undone アンダン~時を超える者

undone

「アンダン」とは「元に戻す」の意味。交通事故のショックから見えないものが見えるようになった主人公が時空間を自由に行き来する、半ば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的な、いわゆるタイムリープものの連続ドラマです。

一話が30分なので気軽に見始めて、エピソード1の全8話を一気に見てしまいました。

このアニメはロトスコープという実写をアニメに転換する手法が取られています。それが、何か独特の脳内麻薬的なサイケな世界観を醸し出しています。

主人公は全然お洒落でもなく、性格も攻撃的でやや高慢。誰にでもある(しかし普段なるべく出さないようにしている)、こういう部分を増幅したような女性です。ですが見ていくうちに、自分を偽らず、とにかく生き生きとして素直な主人公にどんどん惹かれていきます。

この主人公アルマが、物語冒頭でのあることに起を発する感情のたかぶりのまま車を暴走させ事故を起こします。

病院で目覚めたアルマは自分の周りの出来事が一定期間ループするようになり、時間軸が混乱してしまいます。

トム・クルーズ主演の、日本のラノベ原作映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(震えながら大爆笑できる好きな映画…!)と同じく、自分がたとえ死んでもリセットして失敗前に戻り、何度でもやり直すことができます。

感情を爆発させがちだったアルマは、病室でこの時間軸を操るスキルを上達させ、徐々に家族や恋人との関係性を修復していきます。

時に、主人公アルマのおばあさんが、統合失調症と診断された過去があり、お父さんはそのことについて調べている研究者でした。そんな来歴から、周囲の家族はアルマも統合失調症を発症したのだと思います。

しかし、当のアルマと観客である私たちに対しては、そこはボカされています。

はたしてアルマ(と、おばあさん)の特殊能力は、遺伝形質をなぞるだけのものなのか、はたまた非日常世界へと飛び立つ自由へのチケットとなりうるのか?

それは視聴者の想像力にゆだねられています!

実作講座「演劇 似て非なるもの」プレゼンツ リレーエッセイ『いま、どこにいる?』

https://bigakko.jp/blog/engeki2020_28noguchi

生西康典さんが美学校で行っている講座の「演劇 似て非なるもの」のリレーエッセイに寄稿しました。

生西さんの存在は学生時代からスタジオボイスの記事などで知っていて、映像学科の学生だった私にとっては、とにかく時代の最先端のVJの人、というイメージでした。あと勝手に名前の字面がミュージシャンっぽいと思っていました。

初めて生西さんの作品を見たのは2009年のラフォーレ原宿のイベント。知的で耽美的な作品でもちろん理解できないのですが、そのわかりにくさゆえに想像力をめちゃめちゃ刺激され、光と闇のビジュアルが強烈に残っています。

その後、ありがたいことにご縁を頂き、お会いする折々、クールな中にものすごい熱がある人というか、青の中に赤が燃えているみたいな印象を受けます。あと中国の深山幽谷で漢詩を読んでいる人のイメージもあります。ひょうひょうとしていて風を感じる人です。

『ルンペルシュティルツヘン最後の三日間 オイリュトミーによる試み』終演致しました

『ルンペルシュティルツヘン最後の三日間  オイリュトミーによる試み』へご来場下さいました皆様、誠に有り難う御座いました。

出演者、スタッフ一同より最大限の感謝を捧げます。

舞台芸術を鑑賞すること、並びに舞台創作活動を続けていくことが困難な時代ではありますが、今後とも姿を変え、形を変え、皆様のお近くに出没するかもしれません。

その時はどうぞ宜しくお願い致します。

野口泉

http://rumpelstilzchen.xyz/info

今回、短い稽古期間ながらとても濃い時間を過ごさせて頂きました。三上周子、清水靖恵、二人のオイリュトミストが持ってきてくれる詩や曲のアイディアに「それいいね!それいいね!」と言っていただけの3ヶ月だったような気がします。

