メタセコイアの化石をめぐるツアーに参加しました

上総層群寺田層

 メタセコイアの樹液の化石である琥珀を探すというツアーに参加しました。

首都圏の地下には上総層群と呼ばれる層が3,000メートルの厚さで存在しているそう。その中でも多摩丘陵西部の地層の細かく分類された一部が寺田層。

弦巻橋より浅川を望む。約200~250万年前の地層が川の侵食などによって表出。

 メタとは「後の」「違った」などの意味。メタセコイアは「生きている化石」と言われるスギの一種で、その樹液の化石が琥珀になる。今回はその琥珀を探してみるツアーです。

晴れた日のJR西八王子駅のメタセコイア

メタセコイア化石林に到着。炭状になった200万年前の樹木を見る。白い地面に黒い炭の塊がそこかしこにあり。200万年前には象もいたらしい。



 200万年前の松ぼっくりと駅前にも生えていた木の現在の松ぼっくりを比較。時という形のないものが具現化される。

化石は完全に石になる前の状態とのことですが、これは石になっているようにみえる。果てしない時が流れた。

人間の頭くらいの大きさの穴は象の足跡だそう。先生に示してもらわないと、ただの穴にしか見えない。先生の目には違う世界が見えている。

「200万年後に誰かが見つけなければそのものはただそこにあるだけで誰にも気づかれない。誰かが価値を見出さなければ、ただの風景。そういうものに気づいてもらいたい。」と、案内してくれた化石の先生は言っておられました。慧眼。

 琥珀(アンバー)を発見。メタセコイアの樹液です。若い化石、樹脂が半化石化したものををコーパルと言うそうです。

これも普通に地面を見ているだけだと分からないのですが、先生持参のブラックライトで照らすと青く光ります。

先生が磨いたものがこちら

 何気なく散歩をしていたところに数百万年前の軌跡があることに驚きました。そして、それを見つける研究者の目が沢山ある、ということにも。

冬の初めの空気の中に揺れるススキ

 興味を持ってみれば世界は未知に溢れている。何事に関しても視野を広く持ちたいものです。

アドヴェントガーデン 時の流れを感じたく…


12月25日から逆算して4週目の日曜日から、クリスマスまでの4週間。4本の蝋燭を準備して毎週一本づつ灯す。

冬至へと向かう、一年のうちで最も闇が濃い時期に行うリバースの儀式。それがアドヴェント(待降節)ガーデンです。闇を光に転換するわけです。

私の勤めているシュタイナー系の幼稚園でも毎年行われます。

もみの木の枝で作った渦巻き状の道を子供達がりんごろうそくを持って厳かに進み、渦の中央にある親ろうそくから光を分けて暗い道に灯していきます。

渦巻きを行って戻るという行為に象徴された死と再生の時間。

先生たちは蜜蝋のろうそくを作り、りんごを磨き、もみの木をどこからか切り出してきます。

大変な苦労だと思いますが、そうして行事が行われていくプロセスが、今は失われつつあり、それ自体が貴重な体験だなーと思います。

にわの様子
鉱物、植物、動物(ろうそくの蜜蝋)のそれぞれを飾る

【終演】「World’s End Underground/即狂空間」〈仙台公演〉

余裕がなくて全く書けなかったのですが、CORVUS新作公演「World’s End Underground/即狂空間」〈仙台公演〉が無事、終演しました。お越しくださいました皆様どうもありがとうございました。

撮影 : 佐々瞬

沢山の差し入れを有難う御座いました。

この仙台公演は、こちらのリンクhttps://lit.link/WEUを見ていただくと分かるのですが、さまざまな催しの中の一つになっています。一つ公演を行う、というよりは新たなムーヴメントとして受け取ってほしいとの、CORVUSの思いがあるようです。

CORVUS【コルヴス】とは鯨井謙太郒と定方まことによる2010年に結成されたユニットです。今回の「World’s End Underground/即狂空間」をもって創造的解体となるとのことです。

東京公演も御座います。皆様どうぞお越しください。

〈東京公演〉

2022年12月13日(火)〜18日(日) 

中野テルプシコール

出演  鯨井謙太郒|酒井直之*12/15,16は休演|定方まこと|野口泉

ピアノ 上田早智子*12/15,16のみ
 

12月13日(火)19:30 + 川村美紀子

12月14日(水)19:30 + 工藤丈輝

12月15日(木)19:30 + TOJU

12月16日(金)19:30 + TOJU

12月17日(土)15:00 + 川村美紀子

12月18日(日)15:00 + 工藤丈輝

【STAFF】

〈映像〉 

原像 TOJU

写真撮影 高木由利子

編集 篠原敏蔵

映像コーディネーター 富田真人(仙台)

映像オペレーション 佐々瞬(仙台) 岸本智也(東京)

〈衣裳〉 

KMRii 富永美夏

〈ドラマトゥルク〉

 ハラサオリ

〈舞台監督〉 

高橋克也〈舞台監督工房〉(仙台/ 東京)

〈照明〉 

吉田一弥(仙台) 岩村原太(東京)

〈音響〉

 本儀拓(仙台) 篠原敏蔵(東京)


 

