

自分がスパイスを挽いてカレーを作ることがくるなんて考えてもみませんでしたが、
こうもりクラブの三上さん、清水さんに影響され最近作ってみています。
(上記の写真は二人の合作カレー)
今まで知らなかったカスリメティーの香りに新しい食の世界が拡がります。

こちらはレシピ本を見ながら作った自作のチキンカレー
インドの屋台の動画を見始めると止まらない。たまらない格好良さがあります。
自分がスパイスを挽いてカレーを作ることがくるなんて考えてもみませんでしたが、
こうもりクラブの三上さん、清水さんに影響され最近作ってみています。
(上記の写真は二人の合作カレー)
今まで知らなかったカスリメティーの香りに新しい食の世界が拡がります。
こちらはレシピ本を見ながら作った自作のチキンカレー
インドの屋台の動画を見始めると止まらない。たまらない格好良さがあります。
散歩の途中で道に迷うことがある。
スマートフォンで地図アプリを開くのも良いが、そんな時は人を選んでついて行くのが好きだ。
とりあえず目的を持って歩いている人は何らかの目的地に到達するはずで、その人の後を追っていけば自分も何らかのはっきりとした場所へ辿り着ける。
背広を着て書類カバンを下げた人が夕方の五時過ぎに早足で歩いていたら、行き先は駅だから安心してついて行けば良い。
駅へ着いたら背中にそっと「道案内をありがとう」と言い、別の道を行く。
こうして私は知らない土地で最寄駅への独創的な抜け道を知ったことが何度もある。
目的を持たずに歩いていると周囲の人を不安にさせてしまうかもしれないとの懸念から、何らかの目的地を目指しているようなふりをしながら歩く。
目的が途中からできることもある。
多くの人は目的地を定めた歩きをしている。
だから安心して人の後をつけて行っても大丈夫なのである。
稽古のない期間に基礎体力が落ちないように散歩を初めて三ヶ月ほど経つ。初めのうちは3~4km歩くと疲れてカフェで休んでいたが、今はなんと8kmくらいは休憩なしで歩けるようになった。
人の歩く時速は平均4kmだそう。つまり1時間で4kmくらいは歩ける。それは4km歩くのに1時間かかるということ。私としては大体1日に8kmくらいは歩きたい。8kmを歩数に直すと約12,000歩。時速4kmの速さで歩いていると2時間はかかってしまう。帰りにブックオフをのぞいたり、食品の買い物なども済ませると、なんと散歩に3時間弱かかってしまう。この時間を、1日の仕事のスケジュールにちょうど良く組み込んでいくのがなかなか難しい。
一度自分の時速に挑戦してみたところ6.2kmまで出せたが、それ以上は無理だった。歩行と走行の境目は時速7kmだそうなので、その速さで歩くには競歩のフォームで歩かなければ無理だろう。
歩くのではなく、走れば時間短縮になるのだが、自分の中の歩きの体験が横溢したときに自ずと足が走り出すだろう。歩いている最中、そんな予感が時々ある。走るのはその時まで待ちたいと思う。
しばらくは長い散歩を楽しみたい。写真はそんな散歩の途中で出会ったん牛と羊!
