き続き読む。

 

 

10月1日

買い物と料理。夜は稽古。アスベスト被害のニュースを見る。18世紀後半の産業革命から工業利用が本格的になり、1970年代に使用が規制され始めたアスベストだが、80年代以降も製造使用されていた。吸引すると約30年ほど経ってから悪性中皮腫などに罹患する原因となる。私の父もこの病気で亡くなっているので、アスベスト関連のニュースは注視せざるを得ないし、関わっている人たちも他人事と思えない。頻繁に使用されていた頃から数十年が経ち、今後さらに被害が増えてくると予想されている。

 

 

1

 

 

9月29日

朝からクレーシュすみれへ。子どもたちのパワーに圧倒される。子どもたちの出す声は抑圧がないのと同時に遠慮もないので、澄み渡りながら切り込んでくる、するどい青空の中に放り込まれた印象。殺意のない真剣勝負がえんえんと続く、とでも言ったら良いのか。園の中はそんな音響空間。あっという間に数時間が経つ。子ども時代とはかくもエネルギーをまきちらしながら過ぎていくものなのかと驚嘆せざるを得ない。

羊毛クリーニング

9月27日

パソコン上のデータの整理と大量の洗濯物。『バッハ=魂のエヴァゲリスト』読む。生い立ちなどを知るにつけ、肖像画でしか知らなかったバッハが身近に感じられる。

9月28日

午前中クレーシュすみれで羊毛のごみ取り。長野県の羊の毛とのこと。羊の脂や排泄物がからまっているが悪臭というよりは懐かしい匂い。脂はべたべたするよいうよりワックスみたいでペタペタ、つるつるの感触。子どもも含め15人くらいで2時間半くらいで二頭分の羊の毛をクリーニングした。

9月26日

墓参りで武蔵五日市へ。緑が綺麗。午後から律香さんが甲府から国立まで来てくれてパルムグレン2曲練習。生演奏で練習できるのは本当に贅沢。公民館のグランドピアノがなかなか動かなくて館の人に移動を手伝ってもらうなど。その後、一度帰宅して仮眠。律香さんにお借りした『バッハ=魂のエヴァゲリスト』読み始める。

ファスビンダー映画祭2016前半

9月25日

昨日までのファスビンダー映画祭2016前半の余韻にひたった一日。『ファスビンダー、ファスビンダーを語る第2、3巻』の巻末に時系列に沿ったフィルモグラフィーがあり、鑑賞後役立ってくれる。「近親相姦を体験しないと、親と子供のあいだに権力関係が生じるんだよ。(省略)近親相姦がおこると、そうはならないだろ。子供が親と同じ高さに立てることになるからだし、そうなれば権力の問題はもうなくなる。」近親相姦に関するこんなポジティブな見解には初めて触れた。子供の頃から躁鬱病でシュタイナー学校に入れられたいきさつなど興味深い。

ファスビンダーは母親を自分の映画に出演させて対話したり、母親との関係がかなり成熟していると思う。10月の映画祭後半も是非足を運びたい。

2016年、夏から秋へ

6月のコルヴス【親愛なるアルトーさんへ】仙台公演、8月の《福島うぶすなフェス・よみがえりの風》、そして9月10、11日の両日に渡ってのコルヴス東京公演【親愛なるアルトーさんへ】と、それぞれ制作と出演という形で関わらせていただきました。どの公演も、多くの方のご支援、ご協力を得て無事に終えることができ、感謝の念に堪えません。仙台、福島、東京各地でお力添えをいただきました皆さま、ひいては足をお運びくださいました皆々さまに、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

さて、今年は夏らしい風物詩の一つ一つを感じる間もなく、気づけば季節は秋。そんな秋の清浄なる風を肌に感じつつ、またまた楽しい企画がたくさん控えております。

 