【料金】 

一般前売4,000円 

一般当日4,500円

 U-25(前売/当日)3,000円

高校生以下(前売/当日)2,000円
 

ご予約 カンフェティ http://confetti-web.com/weu-tokyo/ 
 

お問い合わせ worlds.end.underground@gmail.com


「眼の人」公演終演しました

昨日、こうもりクラブ新作オイリュトミー公演「眼の人」終演しました。

足をお運びくださった皆様、誠に有難う御座いました。

「眼の人」公演はこうもりクラブの三上周子が企画から構成演出を行いました。2017年のこうもりクラブ発足から今作で5作目となります。

最初の4作は私のイメージを作品にしてきましたが、今回は全く新しい視点から一つの公演を作り上げてみたいという思いがありました。

私の創作方法は直感的で行き当たりばったりですが、三上さんは全く違うタイプです。着実に作品のイメージを形にしていったという印象があります。

ご覧になった方の眼にはどんなふうに映ったのでしょうか。

初ソウル所感

高級車しか走っていない。軽自動車は一台も見なかった。

人々のおしゃべりが盛ん。明洞の隣の会賢駅近くはオフィス街なのか、昼休みのカフェは市場の競り並の喧噪。1時になると同時に静寂が訪れる。

服装が小綺麗。高級車が多いことにも関係しているかと思うが ”人は見た目が全て” という処世観に強く支配されているような印象を受けた。礼儀正しさの表現なのかもしれないが、、、。

自分たちがイケていることが社会の中で大きな事である、という印象を受けた。とにかくみんな小綺麗で、男性は主としてヒゲがなく小ざっぱりしている。清廉潔白で堂々とした態度。あからさまに悪そうな人は探しても見つからない。

男女とも服が無地。柄物はストライプ柄すらほぼ無し。形もシンプルながら細部にこだわりがある系。日本人の韓国文化ファンの人の服装の源流はこれなのかー。

カップルが焼肉を食べさせ合う等、自らの熱々振りを示すジェスチャー、またそれを自撮りする光景をよく見た。夜間の南山タワーの自撮り棒を使った撮影などは壮観。

英語の発音がかなり違う。フォトゾーンはポトジョンというように。「マスクをして」と言われているのがしばらく分からなかった。”メク”というように”“のイントネーションが強調される。

ハングルが多少読めても単語力がないとあんまり意味がない。

チキン料理を頼むと一羽分出てくる。タッカンマリ、フライドチキンなど、すべての部位を味わえるので、生き物を頂いている、という感覚が自然と生まれる。

食事は野菜と肉がメインで概ね筋肉増強に良さそう。

コーヒーはアメリカンが主流。日本におけるブレンドコーヒーの如く、アメリカンとはいえ充分濃くて美味しい。

一番の衝撃は、皆さん楽しそうなこと。

お喋りがとにかく盛ん。深夜も道端で年配の人たちがストレッチをしながらお喋りしていたり。

また、カップルの、自らを理想に近づけて素敵に見せる執念にも、自分を客観的に社会の中で位置付けるドライな姿勢を感じた。

健康的で楽しそうな反面、ストレスも多そうな社会であるような印象を受けた。

バスに乗っている時、狭い路地で反対車線のバスとすれ違いざまに運転手さんがコーヒーを受け渡すのを見た。勢いよく挨拶を交わし、コーヒーを上手く受け渡すゲームをやっているようで微笑ましかった。

ソウル路から旧ソウル駅舎を眺める
ダンキンドーナッツの店舗がたくさんありました

野口泉参加公演

WORLD’S END UNDERGROUND
https://lit.link/WEU
SENDAI/TOKYO 2022.10.22~12.20

#カタルカイ 「世界の終わりに生まれるアンダーグラウンドとは?」
10.22 (土)〈仙台〉even/TURN ANOTHER ROUND

#ツクルカイ ハラサオリ× CORVUS 「表現以前」
11.8(火)〈都内某所*完全非公開〉

#フレルカイ CORVUS新作公演 「World’s End Underground/即狂空間」
11.22(火)11.23(水・祝)〈仙台〉エル・パーク仙台スタジオホール

12.13(火)~ 12.18(日)〈東京〉中野テルプシコール

ローマ公演 2022年10月
MAXXI ローマ国立21世紀美術館「Daido Moriyama con Shomei Tomatsu TOKYO REVISITED」展

「The Heretic Body」にて世界初演 【WORLD’S END UNDERGROUND】

主催・企画 CORVUS
共同企画 呉宮百合香
制作 コルヴスオフィス 瀧本麻璃英
制作協力 月のピトゥリ〈仙台公演〉
広報 西原栄
助成 (公財)仙台市市民文化事業団

______________________________________________

こうもりクラブ 新作オイリュトミー公演「眼の人」Me no Hito
2022年11月5日(土)
八王子クリエイトホール
Wär nicht das Auge sonnenhaft, die Sonne könnt es nie erblicken. ――-J.W.v.Goethe
もしも眼が太陽のようでなかったら、太陽を見出すことはできない。――J.W.v.ゲーテ

◉日時 2022年11月5日(土)15:00~/19:00~
※受付開始は開演45分前、開場は開演30分前

◉会場 八王子クリエイトホール
〒192-0082 東京都八王子市東町5番6号
【交通】JR八王子駅北口、および京王八王子駅からいずれも徒歩4分
Google mapを開く

◉前売りチケット料金(全席自由)
一般 3,000円  29歳以下 2,500円 
※当日券は500円プラス
※29歳以下チケットをお求めの方は、当日、証明書をご提示ください

チケット購入  Confetti(カンフェティ)
 
構成・演出  三上周子
舞台監督  呂師
照明  三枝淳
衣裳協力  富永美夏
制作協力  林慶一
映像撮影  たきしまひろよし
スチール撮影  袴田和彦
宣伝美術  鈴木健太

主催  こうもりクラブ
協賛  カフェ・ヒンメル クレーシュすみれ

文化庁「ARTS for the future! 2 」補助対象事業

仙台で撮影

9月18日夕方〜20日にかけて仙台へ滞在。

富田真人監督作品「不在という存在」撮影。

台風が来ているということで定時の指定席より早めの新幹線の自由席に乗った。東京始発のやまびこ、発車2分前に駆け込んだ。混んでいるが座れた。購入したお弁当をゆっくり食べたかったが落ち着かないので断念。