終演後はいつでも自分の踊りに満足することはありませんが、コミュニケーションを介した創作の可能性を探るよい旅となりました。結果はどうあれ最後まで一緒に駆け抜けることができて嬉しいです。

関係者の皆様、スタッフとして現場に入ってくださった皆様にも心より感謝致します。

どうも有り難う御座いました。

破壊と再生-ルンペルシュティルツヘンにおける命名

メルヘンを読んでいると、話の筋が意味不明であることが多い。

例えば、全く理不尽なわがままを繰り返すだけのお姫様が最終的に幸せを手に入れる、優柔不断で周囲のなすがままに行動してきただけの人物が富豪になる、というような場合である。

こうした点を考えると、メルヘンというものが現代の理性や常識の範囲内で何かを伝えようとするものではない、ということは明白である。

メルヘンにおいては一つの名詞に付加されているイメージが計り知れない深さを持っている。例えばきこりや狩人という職業には、人間の発達段階の終着点、「物質世界で独立する」という意味合いが込められる。反対に王様や漁師という職業は、天からの所与のもの(根源的な叡智、豊かさ)を無尽蔵に受け取ることのできる存在として描かれる。

『サウルの息子』という映画は、第二次世界大戦中のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、特殊部隊として同胞殺害に手を貸さざるを得なかった人物の一日半を描いている。この映画にはメルヘン的な名詞についての示唆が満ちている。

ゾンダーコマンドと呼ばれる特殊部隊は移送されてきた同じ民族である者たちを騙し、ガス室に送り、その死体を処理させられるという役目を負っていた。時には自分の家族の遺体を発見するという悲惨な状況もあったという。そして彼らもまたナチスによる大量虐殺の事実を知る存在として、数ヶ月後には新しく補充されたゾンダーコマンドに処理される運命であった。さらにソ連軍による収容所解放時には彼らはナチス協力者として処刑された。そのような極限下において主人公は徹底的に感情を殺し、何を見ても心を動かされなくなっていく。

あまりにも悲惨で非現実的な状況故に、この映画の中に現れる情景描写は、メルヘンの世界に見られる象徴的なイメージの本質と重なる部分が多くある。果てしなく続く灰の山、それらが振りまかれる底の見えない湖。森の緑、埋葬。

感情を閉ざした心にはこれらのイメージは何ら意味を持つことはない。だがそこから湧き上がる色、質感、温度は見るものの感覚において還元され、それらのイメージは他者の記憶の中で甦る。言葉や判断を押さえ込み、深みの中で共有される。

本来名付けようもない漠たるイメージに名前を与えること。ルンペルシュティルヘンはなぜ、他のどの名前でもなく、ルンペルシュティルツヘンという名前なのか。事象は名づけられることによって限定性を帯び本来のカオスは失われる。だがそのことによって時間が生まれ記憶が生じ、人間は分化・差別の世界へと進化していく。

私たちは進化と破滅のカクテルをがぶ飲みしながら、一方に不可解なイメージの世界を持っている。それは心臓の左右心室のように表裏一体の存在である。一定のリズムの中で時代という身体をかけめぐり、酸欠となればイメージの世界へ立ち返り、そこから再生する。『ルンペルシュティルツヘン』が名前を開示することで未来への希望が繫がれるように。

RUMPELSTILZCHEN LAST THREE DAYS
ルンペルシュティルツヘン最後の三日間  
オイリュトミーによる試み

2020年10月30日(金)
17時開演(16時半開場)

くにたち市民芸術小ホール スタジオ

料金2,000円
中学生以上対象

出演
三上周子
清水靖恵
野口泉

朗読 
井上美知子

演奏
ヴァイオリン 五十嵐和子
ピアノ 相沢裕美

チケット予約
koomoriclub@gmail.com

お問い合わせ
080-4206-0392

協力
月のピトゥリ
クレーシュすみれ

主催
野口泉

共催
こうもりクラブ

※10月31日(土)動画撮影のための無観客上演あり 

http://rumpelstilzchen.xyz/

アホの自覚がある者は「インヒアレント・ヴァイス」を見よ!