▶︎▶︎神田TETOKAで約一ヶ月間行われる画家TOJU【とうじゅ】さんの個展

TOJU solo exhibition   RITUAL AND SHAPE FOR SPACE

2016年10月1日(土)〜23日(日) Tetoka 神田 http://tetoka.jp

toju

フライヤーのTOJUさんの言葉が素敵です。

 

大きな山かなと 思えたが 小さな山

遠い山かと 見れば 近くの山

高い山に 似ていたが 雲だった。

What appeared to be a big mountain turned  out to be a small hill

A seemingly distant mountain turned out to be a nearby hill

What looked like a high mountain was actually a cloud.     TOJU

 

会期中の週末にはTOJUさんと画家・映像作家の石田尚志さん、詩人の暁方ミセイさんとのトークショウ、ポエトリーリーディングが企画されている模様!詳細はこちら

 

▶︎▶︎中野テルプシコール 鯨井謙太郒初ソロ・ダンス公演『灰のオホカミ』

構成・振付・ダンス

鯨井謙太郒

初ソロ・ダンス公演

灰のオホカミ

二〇一六年十一月十一日〈金〉19:30  十二日〈土〉15:00

 

灰ノオホカミ。

トキハナタレル、色。

 

こちらも楽しみな公演です!詳細はこちら

%e7%81%b0%e3%81%ae%e3%82%aa%e3%83%9b%e3%82%ab%e3%83%9f%e8%a1%a8

 

 

%e7%81%b0%e3%81%ae%e3%82%aa%e3%83%9b%e3%82%ab%e3%83%9f%e8%a3%8f

 

▶︎▶︎

そして私はクリスマスに向けて友人たちと作品を制作中!

 

それでは皆さまもお元気でお過ごし下さい。

谷合ひろみ先生一周忌

谷合ひろみ先生が亡くなってから一年。

「よみがえりの風」稽古の後、国立駅前で故人を偲び、定方まこと、鯨井謙太郒の二人と軽く飲む。

天使館3期生の私はひろみ先生とあまりお酒を飲んだ事はなかったけれど、2期生の定方さんは、よくシューレ夜間部の後に朝までみんなで飲むことも多かったらしい。

そんなエピソードを聞きながら、生前の先生に思いを馳せた夜だった。

今頃あちらの世界で新たな仕事に忙しくされていることだろう。

わたしも生きている内にできることをしなければ。

image

 

 

「種まきカレンダー」の読み方

熊本県阿蘇山麓のぽっこわぱ耕文舎が毎年発行している「種まきカレンダー」

 

 

バイオダイナミック農法に興味があり「種まきカレンダー」を購入したものの、読み方がわからないという方、けっこういらっしゃるのではないでしょうか。

 

2014年に行いました、“ぽっこわぱ耕文舎刊「種まきカレンダー」を読み解く”講座のレポートへ、リンクを貼っておきます。

↓↓

http://noguchiizumi.blog76.fc2.com/blog-entry-98.html

ご興味のある方、どうぞご参考ください。

私も頻繁に見返しています。

人がバラを好むのは

 

人がバラを好むのは、

バラが、私たちの睡眠中に、

私たちの幼児期の最初の思い出を

受けとってくれるからなのです。

そのことを知らなくてもそうなのです。

 

ルドルフ・シュタイナー『遺された黒板絵』より

 

 

先日、東京調布市の神代植物園を訪れました。

折しもバラの開花時期、所狭しと咲き誇る大輪のバラ、バラ、バラ、、、

 

IMG_8411

 

連休明けとあってか家族連れの姿は見えず、ほとんどの来園客はシニア層です。

広大なバラのジャングルを背景に、人は童心に帰らざるを得ないのでしょうか。

バラの花が、その前に立つ人の幼い姿を映し出しすスクリーンの役割をしているかのようです。

咲き誇るバラを前にして、人は顔を近づけて香を嗅がずにいられないもの。

嗅覚を鋭敏にして深く息を吸い込むと、人は、何か遠くの記憶がよみがえるような、懐かしいものを見るような表情になるのです。誰もかれもがバラを介して微笑みかわす。その光景は一足先に天国に迷い込んだかのよう…。または天国シーンの映画撮影に迷い込んだか…