16時位にホテルにチェックインしてセリフを覚える。なかなか入らない。
仙台は台風前のじっとりした空気でものすごく蒸し暑い。すぐに服を脱いでホテルの寝巻きに着替え冷房を最強にした。

夜間、三井ガーデンホテル仙台が揺れている等の情報あり。

宿泊客が全員外に出されているらしい。この状況が自分に降りかかっていたら、と思うと冷や汗が出る。次の日のことを考えると宿泊客はさぞかし休めず不安な思いをしたことだろう。

揺れの原因は免震構造の誤作動とのことだった。

翌日の撮影は台風の影響で強風であったが雨に降られることなく滞りなく進行。主に海辺でのロケ。ひたすら風に耐える。
演技に関しては、自分の能力不足に落ち込んだがとても勉強になった。

撮影後はホテルに戻りシャワーを浴びて砂を落とした後、共演者である上村なおかさんと合流して夕食。

三連休の三日目の月曜日で店があまりやってない。やっと見つけた店で食べたかった牛タン焼きを頼むもものすごく硬い。

でもそんなことすら楽しい食事であった。

翌日の朝早く帰京。東京に近づくにつれ雨足が強まる。台風が直撃している九州方面の安否が危ぶまれる。

午前中には帰宅できたが疲労感が強かったので予定を変更し体を休める1日になった。予定を詰め込みすぎないように気をつけたい。

体調管理と予定の調整は難易度の高いパズルを解くようなものだ。失敗を繰り返しつつあれやこれや予想を立てる。

野口泉参加公演

WORLD’S END UNDERGROUND
https://lit.link/WEU
SENDAI/TOKYO 2022.10.22~12.20

#カタルカイ 「世界の終わりに生まれるアンダーグラウンドとは?」
10.22 (土)〈仙台〉even/TURN ANOTHER ROUND

#ツクルカイ ハラサオリ× CORVUS 「表現以前」
11.8(火)〈都内某所*完全非公開〉

#フレルカイ CORVUS新作公演 「World’s End Underground/即狂空間」
11.22(火)11.23(水・祝)〈仙台〉エル・パーク仙台スタジオホール

12.13(火)~ 12.18(日)〈東京〉中野テルプシコール

ローマ公演 2022年10月
MAXXI ローマ国立21世紀美術館「Daido Moriyama con Shomei Tomatsu TOKYO REVISITED」展

「The Heretic Body」にて世界初演 【WORLD’S END UNDERGROUND】

主催・企画 CORVUS
共同企画 呉宮百合香
制作 コルヴスオフィス 瀧本麻璃英
制作協力 月のピトゥリ〈仙台公演〉
広報 西原栄
助成 (公財)仙台市市民文化事業団

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こうもりクラブ 新作オイリュトミー公演「眼の人」Me no Hito
2022年11月5日(土)
八王子クリエイトホール
Wär nicht das Auge sonnenhaft, die Sonne könnt es nie erblicken. ――-J.W.v.Goethe
もしも眼が太陽のようでなかったら、太陽を見出すことはできない。――J.W.v.ゲーテ

◉日時 2022年11月5日(土)15:00~/19:00~
※受付開始は開演45分前、開場は開演30分前

◉会場 八王子クリエイトホール
〒192-0082 東京都八王子市東町5番6号
【交通】JR八王子駅北口、および京王八王子駅からいずれも徒歩4分
Google mapを開く

◉前売りチケット料金(全席自由)
一般 3,000円  29歳以下 2,500円 
※当日券は500円プラス
※29歳以下チケットをお求めの方は、当日、証明書をご提示ください

チケット購入  Confetti(カンフェティ)
 
構成・演出  三上周子
舞台監督  呂師
照明  三枝淳
衣裳協力  富永美夏
制作協力  林慶一
映像撮影  たきしまひろよし
スチール撮影  袴田和彦
宣伝美術  鈴木健太

主催  こうもりクラブ
協賛  カフェ・ヒンメル クレーシュすみれ

文化庁「ARTS for the future! 2 」補助対象事業

手帳

人からの助言で手のひらサイズの手帳を持ち歩くようになった。

気になったこと、ふと思ったこと、その日の体調など、何でも書いている。

自分だけのタイムラインのようなものである。

文字を書くこと自体に喜びがある。

ボールペンのインクがなくなり、文字が掠れるようになった。

文房具屋さんで芯を変えてもらう。

同じペンで、また書けるようになったことがこんなに嬉しいとは知らなかった。

ここに葉っぱの化石がある

自然とホラー

最近の散歩は街なかより、人気のない川辺を選んでいる。ブツブツ呟いても周りに人がいないと気を使わなくてもいいし気が楽だ。クリーム色に枯れた芝の上や、桜の木の根を避けながら歩くのもアスファルトの上を歩くよりフラクタルな感じがする。ところどころ置いてあるベンチに座って背中を暖めるのもいい。

ここ数日、夜寝る前にメルカリで買い直した楳図かずおの『神の左手悪魔の右手』を読んでいる。数十年前に読んだときはあまりの残酷さに気分が悪くなったが同時に素晴らしい作品であることも感じていた。ものすごいスプラッター描写があるが、本を閉じて眠りに落ちても夢見が悪くない。むしろなんとなくリラックスできるのはなぜだろう。

自然の中には直線が無いが、それはスプラッター描写においても同様だ。血や肉の飛び散るカオスには直線的な要素がない。色味や雰囲気は違うが基本的に自然と内臓は似ている。自然の中を散歩していると自分の体内を歩いているような気分になるのである。