二作品とも人間の身体に対して別の存在を設定して、そこから人間というあり方を問い直すような作品だった。一つは棒という物質。一つは苔世界という概念。
また一部同じ舞台装置を使っていることもあり、同じコンセプトを全く違ったかたちで表しているようにも見えた。
踊ることが、自己のうちの感情を表現する自己表現ではなく、異なったフェーズから人間を照らし出す一つの方法となっているところがすごく今っぽい感じがした。
『never thought it would』では、衣装が無機的に統一されている中、ダンサーの頭部にとても強く観客の視線を集中させる演出があった。舞台装置の棒状の木材(=首から下の身体)と、有機的で個性に溢れたダンサー三名の頭部の対比に、どうしようもなく断頭をイメージさせられた。
木材にとっての頭部は、それを操作する人の意識であるとすると、こちらははじめから断頭された存在であるとも言える。
純白の衣装が点滅するライトで、正反対の黒性を帯びるようすも、ISILの動画を想起させた。人間にとって頭部とはなにかを考えさせられた。
『幽霊、他の、あるいは、あなた』は、はじめから最後までとても有機的で、しぐさのひとつひとつが慈愛に満ちた印象でずっと見ていたが、いつのまにかパフォーマンスが終わっていてあまり記憶がない。カーテンコールを見ながら、なにか素晴らしいものが地続きで自分の足もとまで降りてきたような。終演後もっとぼーっと空を見つめていたかったが、緊急事態宣言下なこともあり、そうもしていられない。
帰り道、野毛ホルモン通りの喧騒を体感したくて行ってみるも、やはり二十時で全て閉店していて寂しい限り。空中で何かが試運転中でした。
どうしても一人で見たい映画のジャンルがある。
人生においてあまりにもひどいことが起こりすぎて精神的にどうにかなりそうな人たちが過ごす日常の風景が描かれている。
ものすごく悲しく、同時にものすごく美しい。ジョニー・グリーンウッドの音楽がそのガラスのような感覚の質感を千差万別に変化させている。
幼い時に虐待を受けた記憶の中で、凶器はハンマー。トンカチ。金槌。殺し屋となった自らが選んだ凶器もハンマー。とんかち。カナヅチ。
ちなみに思い起こす人が多いのは『オールド・ボーイ』も凶器がトンカチだということだ。ハンマーは頭部を連想させる。頭部という人体において個人を表象する象徴的な部分。それの破壊。アイデンティティ、精神性も粉々にするというメタファーか。それほどに幼児期の心の傷が深いことがうかがえる。
人混みの中で、カメラを意識して避けている一般人が写ってしまっているシーンがある。監督と俳優が二人だけ、ないし少人数で雑踏の中で撮影しているのだと思われる。
自らが手を下し今にも生き絶えんとする人物と床に横になり手を握って「I’ve Never Been To Me」(「私はいろんなところに行っていろんなことをしたけど私自身には出会えなかった…」という内容の曲)を歌うシーンが異様だが、もっとも美しくもある。
極限状態のどうしようもなさがここまで簡潔に描かれているシーンがあるだろうか。
この先にどんな景色が待っているんだろう。
そんなふうに想像させる道が一番好きだ。
たとえ平凡な風景が広がっているだけだとしても…ね!
タルコフスキー映画はなかなかサブスクリプションにないので、ユーチューブで、日本語翻訳のないものを英語字幕にして見ることになる。
これがとても良い。
普段は外国語音声、日本語字幕で視聴というのが当たり前なので気付かなかったことだが、日本語字幕を読みながら映画を見るというのはなかなか知的な作業をしているようなのである。
英語が堪能でないため、英語字幕だと、文字の内容を知的に理解するというより、半分イメージを受け取っているような感じになる。
タルコフスキーのような、もともとストーリー展開を追って楽しむタイプの作品ではない場合、こちらのほうが映像世界に入り込めるような気がするのだ。
映像がものを言う作家の場合は特にそうだ。タルコフスキー映画の場合、たとえ日本語字幕で読んだとしても内容を理解できているとは言い難い。むしろイメージと耳からの言葉の響きを強く受け取ったほうが作品に近づけるのかも知れない。
私にとってタルコフスキー映画は薬である。
枯れた泉がよみがえり、干上がった水脈が再び浮き上がって各所に散らばった記憶を結びつけるような作用がある。
しかも強く長く効く。
私の密かな楽しみである。
山道を歩いていたら茅葺き屋根の立派な家があった。
家の前の道は藪に挟まれて狭い。
そこに人体型ロボットがいて、薪を割っている。
真っ黒で関節が全て球体で出来ているタイプ。身長は170cmくらい。
道が狭いため挨拶を避けられない状況に。
目線の交差後、握手をする流れになった。
小指から二本、二本、一本の順に指を握ってくるのだが、力の加減が非常に適切に調整されていてそれがとても怖い。
「適切に」“粉砕“することも可能なことを想像させるかからである。
そんな夢を見たんです。
アスベスト関連の疾患にかかったら、まずは労災の申請が可能かどうかを調べてください。