 

一度、花が語りかけてきたことがあります。父が亡くなり、火葬場の空きを待つ数日間、遺体とともに過ごした時のことです。

亡くなった後、2日目あたりに遺体の顔が生前以上に生き生きと輝いた時期がありました。不思議と肌がつやつやとあかるく輝いているのです。しかしそれは束の間で、物質に帰り始める「かげり」のようなものが、その頬にあらわれてくるまでにさほど時間はかかりませんでした。

そんな数日間を過ごした後、公演の稽古をしに、ある公民館へ出かけました。稽古を終えて帰るとき、ふと生けてある花の前で足を止めました。その時、花が私の中にスッと入ってきたのです。花がまるで人格をもった存在のように、私に言葉ではない何かを伝えました。私の中に花の存在が移動してきた、とでも言ったらよいのでしょうか。

そしてその時、自分の中のほとんどが「死」で占められ

ていることに気づきました。干からびかけた土に生命の水が流れ込んだような体験でした。

バラを見る時、冒頭にあげたシュタイナーの言葉が、なぞのように思い出されます。

 

 

 

Rosa Red Chateau01

 

 

「よみがえりの風」打ち合わせ

先週の土曜日は、ピアニストの二瓶通さん、オイリュトミストの定方まこと、鯨井謙太郒と私の4人で次回公演の稽古打ち合わせ。

休日の新宿歌舞伎町の賑わいを肌に感じつつ、台湾料理「青葉」へ。地階の店舗に腰を落ち着け久しぶりの歓談。今回の公演タイトル「よみがえりの風」が、二瓶氏のつむじ風のようなオーラと重なり、身の引き締まる思い。二瓶氏はミステリアスでドラマチックな雰囲気をまといながら、牧歌的でもあるという不思議な人柄。今回どんな演奏をされるのか楽しみです。打ち合わせではさまざまなイメージがつながり、つくづく作品タイトルというのは内容をひっぱっていくものだと思わせられました。今夏は大曲に挑むことになりそうです。

公演情報

8月20日(土)福島市 本法寺

「よみがえりの風」

http://fukukotonoha.net

 

詳細が決まり次第、こちらのページでもおしらせします。チェックよろしくお願いします!

 

IMG_8441
ピータン粥、美味でしたご馳走。。

 

《最新公演情報》

詩人×オイリュトミスト×音楽家による 福島うぶすなフェス 「よみがえりの風」

詩と踊りと音楽によるコラボレーション 奇跡の一夜 福島からエネルギーをー。

日程 2016年8月20日(土)
会場 福島市 本法寺(〒960-8036 福島県福島市新町8−12)

出演

オイリュトミー
野口泉 鯨井謙太郒 定方まこと

詩 及川俊哉

ピアノ 二瓶通

http://fukukotonoha.net

yomigaeri

yamigaeri2

祈り

 

熊本の人のために祈りはじめると最終的には自分が癒されている

人のために何か行為することは そのことが自分に必要だからするのだと思う

そういう意味では結局じぶんのことになる

思い浮かべたイメージ、思考内容はじぶんのうちで生き物として立ち上がってきて、じぶんじしんに確実に作用をおよぼす

そのとき距離が消えて現在しかない

祈ることにやりかたなんてないし、本当にやりかたはどんなでもいい

ただやってみないとわからない

やってみて なにが出てくるかもわからない

人は本当にふかいところでは利己的であるということはありえない

自己が同時に他者でもあるところでは

表層の議論にまどわされて人を批判の気持ちで見ないこと

 

春に思うこと

 