長い散歩

体力づくりのための長い散歩。

私の住んでいる地域は地形が起伏に富んでいる。いわゆる坂道が多いのだが、その景色が気に入っている。

急な坂道の先に人がいた

坂道というのは人を惹きつけるものがある。

高低差が生み出す見晴らしが自己の身体のサイズ感を凌駕するからだろうか。

人がほとんどいないのも好きな点だ。

「団地」と名のつく集合住宅群。こちらの建物も内部がどうなっているのか気になる。

散歩は自分の現在位置を変化させていく行為である。


自分がどこにいるかを把握するためにはとにかく行動してみることだ。

コロナになってからの飲酒事情

コロナの自粛が始まった2020年3月あたりから、ほとんどお酒を飲まなくなった。

【理由】

・お店に行ってお酒を飲むという雰囲気じゃなくなってしまったこと

・緊急事態宣言、まん防等で飲食店がやっていないこと

・一人で家で飲むほどお酒が好きじゃなかったこと

飲酒すると消化が悪くなるのか、翌朝の目覚めがスッキリしない、体が辛い、というのもある。

何かの祝い、一仕事やり終えた時など、自分にとって非日常的なイベントがある時は楽しい気持ちで飲むこともある。

コロナに関係なく、毎日の晩酌や楽しみとしての飲酒習慣を続けている人を見ると、消化器系統が強いのが少し羨ましく感じる。

総じて自分はお酒という嗜好品自体が好きというよりは、酒場と、それにまつわる雰囲気を楽しんでいた、ということになるのだろうか。

夜の酒場がやっていないのは悲しく感じる。

楳図かずお大美術展

鑑賞には事前の予約が必要だったようで、当日の朝、予約。

前売り券を購入しておくほうがベター

これから行かれる方はローソンチケット(Lコード:31110)もしくは東京シティビューオンラインサイトで購入できます。

新作絵画101枚で構成された『ZOKU-SHINGO』。

こちらは漫画『わたしは慎吾』の続編になる。
『わたしは慎吾』が好きな私にとって絶対に見逃せない展覧会なので意気込んで予定を調整して臨みました。

101点をじっくり2周して2時間があっという間に過ぎて行きます。

楳図かずおさんの原画、しかも素描と彩色の両バージョンを間近で見られる日が来るなんて信じられない思い。とんでもない独創性とイマジネーションに驚きの連続でした。

グッズコーナーで『わたしは慎吾』の扉絵シリーズのポストカードを購入。

森タワーの52階は朝は眩しかったので、会期中、今度は夕方以降に行きたいと思います。

『わたしは慎吾』に登場する東京タワー

52階から渋谷と新宿と青山墓地が一緒に見える

治療あれこれ

年明け、疲れが出たのか体調の悪さが極まり、以前から考えていたホメオパシー相談に行ってきた。

ホメオパシー自体は10年以上前から独自に学び、使用してきたが、今回は自分の心身に起こっている症状に他人の視点が入った方が有効だという自覚があり、とうとう相談に踏み切った次第である。

実際対面で相談するにあたり、事前に長い問診票の記入がある。中でも自分にとって大きかった出来事をタイムライン様式で記入する「自分史」作りは際立って特色的である。

こちらを記入するにあたり、自分の幼少期の疾病について母に連絡するなど。もちろん記憶が飛んでいるところも多々ある。

自分の人生で起こった出来事を振り返るという作業が、現在の自分の体調に少なからず関わってくるという考え方が興味深いが、考えてみれば、関わっていないはずはない。

それぞれの出来事に、結果から類推する原因があり、それぞれに固有の治し方がある。

昨日の雹が降った後の虹

『こうもりクラブプロデュース 星降る夜のクリスマスオイリュトミー』振り返り 其の一

昨年12月23日の『こうもりクラブプロデュース 星降る夜のクリスマスオイリュトミー』公演からあっという間に2ヶ月が過ぎました。

その間、公演の制作業務をこうもりクラブで頑張って進めています。
私自身といえば、終演後すぐに笠井叡新作 天使館ポスト舞踏公演 『牢獄天使城でカリオストロが見た夢』の稽古に合流し息をつく暇もなくもう2月の半ばとなりました。


『こうもりクラブプロデュース 星降る夜のクリスマスオイリュトミー』は、こうもりクラブの三人(三上周子、清水矢須江、野口泉)が、それぞれソロ作品をじっくり稽古するという目標がまずありました。

それに、若手のオイリュトミスト清水隆陽路さん、同じく新進気鋭の若き女優の角田萌果さんがデュオ作品で加わってくださり、ソロ、デュオ作品の柱が決まりました。

さらに、Lands and Skies のユニットを組まれている尾崎梓さん、尾崎行輝さん、コルヴスなどの活動で多岐にわたり活躍されているオイリュトミストの定方まことさんの出演が決まり、作品と表現力の豊かさがより幅広いものになりました。

定方まことさんには、作品のラストをしめる音楽の群舞作品のオイリュトミーフォルム作成と指導もご依頼しました。クリスマスらしい曲をこうもりクラブで選定したものを、定方さんが素晴らしいフォルムに立ち上げてくださいました。

群舞作品では普段なかなか実現することの難しい、幅広い年齢層のオイリュトミスト達が一同に会することができたのも素晴らしい経験となりました。特に、若手の清水隆陽路さんと経験豊かな先輩オイリュトミストの共演が実現できたのも嬉しいことでした。
稽古において、それぞれのオイリュトミストの動きの質をお互いが意識し合いながら馴染ませていく作業は、自分の動きの良さを保ちつつも、他者の中に溶け込んでいくような得難い感覚がありました。

こうもりクラブのフェイスブックページで【出演者へのインタビュー】【オイリュトミー豆知識】がお読み頂けます。https://www.facebook.com/koomori.club

今回の公演では、角田萌果さんという俳優とのコラボレーションを行うという新しい挑戦もありました。萌果さんには作品冒頭の重要なセリフを言ってもらい、その言葉が作品全体を通した一つの通奏低音として響くような構成になっています。