従事していた職場等においてアスベスト暴露があったことを特定できれば労災を申請することができます。直接労働基準監督署へ出かけて行く方法もありますが、罹患が判明した直後に本人が一人で労災の書類を揃えるのは負担が大きいため、以下のような組織に相談されると良いと思います。
中皮腫・じん肺・アスベスト センター http://www.asbestos-center.jp/
アスベスト被害の相談ホットライン 03-5627-6007 午前10時から午後5時まで
独立行政法人環境再生保全機構 https://www.erca.go.jp/asbestos/
尼崎労働者安全センター http://www7b.biglobe.ne.jp/~amasafe/html/index.html
首都圏建設アスベスト訴訟統一本部 http://shutoken.kensetu-asbestos.jp/
オーストラリアなどのアスベスト訴訟先進国では、過去居住していた空間にアスベストが使われていた場合、その建物の管理者を特定し訴訟を起こすということが一般的だそうです。その場合ほぼ100%勝訴し、賠償金を治療費に当てる流れができています。残念ながら日本ではまだそのような機構は出来ていません。
アスベストは燃えにくく丈夫で安いため、1970年代以降、高度成長期の街づくりに非常に多く使われました。日本ではその危険性が明らかになった後も使用が続けられ、欧米諸国に20年ほど遅れた2006年に全面使用禁止となっています。
そして今、日本の経済成長を下支えしてきた建設業従事者の多くや、アスベストを使用していた住宅に住んでいた方たちが中皮腫を発症しています。また、作業着の洗濯をしていた家族が間接的に吸引し発症する例も確認されています。今後も2035年をピークに、さらにその数は増えていくと言われています。
記憶に新しいところでは、今年6月の横浜市営住宅の50代女性の中皮腫発症のニュースがあります。また、2020年開催予定であった東京オリンピック、新たな都市部再開発に向け古い建物を解体する中、アスベスト飛散問題は深刻です。そこで危険にさらされるのはまず現場作業従事者です。彼らの安全はちゃんと保たれているとは言い難く、1999年の文京区さしがや保育園での園舎改修時の園児アスベストばく露事件に見られるように、近隣住民が危険と隣り合わせであるということも明白な事実です。また災害時に倒壊した建物から出るアスベストを含む有毒ダスト問題も議論されていません。
アスベストは古代エジプト時代から人類に利用されてきた非常に使い勝手の良い便利な鉱物です。日本では石綿(いしわた・せきめん)とも呼ばれており、1950年代から約50年のあいだ、建物のいろいろな所に大量に利用されてきました。
「アスベスト」という呼び名は無機繊維状鉱物の総称で、その中でも鉱物によってクリソタイル(白石綿)、クロシドライト(青石綿)、アモサイト(茶石綿)などに分類されます。
・とても丈夫
・熱に強い
・燃えにくい
・音を遮断する
・値段が安い など
このように、便利な所がたくさんあったので、大量に輸入し、戦後復興期の日本のまちづくりに役立てました。水道を町中に整備したり、住宅、オフィスビルを作ったりして高度経済成長の下地をつくったのです。
鉱物標本などで見る事ができるアスベストは何千本もの繊維がよりあわさったものであり、私たちの眼にはふわふわした、あるいは針状の細かい繊維のように見えます。しかし空気中にバラバラに飛びだしてしまうと、アスベストの粒子は 0.02 ~ 0.2 μmのとても細かい粉末になってしまいます。これは髪の毛の5000分の1の大きさであり、私達の眼には見えません
↑
世界各地にある、アスベスト鉱山から来ました。もともとはこんなかたちの岩石です。→クロシドライト原石 写真
(写真:アスベストセンターより、写真提供INRS)カナダ・南アフリカ・ロシアなどが産地として有名です。採掘されたアスベストは主に船に乗せて世界中に運ばれていきました。港に着いたアスベストはトラックに乗せられて神戸、大阪、埼玉、川崎などの原料加工工場へ運ばれました。そこでさまざまな建材や、布製品に加工されていきました。日本で利用されたアスベストも大半が輸入によるもので、これまでに総計1000万トンに達しています。
水道管、外壁材、屋根材、各種パイプなどの建築建材、
また布や糸に加工したものは、絶縁体、石綿パッキング、石綿布団、ブレーキライニング、電解隔膜などの原料となりました。
※2020年12月、ニトリやカインズホームの取り扱っている珪藻土バスマット等の商品にアスベストが混入していることが話題になっています。
通常の可燃ゴミの焼却温度(800°c~1000°c)に比べてアスベスト混入物は1500°cという超高温で焼却されます。廃棄する場合、通常の焼却ゴミとして出してしまうと二次被害に繋がってしまいます。廃棄する時は自治体に廃棄法を仰ぐか、通常ゴミと分別し、アスベスト含有商品であることを表記して出されるようお願い致します。
・悪性中皮腫
・肺がん
・アスベスト肺(石綿肺)
など、重篤な病気を引き起こすことが分かっています。いずれも、アスベストを吸引してから長い年月を経た後に発症する点で共通しています。