あらゆる事象と対話が必要だ
言葉を持ってしても しなくても
狂人の独白を聞きとるように 桜の散るを聴き
宇宙の呼吸が四季であり
肺から押し出される言葉の一つ一つが 実りの果実であり
花弁の一つ一つさえ 意思があっての落下を落ちている
姿は変われども語られた言葉は決して消えず
流転する呼吸の中に時を超えて蘇る
それらに耳を塞ぐ鳥はいないのだから
こちらがただ耳をひらくことが必要なのだろう

 

彼らはいったい何を吊るしたのか? 映画『ヘイトフル・エイト』における首吊り

映画を見ることの醍醐味の一つは、普段じっと見ることがはばかられる他人を心ゆくまで凝視できるところ。

そして本来映画は、ただ遠くから人がこっちへ向かってくるだけでおもしろい、馬車が走ってくるだけでおもしろい、空から光が差しているだけでおもしろいものだ。こんな感覚は、映画黎明期にはもっと感じられたのだろう。当時(1895年)は機関車が走ってくる映像を見て観客は逃げ出したというのだからものすごい映像体験だったことでしょう。

さて、現在公開されている『ヘイトフル・エイト』。この作品は70mmフィルムで撮影されているそうだ。今はデジタル撮影も多いけど、往年のフィルム映画は35mm。私も学生時代、切れ端を触ったことがある。

日本では70mmフィルム上映はされていないので、私が見たのももちろんフィルムのデジタル変換上映。それでさえ、人や馬や山が写っているだけで、飽きない、というかアグレッシブに映像が語ってくる、というか、ただ、ひたすら映像がおもしろい!そんな気分が少し感じられたのだから、実際の70mmフィルムの上映を見たら、さぞかし興奮するのではないかと思う。機会あればぜひ体験してみたいものです。

さてここからネタバレがあります↓↓

絶対に映画を見てから読んでください!!

この映画の主だった登場人物、9人の役割を把握してみました。

1.の主人公が黒人で、あとは7.のメキシコ人を除くと他は一応全て白人です。一応、というのは、5.の女死刑囚は、6.7.8.の手下を内包しており、その中に7.のメキシコ人がいますので、一概には白人的存在と言えず、また女性であることもあり、グレーの存在、多くのレイヤーを持った存在であると言えます。

hateful8

物語上では、加害の方向性が複雑ですが、整理すると上記のようになるかと思います。まず、1.~4.までのチームと、5.~8までの二つのチームに大別することができます。(女死刑囚の弟は、女死刑囚とほぼ同一の役割として5.の中にまとめる)

そして次に、この関係性を陰陽図に当てはめてみたいと思います。

元極図

仮に1.(2.4.)の黒人賞金稼ぎ側を陰のエネルギー、3.9.の南軍派を陽のエネルギーとします。この二つが拮抗しながら物語の有限世界をかたち作っていきます。

さらに、陰の気が極まったものとしての陰中陽としての9.(バトンルージュの戦いでの黒人の大量虐殺)、陽の気が極まったものとしての陽中陰に1.(脱獄に伴う白人捕虜の大量虐殺) を置くことができるかと思います。1.の黒人賞金稼ぎと、9.の老将軍の対決は、まさに二つのカルマの極まった姿であり、作品中でも最もエモーショナルな場面でした。

そして、これら二つの拮抗するエネルギー全てを内包している、カオス的存在として5.(6.7.8.)があります。この部分は、有を含んだ無であり、無を含んだ有。善悪の判断のない世界、「混沌」です。登場人物では女死刑囚がそれを代表した存在であると言えます。

物語のラスト、瀕死の重傷を負った1.(元北軍少佐の黒人賞金稼ぎ)と、3.(元南軍くずれの略奪団の白人保安官)は、5.(女死刑囚)を吊るし上げます。

この映画の時代背景でもある1870年頃のアメリカ西部を舞台とした西部劇では、処刑の方法として、首吊り(絞首刑)がよく見られます。フランスでは、1791年に法改訂されるまで、八つ裂きの刑、車裂きの刑、絞首刑などが主な処刑法であり、それらは、苦しみを長引かせる非道な処刑法であるとされていました。その後、フランス革命時に「人道的な」処刑法として、ギロチンが誕生してからは、フランスの処刑においてはギロチンが採用されるようになりました。苦痛を味わう時間が短く、大がかりな装置が必要なギロチンは一台の制作費も莫大なものであり、当初は貴族の処刑専用のものだったようです。それに反し、装置がほぼ縄のみで事足りる首吊りは、アメリカではその後、100年あまりの時代を扱った西部劇において、象徴的に描かれています。