若い頃、とんでもなくアホだった自覚がある人は、PTAの映画を見て涙が止まらなくなる恐れがある。

もちろん私は自覚がある。

全シーンの光や匂いすら感じ、全コマで泣き続けられる自信があるほどだ。


「我こそは」という人は問答無用で見てほしい。

「もっとパンケーク!」と叫んでいるジョシュ・ブローリン。

最近ではパク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』のハリウッドリメイク版での汚れ役っぷりが印象的だったが、本作でも複雑な人間の深みを出していて良かった。

寝ても覚めてもホアキン

「なんとも言えない感情」「言葉にならない情感」

いわゆる「エモい」感情を無表情の中に表現できるホアキン・フェニックス。

リン・ラムジー監督の『ビューティフル・デイ』もそんなホアキンの演技が素晴らしく、折に触れて見たくなる映画です。しかも音楽がジョニー・グリーンウッド。

もう戻ってこない昔の彼女が主人公の生きる原動力となっているという点において本作と共通している、ディヴィッド・ゴードンの『二流小説家』。

これも映画化されるならぜひホアキン・フェニックスにやってほしい。

と思っていたらすでに、上川隆也主演で映画化されていたことにビックリ!

山道で見つけたすごい物

八王子市に引っ越したばかりでとにかく自転車で走り回っていた時のこと。

初めて通る道や景色が新鮮で、何を見ても興味深い。
そんな中、ちょっとした山道で道に迷った。

起伏の激しい都道166号を上がり下がりしていると、
空中(と言っていいほど上の方)に、とにかく豪華な建築物を発見した。

細い車道を走りながらも興奮を禁じ得ない。

国連?もしくはそれ準ずる国際的な施設、もしくは一般公開されていない御所?

帰宅後Google マップで早速検索すると、

私は牧口記念会館というものを見つけたのであった。

救済の星 地球へ

オイリュトミーの発表会を見に八王子いちょうホールへ。

オイリュトミー集中コース発表会
救済の星 地球へ 遥かなる宇宙進化の道

笠井叡先生のもとで共にオイリュトミーを学んだ数名のオイリュトミストも参加しており楽しみにしていた公演。

シュタイナーの宇宙進化論から、憧れと供儀についてのイマジネーションに富んだ言葉が紡がれる。

どの作品も素晴らしかった!

12人のオイリュトミストたちは、動きのクセや自我の押しつけがなく、その上でそれぞれの個性が際立ち、静かに広がる慈愛の波がこちらに届いてくる。

一つの舞台でこのような調和を作り出すのは至難のわざであり、稽古はさぞ大変なものであっただろうと想像できる。

また、他者に対する思いやりがなければこのような調和の空気は生まれない。

自分のできない、目指すところでもある。

こうもりクラブの夏休み

打ち合わせで集まったこうもりクラブですが、yasueの提案で浦山散歩に出かけました。水色のコースをゴー!

どっちに行こうかな

休憩の一コマ。起伏のある山道を歩くのは足首が柔らかくなって良いです。

何があったのか

豪快なカッペリーニをいただく(yasueめし)