・悪性中皮腫
発症までの潜伏期間:40年程度
治療法:外科治療・抗がん剤治療・放射線治療など
肺は胸膜という膜につつまれていますが、この膜をおおっているのが「中皮(ちゅうひ)」です。この中皮細胞の“がん化”により生じるのが悪性中皮腫であり、とくに胸膜から発生する悪性胸膜中皮腫はアスベストとの深い因果関係が指摘されています。症状は胸の痛み・背中の痛み・呼吸困難であり、また発熱・咳を伴うこともありますが、一方で症状が無く健康診断で胸に水が溜まっていることを指摘されて病気に気づく場合もあります。
・肺がん
発症までの潜伏期間:30~40年程度
治療法:外科治療、抗がん剤治療、放射線治療
アスベストがなぜ肺がんを起こすのか、その詳しいメカニズムはまだ解明されていません。(近年BAP1という遺伝子が関わっているということがわかってきたそうです)しかし、肺に取り込まれたアスベスト繊維の刺激により肺がんが発生するとされています。ばく露量が多いほど肺がんの発生が多く、またアスベストの吸引に加えて喫煙の習慣が肺がんになるリスクを相乗的に高めることが知られています。症状としては咳・痰・血痰・胸の痛みなどがあげられますが、初期症状は自覚しにくく風邪やたばこを理由に見過ごされる場合があります。
・アスベスト肺(石綿肺)
発症までの潜伏期間:15~20年
治療法:咳・痰に対する薬の投与、呼吸不全に対する在宅酸素療法など、対症療法
粉塵や微粒子を長期間吸引したために肺の細胞にそれらが蓄積し、肺組織が線維化してしまう「じん肺」という病気のなかで、特にアスベストのばく露を起因としたものをアスベスト肺(石綿肺)といいます。アスベスト粉塵を長期間にわたり吸い込んだ労働者に起こる職業病です。症状は咳・痰・労作時呼吸困難などであり、アスベストのばく露を中止したあとでも徐々に進行します。また、肺がん・中皮腫・気管支炎などを併発することもあり注意が必要です。
「安くて便利な素材だったから」という理由です。経済的発展を優先しアスベスト使用を後押しした国と企業、作業従事者はその危険性を全く知らされていなかったという過去があります。
アスベスト吸引から発症までに長い時間がかかることを、国や企業は1950年代以前から知っていました。しかし、将来起こるであろう訴訟費用を考慮に入れても利益の方が格段に高かったため、規制することなく使用を続けました。 個人の健康よりも日本という国の経済発展を優先したのです。それを裏付けるかのように、多くの訴訟を抱えながらも近年過去最高額の売り上げを計上している企業もあります。
日本においては欧米から20年遅れ、2006年に全面使用禁止されました。しかし、
2012年から2016年に渡り、東京・大阪・神戸の税関をアスベスト名目の荷物が通過していたという毎日新聞の報道もあり、今後引き続きの注視が必要です 。
また、アスベスト使用禁止以降も既存の建物に使われたアスベストが今なお存在しています。
建物の老朽化による解体・撤去時に飛散する可能性も多いにあります。
実際に1995年におきた阪神淡路大震災において、がれき撤去作業に従事した方々の発病・労災認定が、震災後22年経った今になって増えてきています。
2011年の東日本大震災後の大気濃度調査においても、アスベスト除去現場における大量飛散が確認されていますが、環境省は「周辺環境への影響はなかったと考えている」と報道発表しています。
2020年のオリンピック開催に向けて、古い建物はどんどん壊され新しい建物に変わって行くことでしょう。その際に飛散するであろうアスベスト粉塵から身を守る方法を知っておく必要があります。
※2020年12月、ニトリやカインズホームの取り扱っている珪藻土バスマット等の商品にアスベストが混入していることが話題になっています。
アスベストの繊維は非常に細かいため、花粉症用などの簡易マスクでは効き目がありません。
アスベスト粉じん用マスクには日本の国家検定 DS2、アメリカのN95があります。
これらはホームセンターやインターネットで入手することができます。
マスク装着後、顔の正面からサッカリンスプレーを噴霧し、口中に甘みが感じられなければ、正しく装着出来ているということです。なかなかマスク使用だけではアスベストばく露は防ぎきれませんが、一つの手段としてご紹介します。
カルダモン、シナモン、クローブをいただいたので、りんごを煮ました。
自分は過剰に物語を摂取しないと生きる勇気が出ないタイプだ。
本、舞台、映画、等々。
そういうものにいつも触れていないと、どんどん視野が狭くなり、性格が悪くなり、外出もしなくなる。
最近、食事も、そうだと気付いた。
店自体や、そこで働いている人に物語があるから。
基本、一人で家にいつまでも退屈せずいられるけど、
だからこそ、やっぱり人と触れ合う機会がとっても重要。
会話したりハグしたりまでしないまでも、
人の作り上げた空間に身をおくこと。
人の作ったものを見ること、読むこと、
聞くこと、
味わうことも。
物語 を受け取ること。
いろんなところに出かけてみよう、
大いなる勘違いの旅だけど!