ギロチン的な死と首吊り

この映画の中で、銃による死は、より「一瞬の」死であり、特に頭部を狙ったものは「瞬殺」の部類に入ります。これはあえて分類するならば、「ギロチン的な死」であると言えます。

それに対して、首吊りは、特に高いところからの重力落下を伴わない、地面から吊り上げる方式のものは、窒息までの長い苦しみを特徴としています。

そして銃殺は血が流れることによる死であり、首吊りは呼吸を失い、言葉を失う死です。指向性としては、銃殺は下向きの流れ(血を失い、地に堕ちる)、首吊りは上向きの流れ(呼吸と、それに伴う言葉を失う、天へ登る)であると言えます。

女死刑囚の大きな特徴は口が悪い、というものです。その口の悪さのために、終始殴られているほどです。しかしその悪態は捉えようによっては生への祝福とも言えるものであり、その口は、劇中では、この上ない響きの歌を奏でるものでもあります。この人物は最後、その喉を塞がれ言葉を失い(言葉を天に供犠する、捧げる)ます。

hateful2

女死刑囚が、黒人賞金稼ぎと保安官に吊られた時、女死刑囚の右腕には、切断された首吊り人の左腕が手錠で繋がれていました。首吊り人は「リンカーンの手紙」に心から感動する、「言葉」・「理念」を信奉する存在として描かれています。(「首吊り」という処刑方法(理念)にこだわることが首吊り人という名称の由来になってもいます)

女死刑囚と首吊り人は、このような意味で、天へ連なる存在、純真なる魂として共通した存在です。

この絞首刑を扱ったラストシーンでは、一見、「女死刑囚、首吊り人」が吊られ、「黒人賞金稼ぎ、保安官」が吊るという構図が見られます。しかし、吊り上げている側の二人も瀕死の状態であり、間も無くこと切れるであろうことは間違いありません。この、吊り上げるという作業のために、明らかに自らも死への加速を早めています。では、なぜそんな面倒なことを最後にしたのか。

それは、「女死刑囚、首吊り人」を吊り上げることによって、首吊り人が最後まで信じた「理念」というものの実現へ、自分たちをも引き上げる作業ではなかったか、と思います。ここにおいて、贋作であった「リンカーンの手紙」は真作になったのだと思います。吊っている方が吊られているのか、吊られている方が吊っているのか、わからない。

もともと混沌存在であった円形(5.)から、陰なる力(1.2.4)と、陽なる力(3.9.)が派生し、その力が拮抗し極まると、新しい混沌(5′.)が生まれ、さらにその中に拮抗する陰と陽が生まれていく。しかし新しく生まれるのは、その都度、進化・深化した世界である。その、新しい理念の世界を生み出す儀式であるかのような、どこか神聖とでもいったらいいような空気の漂うラストシーンは素晴らしいものでした。

上村なおかさんのソロダンスを見てのメモ

炭鉱のカナリアは、人間より早く空気の変化を感じて声をあげるのか、声を上げなくなるのか、どっちかわからない

訳のわからない「かんかく」をわけのわからないまま、どうどうと告げる、そのたしかさ、ゆるぎなさ

ダンスは、ダンサーを見るものであると同時に

自己を見出すもの

踊るダンサーを千の目で見ること

イコール、自分を世界に対して千の方向から開くこと、

その行為に飛び込むこと、

自分を八つ裂きにすること、

自己の内臓を冷めた目で見ること

フェリーニのローマ(1972)の中に、ローマの地下鉄開通工事が延々と進まない光景がでてくる。数メートルごとに遺跡にぶつかってしまう為だ。

ある時、古代の壁画が色鮮やかに残る巨大な洞窟に掘り当たる。

ほぼ完璧な状態で残された古代の回廊。しかし、感嘆する研究者の前で、穿孔機の開けた穴から流れ込んだ外気が洞窟を満たすにつれ、壁画はゆっくりと砂となり崩れ去っていく。。。