藤野産の絶品ビールです

散歩のあとは昼寝。
こんな夏です。

火山のめぐみ~浄蓮の滝

天城越え、浄蓮の滝コースで南伊豆へ。

滝の右側に柱状節理とが見える。柱状節理とはマグマや溶岩が冷え固まる時に体積が縮むためにできるもの。

伊豆半島は二つの海洋プレートの接点にあるため、1000万年前から海底火山の活動により姿を変えてきた。

たび重なる海底火山の噴火により約100万年前には徐々に陸地が形成される。

その後、火山は主に陸上で噴火するようになり、さらに陸地が厚みを増す。その流れの中で、約1万7000年前に天城山、鉢窪山等ができた。

浄蓮の滝は、この1万7000年前の溶岩流によってできた平地の端を流れ落ちている。

そして今、私たちがその景観を享受していると考えると壮大な地球のめぐみを感じる。

水の化身 わさび

噴火のエネルギーが時を経て静かな沢になる。溶岩の小さな穴が自然の触媒となるため豊富な地下水が湧き起こる。それを利用してわさびが栽培されている。

わさび田 小道を挟んだ流れでは釣竿の貸し出しがあり、魚釣りができます。
ベストスポットからの眺め
パロディTシャツとタモリさん

下田海中水族館

魚に餌をやる飼育員さん
ものすごい勢いで集まる魚の群れ
飼育員さんの姿が隠れるほどの群れ
一瞬でひるがえるメタリックな輝き

下田海中水族館です。

見学時、ちょうど飼育員さんが餌をやるところに出くわしました。
まず、大きな魚から順々に小さな魚へと餌をやって行く。

毎日、こんなすごい光景が繰り返されていることに驚く。

エイです。
お姉さんから直接もらったイワシ的な魚を三匹くらい食べてました。でも足りなかったんだと思います。泳いできたイワシも普通に食べてました…

サメとウツボ。ウツボはシャイらしい。
すい〜
動画でお見せしたかったです。

みなさん、良い夏休みを!!

天使の視点 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス

電車で向かいの席に座っている人を見ていて、目が合いそうになると思わず視線をそらしますよね。

それをしなくていいのがこの映画です。

様々な人の顔と行いを柔らかいシートに埋まって心ゆくまで見られる喜び。

これが映画の醍醐味だなー。(ドキュメンタリー映画です)

フレデリック・ワイズマン監督、名前だけは知っていたけど今まで見たことなかった。

特定の誰かに肩入れすることなく淡々とあるがままの姿を切り取る。

できそうだけどなかなかできないこと。

公正な視点。というのがあり得るのかわからないけど、限りなくそれに近いんじゃないだろうか。

自分がほこりの粒子になって空間を漂っているかのような感覚を味わえる。

もしくは人には見えない天使になって図書館の中を漂っているかのような、、、

寝た覚えがないのに、パティ・スミスの出ているところが分からなかった!読書会のところかな?

3時間17分もある映画ということは観終わってから知りました。それくらい退屈しません。いつ終わるんだろうか、とはちょっと思いましたが。

Ex Libris: The New York Public Library(2017)

ある日の帰り道

徘徊することで得られる感覚とは

引っ越してから、いろんな時間帯に近所を徘徊する楽しみが増えた。


自分がこの地形の中のどこに位置しているのか。


この道はどこにつながっているのか。


自分の身体が地図上でおおよそどこに存在しているのか。


自分の中のマップが増えていく度ごとに喜びがある。

犬が散歩の時にマーキングをすることに似ているのかもしれない。
自分の身体が拡張する、空間に浸透する、根付く、とも言えるような感触がある。

なるべく距離を移動したいので自転車で行くことが多い。

まず大通りを可能な限り進んでみておおよその距離感をつかむ。そして来た道を引き返す中で、気になった横道に逸れてみる。その後は気分に任せてゆっくり流す。

意図的に迷ってみるのもおすすめだ。

自転車で住宅街をゆっくり何度も行ったり来たりしていると、やはり怪しいと思われてしまうのが心配だ。なるべく意識だけは近所の者を装う。

しかしじっくり通りや家々を見て、感じたい、というあらがい難い欲求もある。

その為にサングラスをかける。余計に怪しくなってしまう。

なるべく首を動かさないようにしつつ、サングラスの下の目はカメレオンのように動かして見る。

幼児は周囲の世界との距離感覚を培うために舌でなんでもかんでも舐めまわすというが、私の行動もある意味、それと同様である。

だから人をじろじろ見るのが憚られる感覚というのもあるのだろう。

認知症の症状としても引っ越などで新しい環境に馴染めない場合、徘徊が起こるという。

自己認識と周囲の環境への共感は大きな関わりを持っている。

その感覚が拡大すればするほど、人間として成熟することができるのかもしれない。

俗から聖へ〜あるソウル歌手の壮絶な人生

Spotifyで音楽を聞いていた時に流れてきたアル・グリーンの歌声に魅了された。温かみと孤独さ、怖い世界で生きているにもかかわらず甥っ子には優しいおじさん的な包容力のある歌声。やっぱりソウルっていいよなー。