undone
「アンダン」とは「元に戻す」の意味。交通事故のショックから見えないものが見えるようになった主人公が時空間を自由に行き来する、半ば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的な、いわゆるタイムリープものの連続ドラマです。
一話が30分なので気軽に見始めて、エピソード1の全8話を一気に見てしまいました。
このアニメはロトスコープという実写をアニメに転換する手法が取られています。それが、何か独特の脳内麻薬的なサイケな世界観を醸し出しています。
主人公は全然お洒落でもなく、性格も攻撃的でやや高慢。誰にでもある(しかし普段なるべく出さないようにしている)、こういう部分を増幅したような女性です。ですが見ていくうちに、自分を偽らず、とにかく生き生きとして素直な主人公にどんどん惹かれていきます。
この主人公アルマが、物語冒頭でのあることに起を発する感情のたかぶりのまま車を暴走させ事故を起こします。
病院で目覚めたアルマは自分の周りの出来事が一定期間ループするようになり、時間軸が混乱してしまいます。
トム・クルーズ主演の、日本のラノベ原作映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(震えながら大爆笑できる好きな映画…!)と同じく、自分がたとえ死んでもリセットして失敗前に戻り、何度でもやり直すことができます。
感情を爆発させがちだったアルマは、病室でこの時間軸を操るスキルを上達させ、徐々に家族や恋人との関係性を修復していきます。
時に、主人公アルマのおばあさんが、統合失調症と診断された過去があり、お父さんはそのことについて調べている研究者でした。そんな来歴から、周囲の家族はアルマも統合失調症を発症したのだと思います。
しかし、当のアルマと観客である私たちに対しては、そこはボカされています。
はたしてアルマ(と、おばあさん)の特殊能力は、遺伝形質をなぞるだけのものなのか、はたまた非日常世界へと飛び立つ自由へのチケットとなりうるのか?
それは視聴者の想像力にゆだねられています!
https://bigakko.jp/blog/engeki2020_28noguchi
生西康典さんが美学校で行っている講座の「演劇 似て非なるもの」のリレーエッセイに寄稿しました。
生西さんの存在は学生時代からスタジオボイスの記事などで知っていて、映像学科の学生だった私にとっては、とにかく時代の最先端のVJの人、というイメージでした。あと勝手に名前の字面がミュージシャンっぽいと思っていました。
初めて生西さんの作品を見たのは2009年のラフォーレ原宿のイベント。知的で耽美的な作品でもちろん理解できないのですが、そのわかりにくさゆえに想像力をめちゃめちゃ刺激され、光と闇のビジュアルが強烈に残っています。
その後、ありがたいことにご縁を頂き、お会いする折々、クールな中にものすごい熱がある人というか、青の中に赤が燃えているみたいな印象を受けます。あと中国の深山幽谷で漢詩を読んでいる人のイメージもあります。ひょうひょうとしていて風を感じる人です。
『ルンペルシュティルツヘン最後の三日間 オイリュトミーによる試み』へご来場下さいました皆様、誠に有り難う御座いました。
出演者、スタッフ一同より最大限の感謝を捧げます。
舞台芸術を鑑賞すること、並びに舞台創作活動を続けていくことが困難な時代ではありますが、今後とも姿を変え、形を変え、皆様のお近くに出没するかもしれません。
その時はどうぞ宜しくお願い致します。
野口泉
今回、短い稽古期間ながらとても濃い時間を過ごさせて頂きました。三上周子、清水靖恵、二人のオイリュトミストが持ってきてくれる詩や曲のアイディアに「それいいね!それいいね!」と言っていただけの3ヶ月だったような気がします。
終演後はいつでも自分の踊りに満足することはありませんが、コミュニケーションを介した創作の可能性を探るよい旅となりました。結果はどうあれ最後まで一緒に駆け抜けることができて嬉しいです。
関係者の皆様、スタッフとして現場に入ってくださった皆様にも心より感謝致します。
どうも有り難う御座いました。
メルヘンを読んでいると、話の筋が意味不明であることが多い。
例えば、全く理不尽なわがままを繰り返すだけのお姫様が最終的に幸せを手に入れる、優柔不断で周囲のなすがままに行動してきただけの人物が富豪になる、というような場合である。
こうした点を考えると、メルヘンというものが現代の理性や常識の範囲内で何かを伝えようとするものではない、ということは明白である。