同時にオイリュトミストであり、雑誌編集者でもある尾崎行輝さんにも俳優パートの大きな部分を担当してもらいました。この行輝さんの「メフィストフェレスの誘惑」と題された3パートはライナー・ヴェルナー・ファスビンダーのTV作品「ブレーメンの自由」から着想を得ました。

作品全体のカラーは1920年代のベルリン。
衣裳の富永美夏さんに、アルフレート・デーブリーンの小説『ベルリン・アレキサンダー広場』をR・W・ファスビンダーがテレビシリーズ化した映像から、それぞれの出演者の衣装イメージを起こしてもらいました。衣裳をまとうことで出演者それぞれのキャラクターが現実世界に一気に立ち上がってきました。

富永美夏さん衣裳イメージのスケッチより


©︎『こうもりクラブプロデュース 星降る夜のクリスマスオイリュトミー』写真撮影:袴田和彦 照明:吉田一弥


素晴らしい舞台写真の数々はただいま公開準備中です。
『こうもりクラブプロデュース 星降る夜のクリスマスオイリュトミー』配信映像 (こちらも公開準備中)と合わせて、もう少しでお届けできると思います。どうぞご期待下さい。

こもこもけなもと 見終わってすぐのメモ

こもこもけなもと 振付・演出 関かおり

【見終わってすぐのメモ】


・人間が垂直歩行であることの人類史的に見た時の特異性
・そして動物の四足歩行と、大動脈が平行に流れているか、垂直に立っているかということと、人間自我の関係性
・人間の感覚器官が多く頭部に集まっているということの意味
・その頭部の顔に、表情があるということの意味 笑顔、、
・ものすごい身体能力がないとできない動きを何気なく行うことの稽古の大変そうさ
・平安時代を彷彿とさせる身体、純日本的な身体で構成されていることの意味
・こんなに難解なものを1時間魅せてしまうことの凄さ

痛みで眠れない…

寝込んだ。

平熱が36土台であるから38度近くまで発熱すると横になっても痛みで眠れない。頭、関節、大腿部、腎臓、、、

本を読むのも機器の画面を追うのも目が痛い。

頭が痛くない瞬間を見つけては眠り、目覚め、眠り、を繰り返す。ただ、普通に、眠れることがどれだけ幸せなことかを知る。

だいたい体調を崩す前というのは、暴飲暴食になっていることが多い。

気をつけていたつもりでも、付き合いや、状況に合わせすぎた食べ(残っているものをたべる、せっかく買ってしまったから食べる、これしかないから食べる)が続くと、何が何だかわからなくなってくる。なんだか体がスッキリしない。太る。

今回は、忙しすぎてストレスが溜まっていた時、食べもしないのに帰りに買って冷凍庫に溜めていたハーゲンダッツ。

ストレス買いをしていたリンドール。

そしてコーヒー。ひたすらコーヒー。

それらを空腹時に食べる、ということを繰り返していた。空腹時に食べればすぐ消化するんじゃね?! という見通しの浅い考えのもとに。

日常的に甘すぎるものを大量に摂っていると味覚が濃い味に慣れてしまい、感受できる味覚の幅が極端に狭まる。極端に味の濃いものを大量に摂取しすぎたときに限界を超えて体調が悪くなる。

しかし、そういう極端な味覚に走るというのにも理由があって、やはり忙しすぎる、自分に合わないタイプの仕事をこなさなければならない、など、何かしらのストレスがかかることが条件であるように思う。

それを完全に避けて生きることはできない以上、体調を壊すということは、ある程度必然の流れではある。

小から大へ、薄から濃へ、謙虚から傲慢へ、恥じらいから大胆さへ。

極に振り切れることなく中庸であることこそがむずかしい。とかく人は興奮する方向を求めがちである。

三日間寝込んだ後は、どんな薄味なものでも美味しく感じる。
ただ眠れることが嬉しい。そう感じることができることが新鮮だ。

日頃、自分が何を食べたいのか、何を食べたら自分がどうなる傾向があるのか。

そろそろわかりたいものである。

福生。Demode Heaven 隣の席で自衛隊と思われる三人組がハンバーガ二皿目いった土曜日
様式

コーヒーと映画

午後、12月公演の群舞初稽古、長くオイリュトミーをしている人たちと一緒に稽古をして動きを見るのは本当に驚異の連続。動きが興味深い。

夕方、チョコレートを衝動買いし、「コーヒー!コーヒー!」と唱えながら帰宅。すぐ豆を挽いて淹れる。最近若干中毒気味である。

夜は事務仕事をさぼり、映画を2本。『エイス・グレード』『20th センチュリー・ウーマン』。昨日見た『ヘレディタリー』と一昨日見た『ミッドサマー』が凄すぎて今日の2本がかすんだ。
特に『ヘレディタリー』は最後のくだりが色々考えさせられて何度も巻き戻してみた。この映画の中でいったい何が起こったのか?家族ドラマを装いながら人類学的な起源を語っているように見える。鮮やかに常識を覆す感性が全く新しく、『サスペリア』(2018年度版)でも思ったが、現代のホラー映画がここまできていたのだという驚き。また『ミッドサマー』の共感覚の描かれ方の二面性にも唸った。

でも一晩寝たら『20th センチュリー・ウーマン』はじわじわきた。登場人物それぞれの欠点ややらかし、孤独とささやかな幸せの描かれ方が地味すぎて、みている時は素通りしてしまうが、このくらいが実は現実に近いのかも。その分衣装や美術がすごく素敵で夢を見させてくれる。