たった数分間のあいだに、壁画には二千年の時が流れ、空気に触れて、止まっていたものが動く、消えていくもの、凝縮された時間、濃密さ。存在と、非存在。あること、と ないことは密度が違うだけで、おなじことではないのか 

ラストの数分間のうごきはそんな古い映画をおもった

「肉体をどんなにマシンガンでブツブツにしたとしても」

先日の甲府でのワークショップと世田谷美術館のイベントの準備で時間が取れず、購読しているメーリングリストなどをなかなか開けずにいた。

昨日、やっと3月3日付の「テネモス通信vol.37」を開いたところ、3月1日に飯島秀行先生が死去されたことを知った。

 以前の同mlにて、飯島先生が、2月の末に無料で連日講義をされるという情報は知っており、ただ事ではない空気を感じていた。聴きに行きたい気持ちでいたが調整できずに叶わなかったのが残念でならない。

2月29日まで講演をされて、3月1日に亡くなられたというのは言葉を失う。

人間の寿命は自分の意思で決めるものだ、と先生が仰っていたその通りに体現された。「自分が治ることが目的ではない、医者の意識を変えることが目的だ、と自我ではなく全我を通された」とのこと。そのような気持ちで病院に通う人がいたということに驚く。自分はどうだろう。

「この世に抹殺できるものは1ミリもない。こわすことができるのは有限性の世界だけ。肉体をどんなにマシンガンでブツブツにしたとしても無限性の世界は1ミリもこわれない。」

先生のたくさんの言葉が自分を支えてきてくれたと思う。

環境としての「おかあさん」/AIRY ZOO PROJECT「甲府動物園映画上映&ワークショップ」終了しました

AIRY ZOO PROJECT「甲府動物園映画上映&ワークショップ」

アーティスト・イン・レジデンス山梨 によるイベントの詳細なレポート↓↓

ZOO PROJECT

からだとうごきのワークショップを終えて

今回のオイリュトミーワークショップは、おやこ向けクラスとおとな向けクラスのふたつ。ちいさな子供に向けて何かを行うことは、とても大きな責任をともなうので、私にとっては難しい課題。どうしたら誠実な態度で子供という存在の前に立てるのか。その答えをさまざまな書籍や、幼児教育の先輩に求めた。最終的に、自分のなかの「幼児」的なるものに出会う、よい経験になった。

 

シュタイナーの幼児教育に関しての書籍のなかでも、『霊学の観点からの子供の教育』は非常に興味深く読んだ。シュタイナーの1906年の講演をまとめた内容。

この本をとおして、すっかり忘れていた自分の子供時代の感覚がよみがえり、大人は子供がメタモルフォーゼしたものであるという、ふつうのことを改めて思った。そして、そんな視点を心のなかに持つと、道行くさまざまな年代の人のなかに、その人の幼児の姿が垣間見える。

 

「7歳まで(歯の生え変わるまで)の子供は、完全に環境とひとつになって生きています。その意味で、子供は全体が感覚である、と言ってもいいくらいです。」同『霊学の観点からの子供の教育』より 

 

この甲府での幼児向けのオイリュトミーのために、これらの言葉に触れるうちに、ある時、おもいがけず、自分の「幼児」の時の「おかあさん」に対する愛情の感覚を再体験することになった。

今となっては、母親を、一人の歴史を持った他者として相対することができるが、「幼児」にとって「おかあさん」は自分のすべてといってもいい。「環境」の大部分とは母親のことである。