メルヘンにおいては一つの名詞に付加されているイメージが計り知れない深さを持っている。例えばきこりや狩人という職業には、人間の発達段階の終着点、「物質世界で独立する」という意味合いが込められる。反対に王様や漁師という職業は、天からの所与のもの(根源的な叡智、豊かさ)を無尽蔵に受け取ることのできる存在として描かれる。
『サウルの息子』という映画は、第二次世界大戦中のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、特殊部隊として同胞殺害に手を貸さざるを得なかった人物の一日半を描いている。この映画にはメルヘン的な名詞についての示唆が満ちている。
ゾンダーコマンドと呼ばれる特殊部隊は移送されてきた同じ民族である者たちを騙し、ガス室に送り、その死体を処理させられるという役目を負っていた。時には自分の家族の遺体を発見するという悲惨な状況もあったという。そして彼らもまたナチスによる大量虐殺の事実を知る存在として、数ヶ月後には新しく補充されたゾンダーコマンドに処理される運命であった。さらにソ連軍による収容所解放時には彼らはナチス協力者として処刑された。そのような極限下において主人公は徹底的に感情を殺し、何を見ても心を動かされなくなっていく。
あまりにも悲惨で非現実的な状況故に、この映画の中に現れる情景描写は、メルヘンの世界に見られる象徴的なイメージの本質と重なる部分が多くある。果てしなく続く灰の山、それらが振りまかれる底の見えない湖。森の緑、埋葬。
感情を閉ざした心にはこれらのイメージは何ら意味を持つことはない。だがそこから湧き上がる色、質感、温度は見るものの感覚において還元され、それらのイメージは他者の記憶の中で甦る。言葉や判断を押さえ込み、深みの中で共有される。
本来名付けようもない漠たるイメージに名前を与えること。ルンペルシュティルヘンはなぜ、他のどの名前でもなく、ルンペルシュティルツヘンという名前なのか。事象は名づけられることによって限定性を帯び本来のカオスは失われる。だがそのことによって時間が生まれ記憶が生じ、人間は分化・差別の世界へと進化していく。
私たちは進化と破滅のカクテルをがぶ飲みしながら、一方に不可解なイメージの世界を持っている。それは心臓の左右心室のように表裏一体の存在である。一定のリズムの中で時代という身体をかけめぐり、酸欠となればイメージの世界へ立ち返り、そこから再生する。『ルンペルシュティルツヘン』が名前を開示することで未来への希望が繫がれるように。
RUMPELSTILZCHEN LAST THREE DAYS
ルンペルシュティルツヘン最後の三日間
オイリュトミーによる試み
2020年10月30日(金)
17時開演(16時半開場)
くにたち市民芸術小ホール スタジオ
料金2,000円
中学生以上対象
出演
三上周子
清水靖恵
野口泉
朗読
井上美知子
演奏
ヴァイオリン 五十嵐和子
ピアノ 相沢裕美
チケット予約
koomoriclub@gmail.com
お問い合わせ
080-4206-0392
協力
月のピトゥリ
クレーシュすみれ
主催
野口泉
共催
こうもりクラブ
※10月31日(土)動画撮影のための無観客上演あり
若い頃、とんでもなくアホだった自覚がある人は、PTAの映画を見て涙が止まらなくなる恐れがある。
もちろん私は自覚がある。
全シーンの光や匂いすら感じ、全コマで泣き続けられる自信があるほどだ。
「我こそは」という人は問答無用で見てほしい。
「もっとパンケーク!」と叫んでいるジョシュ・ブローリン。
最近ではパク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』のハリウッドリメイク版での汚れ役っぷりが印象的だったが、本作でも複雑な人間の深みを出していて良かった。
「なんとも言えない感情」「言葉にならない情感」
いわゆる「エモい」感情を無表情の中に表現できるホアキン・フェニックス。
リン・ラムジー監督の『ビューティフル・デイ』もそんなホアキンの演技が素晴らしく、折に触れて見たくなる映画です。しかも音楽がジョニー・グリーンウッド。
もう戻ってこない昔の彼女が主人公の生きる原動力となっているという点において本作と共通している、ディヴィッド・ゴードンの『二流小説家』。
これも映画化されるならぜひホアキン・フェニックスにやってほしい。
と思っていたらすでに、上川隆也主演で映画化されていたことにビックリ!