『エイス・グレード』はアメリカの中学の話だが、校内で銃乱射事件が発生した時の避難訓練があることに驚いた。

この四作品は制作会社がA24というところなのだが話題作が多いのでできる限り全部見たい。

『angry12』red

 8月25日 劇場下見の後、久しぶりにお芝居を見に行く。『angry12』red 。出演者全て女性というのがred組。シドニー・ルメット監督の映画版『12人の怒れる男』を以前に見ていたので内容は知っていたが、やはり目の前で白熱の演技を繰り広げられると感動する。20代から4、50代(?)までの12人の女性たちの競演は見応えがあった。
 
 お芝居は人間の日常の動作が元になっているから、その役者さんの人間的な魅力がそのまま出る。舞台上の動作の全てを魅せなけらばならないのでキリがない鍛錬が必要なのだと思うと、演劇の舞台への興味は尽きない。また、通る声、通らない声、響く声、響かない声と、そのどれもが聞いていて役者さん一人一人への人間的な興味を惹かれる。

 会場のシアター風姿花伝は普段利用しない地下鉄エリアにあり、東西線落合から歩いて20分ほど。夕方行き帰りを久しぶりに3キロ程度を気分良く歩いた。帰宅途中のサラリーマンが立体交差の橋の上で朧月を見上げていた。まだ蒸し暑さの残る夜、缶ビール片手に月見をしている人を見ながら、芸術は生活と切り離せないことを改めて思う。

 

若者たち

 スーザン・バーレイ さく・え の『わすれられないおくりもの』という絵本を読んだ。
若者を見るだけで老人は元気が出るものなのだ、ということが最近分かってきた。

 若さというものはそれだけで人にエネルギーを与えることができるし、芸術作品になり得る。また商品にもなり得る。

 年齢を重ね自由になる部分と不自由になる部分がある。

 夏がそろそろ終わります。

バティック『YSee』

 8月22日 こうもりクラブの打ち合わせと稽古の後、神楽坂セッションハウスへ黒田育世さん振付演出の『YSee』を見る。
 どの作品も洒落ていて、それでいて本気度がすごくて素晴らしく美しかった。ジョアンナ・ニューサムの歌詞世界を知っていたらもっとわかるところがあったのかも。2作品目のハープがとても美しかった。
 4作品目の群舞で、一人が踊り始めてそれにつられて皆が踊りはじめる祝祭的なシーンで思わず涙が出る。自分はこういうシーンで感動するんだな、と発見した。

『田舎司祭の日記』をスクリーンで!

 6月7月と気になっていたけど稽古がつまっていて行けてなかったロベール・ブレッソン監督の『田舎司祭の日記』、まだやっていてやっと見ることができた。

日本では70年の時を経ての初劇場公開とのこと。見るのは20年ぶりくらいぶりだが当時と受けた印象が全く違った。

 新任司祭が村人にひたすら酷い目に遭う映画だと思っていたが、案外そうでもなく、司祭は自らも信仰に迷いながらもしっかりと司祭の言葉で人を救っていた。誤解を受けても弁解せず、窮地に立たされても甘んじでそれを受け入れる姿勢にやきもきしながらも深く感動。

 第二次世界大戦終結後間もない1950年に作られたこの映画の中で「神など信じない、むしろ憎しみの対象だ」という村人たちの姿勢はそのまま当時の空気感を反映しているようだ。映画が始まると、70年前の風景と人、そのみずみずしさがリアルに蘇ってくる。 
 
 2013年公開の『プリズナーズ』(監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ)という映画でも同様の”神に唾する”人物たちが描かれているが、時代の表現はどんどんヒリヒリとしたものになっている。しかしこちらの映画もかなり興味深かった。見るのは辛いが…

 胃を病み弱り果てた体で村人たちと向き合い続けた司祭の最期の言葉には本当に驚いた!

濃厚接触者になる

 先日のことだが、思いがけず濃厚接触者という立場を経験した。

 不特定多数の人が集まる打ち合わせに参加した折、その中の一人が数日後に新型コロナの感染が分かり、芋づる式に私のところにも保健所から連絡が来た。(こういう場合は自費ではなく、公費でPCR検査を受けることにる。)

会合のあった日は飲食も行われた。比較的長い時間、感染者と同じ部屋で会話をしていても濃厚感染者とはならないが、感染者と同じ皿から食べ物を食べた場合、濃厚接触者と認定されるようである。

 私が受けたPCR検査は市の保健所に午後3時〜4時までの間に検査キットを取りに行き、翌日の朝一番の唾液を採取して朝9時半〜10時までの間に窓口に提出するというものだった。係員が一人で対応してくれる。大変ストレスのかかる仕事である。
 
 私の場合は自宅から歩いて行ける場所に保健所があったため歩いて行ったが、特に電車やバスなどの公共交通機関を使わないように、とは言われなかった。具合が悪く歩けない人はどうするのだろう?

 翌日の夜7時頃、保健所から電話があり、陰性とのこと。

 仕事先の施設が私のPCR検査の結果待ちで休業してくれていたこともあり、ほっと胸を撫で下ろした。即刻連絡を入れ、翌日から事業再開されることとなり、とりあえずは一安心、ほっと胸を撫で下ろした。

 今回、濃厚接触当事者を経験することで、PCR検査について、感染症というものについて改めて勉強せざるを得なくなり、その意味では良い経験だった。
 PCR検査というもの一つとってみても、あまりにも様々な立場の人たちがいる。
ともすると見解の違いから対立を生みやすいが、反対にきめ細やかな対話が生まれる機会とすることもできる。気を付けていたとしても、おそらく今後もこういうことが増えてくるだろう。
その時々の状況の中で最善のコミュニケーションが取れるようにしていきたい。