「幼児」の自分が「おかあさん」を、どんなふうに、どれほど愛していたか、環境から切り離された「個」ではなく、「環境とひとつ」である、という感覚がどんなものだったか。それを再体験できたことは自分にとって大きな出来事だった。この感覚が、自分にとっては、特に、オイリュトミーの朗唱で発声するときに、とても重要なものになった。

 

オイリュトミー版「日本国憲法を踊る」

 

今、4月28日の オイリュトミー版「日本国憲法を踊る」公演の稽古をしています。

「日本国憲法を踊る」は2013年の秋に笠井叡先生がソロダンス公演として踊られ,その後14年、15年と憲法記念日に再演されています。

私の中で2013年の初演は特別なもので、作品の内容もですが、会場の空気含めて、没時空的な体験として今も強烈な印象が残っています。終演後、「今作以上のダンス公演に出会うことは今後二度とないだろう」と、雨に煙る横浜の埠頭を眺めながら熱い涙を流した記憶があります。

さて、憲法改正の是非が叫ばれる昨今、私自身も、第二次大戦敗戦後、GHQが制定したとされる日本国憲法に対する日本人としてのアイデンティティーに少なからずゆらぎを感じる部分を否めずにいました。しかし昨晩、公演チラシが出来上がってきて、そこに記された笠井叡先生の文章を読み、そのアイデンティティー不在さを生み出している源泉がはっきりもし、自分がなぜこの時代に日本人として生まれてきているのか、ということに対しても自分なりの納得する答えを得ることができました。(この文章は非常に重要な内容だと思いますので下の方に書き起こしてあります。)

昨年末、オイリュトミー版「日本国憲法を踊る」の稽古が始まり、憲法を読めば読むほど、絶望と怒りがこみ上げてくるという経験がありました。なぜなら憲法を実際声に出して発声してみると、そこに掲げられている高い理想が一切実現されていない現状が、自分の声帯を通して身体的に迫ってきたからです。現代社会はむしろ急ピッチでこの理念と正反対の方向に転げ落ちて行っているというのに、なんなんだろう自分の発声しているこの現実味のない宇宙語のような文言は…という驚きに似た怒りと困惑。しかしその現実味のなさがむしろ「理念」としては現実味を帯び、自分の中で「存在」し始めたのです。

今現在の日本において、「自由・平等・博愛」という輝かしい理想を掲げるほど、人間の不自由さ、差別、憎しみといった影の部分が浮き彫りにされるだけであり、そんな理想を掲げることには何の実用的意味もない、誰も救われないし馬鹿げている、という立場に立つことの方が理にかなっているのかもしれません。しかし、はっきりしているのは、その高すぎると思われる理念に自分を引き上げて行かなければ今後自分自身が確実に堕落していくだろうということです。

 

さて、今回のオイリュトミー版ですが、出演者がぐっと増え、総勢22人が舞台上に会すこととなります。オイリュトミー公演の規模としても、このような機会はあまりないと思います。ぜひ会場に足をお運びいただければと思います。

 

天使館オイリュトミー・グループ公演

オイリュトミー版《日本国憲法を踊る》

□2016年4月28日(木)国分寺市立いずみホール

□前売り:2,700円 当日:3,000円

□開場19:00 開演19:30

□構成・演出/笠井叡

ご予約→info@akirakasai.com

IMG_20160209_0001_NEWIMG_20160209_0002_NEW

(チラシ裏面書き起こし)