八王子市に引っ越したばかりでとにかく自転車で走り回っていた時のこと。
初めて通る道や景色が新鮮で、何を見ても興味深い。
そんな中、ちょっとした山道で道に迷った。
起伏の激しい都道166号を上がり下がりしていると、
空中(と言っていいほど上の方)に、とにかく豪華な建築物を発見した。
細い車道を走りながらも興奮を禁じ得ない。
国連?もしくはそれ準ずる国際的な施設、もしくは一般公開されていない御所?
帰宅後Google マップで早速検索すると、
私は牧口記念会館というものを見つけたのであった。
オイリュトミーの発表会を見に八王子いちょうホールへ。
オイリュトミー集中コース発表会
救済の星 地球へ 遥かなる宇宙進化の道
笠井叡先生のもとで共にオイリュトミーを学んだ数名のオイリュトミストも参加しており楽しみにしていた公演。
シュタイナーの宇宙進化論から、憧れと供儀についてのイマジネーションに富んだ言葉が紡がれる。
どの作品も素晴らしかった!
12人のオイリュトミストたちは、動きのクセや自我の押しつけがなく、その上でそれぞれの個性が際立ち、静かに広がる慈愛の波がこちらに届いてくる。
一つの舞台でこのような調和を作り出すのは至難のわざであり、稽古はさぞ大変なものであっただろうと想像できる。
また、他者に対する思いやりがなければこのような調和の空気は生まれない。
自分のできない、目指すところでもある。
打ち合わせで集まったこうもりクラブですが、yasueの提案で浦山散歩に出かけました。水色のコースをゴー!
どっちに行こうかな
休憩の一コマ。起伏のある山道を歩くのは足首が柔らかくなって良いです。
何があったのか
豪快なカッペリーニをいただく(yasueめし)
藤野産の絶品ビールです
散歩のあとは昼寝。
こんな夏です。
天城越え、浄蓮の滝コースで南伊豆へ。
滝の右側に柱状節理とが見える。柱状節理とはマグマや溶岩が冷え固まる時に体積が縮むためにできるもの。
伊豆半島は二つの海洋プレートの接点にあるため、1000万年前から海底火山の活動により姿を変えてきた。
たび重なる海底火山の噴火により約100万年前には徐々に陸地が形成される。
その後、火山は主に陸上で噴火するようになり、さらに陸地が厚みを増す。その流れの中で、約1万7000年前に天城山、鉢窪山等ができた。
浄蓮の滝は、この1万7000年前の溶岩流によってできた平地の端を流れ落ちている。
そして今、私たちがその景観を享受していると考えると壮大な地球のめぐみを感じる。
噴火のエネルギーが時を経て静かな沢になる。溶岩の小さな穴が自然の触媒となるため豊富な地下水が湧き起こる。それを利用してわさびが栽培されている。
下田海中水族館です。
見学時、ちょうど飼育員さんが餌をやるところに出くわしました。
まず、大きな魚から順々に小さな魚へと餌をやって行く。
毎日、こんなすごい光景が繰り返されていることに驚く。
みなさん、良い夏休みを!!
電車で向かいの席に座っている人を見ていて、目が合いそうになると思わず視線をそらしますよね。
それをしなくていいのがこの映画です。
様々な人の顔と行いを柔らかいシートに埋まって心ゆくまで見られる喜び。
これが映画の醍醐味だなー。(ドキュメンタリー映画です)
フレデリック・ワイズマン監督、名前だけは知っていたけど今まで見たことなかった。
特定の誰かに肩入れすることなく淡々とあるがままの姿を切り取る。
できそうだけどなかなかできないこと。
公正な視点。というのがあり得るのかわからないけど、限りなくそれに近いんじゃないだろうか。
自分がほこりの粒子になって空間を漂っているかのような感覚を味わえる。
もしくは人には見えない天使になって図書館の中を漂っているかのような、、、
寝た覚えがないのに、パティ・スミスの出ているところが分からなかった!読書会のところかな?