そんなアル・グリーンの曲が使われているということを吉岡正晴のソウル・サーチンで知り、早速『セックス・アンド・ザ・シティ』映画版を見てみる。

映画は10分に1回は泣けるくらいの仕掛けがあり、やっぱりテレビドラマのモンスターヒット作品は映画になってもこういうところは流石ですね。

主人公キャリーが着こなす変な服がいちいち楽しく、大好きな映画『ドリームガールズ』のジェニファー・ハドソンが良い役で出ているのも嬉しい点。

彼女のフラットな表情を見ていると何かそれだけで感動してしまう。アル・グリーンの「傷心の日々(How Can You Mend A Broken Heart)」が流れる場面も涙なしには見られない。あと意外に145分の大作なので気になる人は時間がある時に見ましょう。

ちなみにアル・グリーンは映画『パルプ・フィクション』でも使われていた曲があります。ボクサーのブッチがギャングのボスに八百長試合を持ちかけられる場面でアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出すのに一役買っています。

さてアル・グリーンは彼女に熱々のポレンタを投げかけられて大怪我をした上に、その彼女は拳銃自殺をしてしまうという経験から牧師に転向したということです。鈴木創さんのポップの世紀にとても興味深い記事が載っています。

皆様の日常が愛にあふれ楽しいものでありますように!