日本国憲法の淵源を辿ろうとしますと、それはいつしか歴史とカラダの闇の中にまで入り込んでしまうほど、深いものでしょう。「自由・平等・博愛」という、人間の本性を、初めて憲法精神と結びつけたのは、モンテスキュー(1689~1755年)と言われています。モンテスキューが初めて少人数の仲間たちにこれを語って以来、その精神はやがてフランス人権宣言(1789年)や、或いはアメリカ合衆国憲法(1788年)を支えるものとなりました。しかしそこでは自由と平等は人間の権利と結びつき、高らかに謂われましたけど、「博愛」の精神は合衆国憲法にも人権宣言においても、盛り込まれませんでした。なぜなら、「無償で必要なところに必要なものをプレゼントする」という経済生活の根幹である「博愛」(完全な社会保障制度)が、もし憲法化されるならば、戦争など行うことは不可能になります。日本占領下のGHQのメンバーは、このフランスにおいても、アメリカにおいても実現されなかった、完全な理想主義精神を、この日本国憲法の中に実現しようとしました。ですからGHQが日本国憲法を作ったのではなく、それは歴史の地下水として流れている「自由・平等・博愛」の精神を、地上に引き上げるためのポンプの役割を果たしたのです。精神生活における自由と、国家・法生活における平等、経済生活における博愛は、単に社会生活の根幹であるだけでなく、人間のカラダを支える根源の法則であると言えます。今回、オイリュトミー公演において、日本国憲法を取り上げたのは、政治的な衝動からではなく、私たちの方だを支える衝動としてこの憲法を捉え、それを舞台作品として上演したいと思います。内容は、大日本帝国憲法(明治22年)から始まり、フランス人権宣言、古事記冒頭の国産みの神話、天皇による玉音放送を経て、昭和21年公布の日本国憲法にまで、カラダとコトバを通して、表出してみたい、と思います。 笠井叡

(敬称略)

甲府動物園映画上映&ワークショップ

甲府動物園映画上映&ワークショップ 

3月5日に甲府でオイリュトミーのワークショップを行います。

おやこ向けクラスとおとなクラスのふたクラス。どうぞふるってご参加ください。

 

AIRY ZOO PROJECT 「甲府動物園映画上映&ワークショップ」

3月5日(土)甲府市役所1階 市民活動室 入場無料

 

映画上映  10:00~12:30  ※全編20分55秒の映画は繰り返し再生されます。

 

からだとうごきのワークショップ 

13:00~14:00 おやこ向けクラス

14:30~16:30 大人向けクラス  (詳細は下のほうをご覧ください)

 

甲府市遊亀公園付属動物園に関するドキュメンタリー映画の上映とオイリュトミーのワークショップです。映画、ワークショップとも入場無料となりますのでふるってご参加下さい。※ワークショップは参加申し込みが必要となります。

 

下記を記載の上、お申し込みはメールでどうぞ

 airy@air-y.net

 

件名:ワークショップ申し込み

氏名:(フリガナ、漢字)

性別

ご住所

電話番号

参加ワークショップ名:おやこ向けクラスor大人向けクラス

 

 

【おやこ向けクラス】3歳から小学生

動物の童話を動いてみよう

13:00~14:00 定員20名 要申し込み

 

【大人向けクラス】

五感を拡張してみよう 

オイリュトミーワークショップ 動物と人間、ヨコの力とタテの力

14:30~16:30 定員20名 要申し込み

 

※両クラスともにピアニストの伴奏あり。

 

 

講師プロフィール 

野口泉

オイリュトミスト。2002年より舞踏家笠井叡に師事、オイリュトミーを学ぶ。オイリュトミーシューレ天使館第三期及び舞台活動専門クラスを経て、愛知万博「UZME」(2005) 高橋悠治演奏「フーガの技法とオイリュトミー」(2008、2010)、「ハヤサスラヒメ」(2012)、「蝶たちのコロナ」(2013~2015)、「毒と劔」(2015) など国内外の様々な公演に出演。放射能からいのちを守る山梨ネットワークいのち・むすびばとの共同公演「アシタノクニ」(2011)や、人形劇「きつねおくさまの!ごけっこん」、シュタイナー農法研究会(「種まきカレンダーを読み解く」)などを開催。オイリュトミーに関わるイベントを企画する「レムニスカート」を主宰。次回出演は2016年4月28日オイリュトミー版『日本国憲法を踊る』

 

甲府動物園おもて 甲府動物園うら