3時間17分もある映画ということは観終わってから知りました。それくらい退屈しません。いつ終わるんだろうか、とはちょっと思いましたが。
Ex Libris: The New York Public Library(2017)
引っ越してから、いろんな時間帯に近所を徘徊する楽しみが増えた。
自分がこの地形の中のどこに位置しているのか。
この道はどこにつながっているのか。
自分の身体が地図上でおおよそどこに存在しているのか。
自分の中のマップが増えていく度ごとに喜びがある。
犬が散歩の時にマーキングをすることに似ているのかもしれない。
自分の身体が拡張する、空間に浸透する、根付く、とも言えるような感触がある。
なるべく距離を移動したいので自転車で行くことが多い。
まず大通りを可能な限り進んでみておおよその距離感をつかむ。そして来た道を引き返す中で、気になった横道に逸れてみる。その後は気分に任せてゆっくり流す。
意図的に迷ってみるのもおすすめだ。
自転車で住宅街をゆっくり何度も行ったり来たりしていると、やはり怪しいと思われてしまうのが心配だ。なるべく意識だけは近所の者を装う。
しかしじっくり通りや家々を見て、感じたい、というあらがい難い欲求もある。
その為にサングラスをかける。余計に怪しくなってしまう。
なるべく首を動かさないようにしつつ、サングラスの下の目はカメレオンのように動かして見る。
幼児は周囲の世界との距離感覚を培うために舌でなんでもかんでも舐めまわすというが、私の行動もある意味、それと同様である。
だから人をじろじろ見るのが憚られる感覚というのもあるのだろう。
認知症の症状としても引っ越などで新しい環境に馴染めない場合、徘徊が起こるという。
自己認識と周囲の環境への共感は大きな関わりを持っている。
その感覚が拡大すればするほど、人間として成熟することができるのかもしれない。
Spotifyで音楽を聞いていた時に流れてきたアル・グリーンの歌声に魅了された。温かみと孤独さ、怖い世界で生きているにもかかわらず甥っ子には優しいおじさん的な包容力のある歌声。やっぱりソウルっていいよなー。
そんなアル・グリーンの曲が使われているということを吉岡正晴のソウル・サーチンで知り、早速『セックス・アンド・ザ・シティ』映画版を見てみる。
映画は10分に1回は泣かせる仕掛けがあり、やはりテレビドラマのモンスターヒット作品は映画になってもこういうところは流石です。
主人公キャリーが着こなす変な服がいちいち楽しく、大好きな映画『ドリームガールズ』のジェニファー・ハドソンが良い役で出ているのも嬉しい点。
彼女のフラットな表情を見ていると何かそれだけで感動してしまう。アル・グリーンの「傷心の日々(How Can You Mend A Broken Heart)」が流れる場面も涙なしには見られない。あと意外に145分の大作なので気になる人は時間がある時に見ましょう。
ちなみにアル・グリーンは映画『パルプ・フィクション』でも使われていた曲があります。ボクサーのブッチがギャングのボスに八百長試合を持ちかけられる場面でアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出すのに一役買っています。
さてアル・グリーンは彼女に熱々のポレンタを投げかけられて大怪我をした上に、その彼女は拳銃自殺をしてしまうという経験から牧師に転向したということです。鈴木創さんのポップの世紀にとても興味深い記事が載っています。
皆様の日常が愛にあふれ楽しいものでありますように!
十年来使用しているベレー帽を無くしました。
数日の間、いろいろな場所を探しましたが出て来ず、半ばあきらめかけていたところ、、、
近所のお宅の門扉に貼り付けてくださっている方がいました。朝、急いで出かけた際に落としていたようです。
普段は忘れ物が少ないほうですが、急いだり焦ったりしたときには落とし物が増えがちな自分。
どんな時もマイペースを保ちたいものですが、こんな優しさに触れられるのは嬉しいものです。
いつの間にか無くなってしまいましたが、八高線多摩川橋梁のあたりに見られた牛群地形に似ています。
この粘土のような層が生き物の群れのようで怖くもあり、ロマンも感じ、なかなか好きな光景です。
桜もそろそろ終わりの浅川沿いです。