落とし物を届けてくれた嬉しい方法

十年来使用しているベレー帽を無くしました。

数日の間、いろいろな場所を探しましたが出て来ず、半ばあきらめかけていたところ、、、

近所のお宅の門扉に貼り付けてくださっている方がいました。朝、急いで出かけた際に落としていたようです。

普段は忘れ物が少ないほうですが、急いだり焦ったりしたときには落とし物が増えがちな自分。

どんな時もマイペースを保ちたいものですが、こんな優しさに触れられるのは嬉しいものです。

これは珍しい地形です

いつの間にか無くなってしまいましたが、八高線多摩川橋梁のあたりに見られた牛群地形に似ています。

この粘土のような層が生き物の群れのようで怖くもあり、ロマンも感じ、なかなか好きな光景です。

桜もそろそろ終わりの浅川沿いです。

春の息吹を感じて

朝目覚める時にルドルフ・シュタイナーの子供のための祈りの言葉が頭をよぎる時がある。

わたしの頭も わたしの足も 神様の姿をしています

わたしはこころの中から 両手の先まで 神様の息吹を感じます

口を開いて話すとき わたしは神様の意志にしたがいます

どんなものの中にも 

おかあさまや おとうさまや すべての愛する人の中にも

動物や 草花や 木や 石のなかにも 

神様の姿が見えます

だから怖いものはなにもありません 

わたしの周りには 愛だけがあるのです

桜の木の毎年咲く様子に力を頂きました。貰うばかりでなく自分からも与えられるようになりたいと思います。

自然の中に出かけたいですね。

えっ?!まさか、まだ3月なのに…

風呂で居眠りしていたら6箇所ほど蚊にさされた。

数年前は、5月の連休に蚊にさされて驚いたものだった。

本日は3月31日、暖冬だったとは言え、環境の変化を感じる出来事だ。

解錠師 スティーヴ・ハミルトン

日本語タイトルから紳士的な風貌の解錠マニア名探偵の話かと予想していたが、魅力的な不良がたくさん出てくる青春小説。

検索すると皆さん指摘しているように、映『ベイビー・ドライバー』を彷彿とさせる内容。

小学生の時、鍵っ子だった私は、鍵を忘れて家に入れない時、ヘアピン2本を使って解錠していた。 

指先に感じる手応えと開いた時の興奮。

もちろんいつも成功するわけではなく、雨樋を登って二階のベランダから入ったり、

誰か帰ってくるまで何時間も待ったりもしていた。

なぜあんなにも鍵を忘れていたのかは謎である。

故郷(ふるさと)を生きる-詩人・和合亮一と「石巻こけし」リニア | ベターライフチャンネル | スカパー!オンデマンド

先月、ナレーションの収録を行った番組が3月21日の21時半まで視聴できます。(終了しました)

番組「故郷を生きる」詩人・和合亮一と「石巻こけし」篇(30分)

企画監修・城戸朱理         プロデューサー・小野田桂子

詩人の和合亮一さんが、東日本大震災から8年目の宮城県石巻市を巡ります。

ポップカルチャーとこけしのミクスチャー、石巻こけしをはじめ、メロンパンが名物の萬楽堂白謙蒲鉾店石巻まちの本棚石ノ森萬画館サン・ファン館など、地元の人の顔が物語る石巻の生活。

ぜひご覧下さい。

『7人目の子』 エーリク・ヴァレア

時間の余ってる人にしかおすすめしないけど本作、とても幻想的で味わい深い作品です。

とにかく暗く、おぞましく、切ない、子供の頃の不安や恐怖を描ききっています。

これを読んでいる間はとにかく悪夢を見続けました。

冒頭から決闘により鼻を失った天文学者ティコ・ブラーエへのオマージュが織り込まれており、デンマーク生まれで自身も孤児であったという著者への想像力をかき立てられる。

子供時代の孤独をここまでの幻想小説として完成させた本作には感嘆せざるを得ない。

ぜひ気長に読んでほしい良作。しかし人を選ぶかも。。。

松屋のシータ

金曜夜の九時、仕事に疲れた私は持ち帰り牛丼を求めて入店する。

券売機に並び、最もポピュラーな牛丼並盛りを選ぶ。私の前にチケットを購入したサラリーマンでカウンターは満席だ。

コの字型のカウンターは十人程のサラリーマンによる黒系の色彩一色である。

肩が触れるかという距離感。

なぜかみな姿勢が良い。狭い中でのパーソナルスペース確保の為か。

持ち帰り専用カウンターの小さなスペースへ歩み寄ると、返す刀で暑いほうじ茶が供される。

今日のホール係は三十代前半の女性と、調理場にはもう少し年配の女性の二人である。

空いている時分であればものの二、三分で提供される持ち帰り牛丼だが、本日は満席以上に満席、私の次にも持ち帰り牛丼三つを購入意志のおばあさんが大荷物で佇む場所もなく控えている。

しかもこのおばあさんはタッチパネル式の券売機に対応できず、カウンター内から三十代前半女性店員が出てきてチケット購入の補助に付いた。

そんな彼女の大奮闘振りを宿り木のサラリーマンたちは着丼を待ちながら見るともなく見ている。なぜか皆、少し恥ずかしげだ。

ものすごい速さで注文をこなし、次々に暖かい料理が運ばれる。3秒差くらいでサラリーマンが割り箸をセパレートする音が響く。管理職もエンジニアも熱々のチーズハンバーグを口に運ぶ。総じて嬉しそうだ。