マクドナルドの創業者とは?『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』

 「楽しい楽しいマクドナルドのお話を見終わったあとはマクドナルドに行きたくなる!」誰もがそういう作品だと思うはず。しかしまったく予想を裏切る展開が待っています。

 隠された創業秘話

 原題の”The Founder”とは「創業者」の意。1948年、モーリス・マックとリチャードのマクドナルド兄弟はファーストフード店マクドナルドを創業しました。三十秒でハンバーガーを提供するシステムを考案し、米カリフォルニア州サンバーナディーノに第一店舗を構えます。
 そんな折、調理機器のセールスマンとして全米を駆け回るレイ・クロックが現れます。レイは野心が強く、目的のためならどんなに汚いことでもポジティブシンキングという名の元にやってのける人物。彼は後に法律的な意味でのマクドナルドの「創業者」となります。マクドナルド兄弟は店名を商標登録していなかったため、クロックに店と全国フランチャイズの権利を乗っ取られてしまうのです。

効率化を計りながらも質を落とさず丁寧な商品作りに勤しんでいたマクドナルド兄弟は、利益追求型の新自由主義時代の到来に為す術がありません。

正義は勝たない?!

 正直で誠実な態度は市場原理主義に反します。正直ではいけないのです。積極的に人を騙し、自分と、自分の周囲にいる、自分にのみ富をもたらす少数のビジネスパートナーに富を分配することだけが最優先事項なのです。なるほど私たちが普段利用しているマクドナルドにこんな創業秘話があったとは。
 

 

 二人で立ち上げた夢の事業を乗っ取られ、追い詰められていくマクドナルド兄弟を見ていると本当に嫌な気持ちになります。
 しかし乗っ取った側のレイ・クロックからすれば、片田舎の小さな店を全国展開のみならず世界市場に押し上げた自分の功績は讃えられて良いものだという思いのみしかありません。実際このような態度を是とする層も多く、この映画の評価は二つに分かれています。

マクドナルド社はこの映画に出資したのか?

 どう見てもマクドナルドに資する内容ではない本作ですが、そういう作品も大スターを起用し、商業的利益を上げるパッケージ商品として世に放つことができます。
 米国にはフェアユース法というものがあり批評者が守られるという仕組みがあります。また市場経済の為せる技でもあります。充分な興行収入が見込めるのであれば製作側は利害関係を考慮した上でゴーサインを出す。だからマクドナルドの出資なしにこのような作品が存在できるのです。私たちが生活している社会そのものが今やレイ・クロックの申し子であると言えるでしょう。

 権利を守りもし剥奪しもする。これもアメリカ、それもアメリカというわけです。さまざまな意味でアメリカとは興味の尽きない国です。

 この映画の中で自分たちの夢を踏みつぶされたマクドナルド兄弟の姿。それは資本主義社会の中で徐々に行き場を失っていく私達の姿にほかなりません。世界で最も裕福な資本家26人の富は、貧困層38億人(世界の総人口の半分)の総資産額と同額だということです。今はコロナ禍中ですが、閉店する個人店を見る度にそのことがよみがえってきます。


 

『行き止まりの世界に生まれて』イマジネーションで虹をかける

原題は「minding the gap」( 段差を意識しろ)スケボーをやっているときに段差(ギャップ)に気をつけないと転んでしまう。普通に歩いている時も「段差に気をつけて!」と使われる言葉だ。

『行き止まりの世界に生まれて』(2018) は1989年生まれのビン・リュー監督のドキュメンタリー作品。米イリノイ州ロックフォードで過ごしたスケートボード仲間たちとの一時期を数年間にわたって撮影した膨大なフィルムからこの作品を作り出した。

 物語の主人公であるビンは幼少時に継父から受けた凄惨な暴力、そしてそれを見てみぬふりをしていた母へのどうしようもない怒りを心の奥に抱えていた。
 同じ年に作られたジョナ・ヒルの『mid90s ミッドナインティーズ』では分からなかったある疑問。なぜそのような悲惨な境遇にある若者がスケートボードという文化に救われるのか?それが『行き止まりの世界に生まれて』で明らかになった。
 
 この物語(ドキュメンタリー作品であるがあえて物語とする)の主人公の一人でもあり、撮影者、作品の編集者・監督でもあるビン・リュー。彼がインタヴューで語っているのは、傷つき、自己にも他者にも破壊的な感情を抑えられなくなってしまった時、スケートボードをすることでその感情を癒すことができるということだ。

「スケートボードをするときには全身全霊で意識を集中させなければコケてしまう。」

 破壊的な衝動はスケボーでハードなプレイを行うことによって昇華できるという。悲惨な環境に持っていかれそうな自分の意識を、段差(ギャップ)に集中することで、悪夢から逃れる方法がスケボーをすることなのだ。
無論その方法はスケボーに限られることではなく、その人の置かれている状況によって千差万別だ。全ての追っ手から逃れて自分自身でいられる聖域が、彼にとってはスケートボードを介するコミュニティだった。

「スケボーは動く瞑想のようなもの」とビン・リューは言う。
それは肉体から感情というクラウドを引き剥がす行為でもある。
設定するギャップは細かく精緻なものから大胆に切り立ったものまで多岐にわたっている方が良い。細部の感覚を使ってそれらに意識を向けていくうちに、いつの間にか虹のかかった場所にでている。主人公たちがスケボーで滑走するシーンにはそんな奇跡のような美しさが写っている。そしてこの映像がドキュメンタリー作品であるということの奇跡もそれ故である。

連鎖する暴力

 三人の主人公のうち、ザックは仲間内のリーダー。男らしく、憧れられる存在だが恋人のニナに暴力を振るっている。

 黒人のキアーは柔和な青年だが時々怒りに任せてスケートボードを破壊する一面がある。幼少時、父親に暴力を振るわれていたが、大人になるにつれてそれが白人社会で生き抜くための父の愛ゆえの行為であったことに気づいていく。

