2016年、年明けて間もなく、4月28日に西国分寺のいずみホールで行われる『日本国憲法を踊る』公演の稽古が再開した。憲法第九条を動いてる時、思いがけず込み上げてくるものがあった。というのは、この第九条で言われている内容が、あまりにも現実と乖離しているという現状をいやというほど感じさせられるからである。
このあきらかな乖離のために、まるで泥の中の蓮の花のように、第九条が一つのイデアとして異様な輝きを持って迫ってくる。いったこれは何を源泉としてもたらされた言葉なのだろうかという疑問が湧いた。
稽古では自らが発声しているのにもかかわらず、死者からの声を聞いているような、ひたすら苦しみの中で死んでいった魂たちに動かされているような不可思議な空気が流れた。
黙読や音読だけでなく、体を動かしながら言葉を体験するオイリュトミーの稽古では、皮膚感覚や内臓感覚を通して、思考内容が、耳を通した頭部のみならず胸部、肢体系、呼吸から血液系にと複合的な強度を持ってダイレクトに響いてくる。
そんな感覚も単なる思い込みであるとも言えばそれまでだが、どのような直感にも数パーセントの真実が含まれているものだ。
第九条(抜粋)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。