誰もが何となく楚々としているように感じるのは何故だろう。

その間にも床に落ちたレシートを拾い、カウンターを出入りしながらアクロバティックに飛び回る。かといって悲壮感も漂わせず、あせっていないわけでもない。

全力を出しながらも己のペースを乱さない。たとえ乱れていたとしてもそれが急カーブを曲がる蒸気機関車のような美しさ好もしさを保っている。

そんな三十代女性店員を明らかに店中の皆が尊敬し憧れた瞬間があった。

彼女の働きに対して襟を正した瞬間があった。

その時、狭い店内は大伽藍にも匹敵する聖なる空間へと変容した。

皆、限られた動作の中で彼女に対する感謝と尊敬をあらわそうと自ずと礼儀正しくなっていたのだった。

私も普通の感謝の言葉にそれ以上の思いを込めて牛丼並盛りを受け取った。

世界は広い。

そしてアイデアやコンセプトによって、
また別の言い方をするならば、心持ち一つで到達するゴールは全く違うのだ。

横断歩道を渡りながら思った。自分のいる地点からだけモノを見ていてはいけない。

牛丼を買いに行って思いがけず南米に旅行したような不思議な距離感の出来事だった。

停滞と移動

ちょうど十年住んだ部屋。

ここで十年間を過ごしたことが信じられない。

その間、私はいくつか仕事を変わり、夜はほぼ稽古という日々。

2011年の東日本大震災はその中でも大きい出来事だった。

震災前、すぐそこの通りを歩いていたときの身体感覚を覚えている。

ただひたすらぼんやりしていた。

所与のものをただあたりまえの権利として、否、権利としてさえ認識しないままに受け取り、疑問も感謝の念も持つことのない無関心さ、あるいは天真爛漫さ。

未来への漠然とした欲求、そしてその欲求が漠然としていることへの不安。

自分とも他者とも関係性が薄く、己の傲慢さにすら鈍感。

それを恥ずかしく思えるくらいには成長したのかもしれない。

2018年末はボヘミアン・ラプソディー

クリスマスは映画館で『ボヘミアン・ラプソディー』を楽しみました。

マーク・マイヤーズのカメオ出演、どこに出ているのか全くわからず。あとで検索して「こりゃ無理だ。」となりました。あまりに変装が巧すぎる。

『ウェインズ・ワールド』でボヘミアン・ラプソディーを知った者からすると、夢を持った若者が管理職へと変貌を遂げるドラマも見応えがありました。

『ウェインズ・ワールド』ファンにはこのカメオ出演はやっぱり嬉しいですよね。

生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者

主人公のセオ・クレイは一風変わった生物学者。

自然の植生を観察しつつ、自分で作った解析アプリを使って膨大なデータを読み解く。その方法が想像の斜め上を行く面白さだ。

バランスを欠いた自閉症気味の主人公は、自分の興味を引く分野に集中すると様子がおかしくなる。殺人事件の調査中でも、あまりの怪しさに自分が職質されてしまうという有様だ。

そんなコミュニケーション的にはバランスが悪いが、圧倒的な知識で最新機器を使いこなし情報処理能力は驚異的、というタイプに現代のヒーロー象を感じて目が離せない。

著者のアンドリュー・メインのプロフィールが「マジシャン、イリュージョン・デザイナー、作家」となっているのも興味深い所である。

断水してみてわかったこと

年末年始、ちょっとした手違いから水道が止まった。約二十日間。

変化。

掃除と名のつくものができないので、人も設備も少しづつ汚れてくる。

この「徐々に汚れてくる」加減は、一定の長さの断水を経験しなければ分からなかったことだ。
おいそれと手も洗えない。

基本、トイレが使えないので、就寝前はなるべく水を控える。

終始排泄の心配をしていないといけないので、集中して何かをするということができない。

帰宅時には手に持てるだけのミネラルウオーターを購入。

寒い時期のこと、朝はペットボトルの水を沸かしたお湯をミニタオルにかけて顔を拭く。(ガス、電気は無事。)

できるだけロスがないようにペットボトルの水で手を洗い、使用後は排水口洗浄の為にためておく。

歯磨き後などはこの排水口洗浄が大切だ。二次使用、三次使用と、水を使う順序に自ずと配慮せねばならない。

開栓後、約二十日振りに自宅でシャワーを浴びた。

三重苦のヘレン・ケラーが初めて水の概念を悟った時のような衝撃を感じたと言えば大袈裟だが、歓びのあまり何度も叫ばずにいられなかった。

かくも水というものは大切なものだ。

普段あまりにも無頓着を使っていたので貴重な体験であった。

晩酌の効用

私は一人のときは、お酒をほぼ飲まなかった。酔うと本が読めなくなるので。

飲酒して酩酊する時間など無駄、とさえ思っていた。

しかし、最近は時間と体調が許せば毎日飲むようにしている。

なぜかというと、毎日必ず晩酌をするという友人が言っていたことが気になったからである。

日々、仕事の帰り道に「このお酒にはこのおつまみが合う」などど考えながら買い物をするのが楽しいそうなのだ。

感動した。

これは自分になかった視点だ。

ある一点からの景色を見て、その他を無駄と切り捨てていた自分の未熟さを恥じた。

人間の文化はことごとく芸術なのだ。

しかし自分はけっこうな量を飲んでも酔わない。

綿毛のように

 今年のクリスマスイブは、甥っ子二人を連れ、近くの国営公園へ行きました。

たんぽぽの回転する綿毛さながら走る子供たちを見て、いいものだ、としみじみ思いました。

大切なのはセンス・オブ・ワンダー、驚ける感性。初めて出会うように、毎朝、自分と、世界と出会いたい。

楽しくて笑いが止まらない、思わず走り出してしまう、そんな子供たちを見ていると人間の性善説を信じることができます。

すべての見えない光

本当に恐ろしい描写ほどさりげないものだ。

やり切れない、恐ろしい描写を読んだあとは、本を閉じて眠りに落ちると夢でうなされる。

このような部分。

“ここでは、囚人達は、町を直撃する砲弾の音を聞くよりも前に目で見る。前回の戦争中、エティエンヌの知る砲兵たちは、双眼鏡を覗き込み、空に上がる色で、自分たちの放った砲弾による被害を見てとることができた。灰色は石。茶色は土。ピンク色は肉体。”

また、以下の部分には非常に感銘を受けた。

“彼はツォルフェアアインで見た、老いて打ちひしがれた坑夫ことを思う。椅子や木箱に腰かけたまま、何時間も動かず、死にたいと思っている男たち。そんな男たちにとって、時間とは、うんざりする余剰でしかなく、樽から水がゆっくり抜けて行くの見つめるようなものだ。だが実際には、時間とは自分の両手ですくって運んでいく輝く水たまりだ。そう彼は思う。力を振りしぼって守るべきものだ。そのために闘うべきものだ。一滴たりとも落とさないように、精一杯努力すべきだ。”

“空気は生きたすべての生命、発せられたすべての文章の書庫にして記録であり、 送信されたすべての言葉が、その内側でこだましつづけているのだとしたら。

 彼女は思う。一時間が過ぎるごとに、戦争の記憶を持つだれかが、世界から落ちて消えていく。

 わたしたちは、草になってまた立ち上がる。 花になって。歌になって。”

アンソニー・ドーアの『すべての見えない光』 より

でかいメガネ

2000年にイメージフォーラムフェスティバルで大賞を受賞した坪田義史監督の『でかいメガネ』、私は学生時代にこの映画に出演というかたちで協力しました。今回、坪田義史監督の新作ドキュメンタリー映画『だってしょうがないじゃない』が公開されており、その関連イベントで20年ぶりにこの作品が一日だけポレポレ東中野の階上のスペース&カフェ ポレポレ座で上映されました。

映画『許されざる者』の冒頭で、貧しいながらも平穏な生活を送っていた主人公マーニーは、突然の来客者によって過去の自分の悪業を思い出すことになります。

20年の時を経てスクリーン越しの自分を見ることはそれに似て、かなりの破壊力のある体験となりました。当時の感覚が生々しく蘇り、数日は半身が過去に存在しているかのような幽霊じみた存在になっていたような気がします。

そんな不思議な感覚も現在進行形の関係性の中へ次第に解消していきます。

『てかいメガネ』か時間の流れを逆行させる強い磁力を持った作品であることは間違いありません。