 ザックの恋人ニナは暴力を振るわれながらもザックからの愛を期待してしまい、ザックと対決することから逃げてしまう。

 作品はこの三人の数年間を、撮影者であるビンが追うかたちで進んでいく。やがて、母の見えないところで凄惨な暴力を振るっていたビンの継父、暴力を受け続け、誰にも助けてもらえなかった自分(ビン)自身、暴力の連鎖を断ち切ることのできる存在であったにもかかわらず、それをしなかったビンの母親の姿がこの三人のキャラクターと重なりあらわになっていく。

 自身も暴力を受けながらビンの母親は父親を庇う。「あの人が本当にひどい人だとは思えない。」継父から暴力を受け、本来自分を救ってくれるはずの母親からも見放され、ビンは自分というものが分からなくなっていく。母親はかたちだけだとしても夢見た家庭を失いたくない、孤独になりたくない。その気持ちをくむとビンはさらに何も言えなくなる。母親は子供を連れて家を出るほど強くない。ザックの恋人ニナも同様だ。

 ザックは子育てやニナとの関係から、撮影者としてのビンの視線からも逃げ続ける。しかしザックにも暴力を日常的に受けていた過去があり、知らずしてそれを繰り返している自分を責めていた。いつもお洒落でかっこよく、リーダー格のザックが見せるあまりにも痛ましい表情。

 撮影者であるビンは、いつもカメラを通して見ている。ときには自分にもカメラを向け、母親になぜ自分を見捨てたのかと問う。母とニナが重なる。

イマジネーションによって暴力の連鎖を断ち切る

「スケボーの技を習得する時、それが自分にできると信じなければ絶対にできない。」とビン・リューは言う。作品も同様にできると信じなければ完成しない。数年間に渡る膨大な撮影フィルムの中から、この三人の物語を紡ぎ出すにはとてつもない長い時間を要することは想像に難くない。作品のホームページを読むと、どうやら監督のビン・リューは出演者のキアーやザックと特に同時代を過ごしたわけではないらしい。自分のプロジェクトの被写体として出会ったようだ。脚色・編集の怜悧さに喜んで騙されたい。

「生まれ変わってもまた黒人に生まれたい。なぜなら俺たちはいつでも何かに立ち向かっているからだ。だから白人がキツいと思っているようなことでも俺たちにとってはへっちゃらなんだ。」
 
 キアーが父親に暴力を震われていたのは黒人に対して厳しい社会で息子が生きていけるようにとの愛からだった。その言葉は被虐待者としてのビンにも響く。

 父への複雑な思いから墓前に赴くことのできなかったキアーは、初めて訪れる墓所で父の墓を見つけられない。「父さんの墓を見つけることができたら今日は最高の日なのになあ」 やがて見つかった墓の前でキアーは自分でもどうしていいか分からないほど止めどないない涙を流す。

 キアーは次第に被虐待者から愛される存在へと変わっていく。そして観察者としてキアーの体験を共有するビンも連鎖的に変化していく。

 物語は愛された者として旅立っていくキアーの姿で終わる。キアーは希望の象徴としてロックフォードを出発する。

 このドキュメンタリー映画の出演者たちが、自分と同じ時代に生きていると言うことが自分を励ます。一すじの希望の光のような存在感を放つ自分にとって特別な作品だ。

『ビーチ・バム まじめに不真面目 』 ハードボイルドなタイピスト

 ハーモニー・コリンの『ビーチ・バム まじめに不真面目』が本日(5月20日)で都内上映打ち切りということをTwitterで知り、急遽予定を変更して立川まで行ってきた。予想以上に下品であけすけ描写が多かったけど、全体的に抑えた演出でハーモニー・コリンは本当に巨匠になったんだ…と同世代の者としては感慨深かった。

 主人公のムーンドッグはずっと遊んでいるけど全く遊んでいるように見えない。ここまで徹底して遊ぶというのは楽しいはずはなく、むしろ大変だと思うし、仕事(詩作)をめちゃくちゃしている。遊んでいるのか仕事をしているのか分からない。ここまでいくと人間を超えた存在なので善悪の区別も彼には適用されない。感情にも比較的しばられない、そういう意味で自由だ。マリファナを吸ったりずっとビールを飲んだりすることが自由かというとそうではない。

 ストーリーはシンプルでどんでん返しとか全くないが、こういう内容を描く場合はむしろこれでいいのだ。骨太のプロットに魅力的な役者。放火犯や偽船長の描写も衣装やメイク含めて絶妙なおかしみと神聖さ、そしてさりげなさがある。(ザック・エフロンの出演部分は豪華だ!)前作の『スプリング・ブレーカーズ』は正直どう受け止めて良いのか分からなかったけど、今作とポジ・ネガ的な繋がりを感じた。 

 マシュー・マコノヒーは出演作品数も多く全く別人の役が多いのでもっともっと見たくなるという中毒性がある。案の定マコノヒーがもっと見たくて帰宅後に『マッド』『リンカーン弁護士』を見る。私も仕事をしなければならないんだけど…

 作品中で二度繰り返される「夜中にトイレに経って下を見下ろすと、、、」の詩はピストル自殺をしたリチャード・ブローディガンの『ビューティフルな詩』 
ブローディガンがマコノヒーのムーンドッグに転生したかのような幸福感と訳のわからなさが混在していて素敵だった。あらゆる姿勢でタイプライターを打つムーンドッグの勇姿が瞼に焼きついていつまでも感動させられる。

『L.A.コンフィデンシャル』を20年振りくらいに…

『L.A.コンフィデンシャル』を20年振りくらいに見返す。初見当時、やたらおもしろいということだけが記憶に残っていたけれど、細部は全く理解できていなかった。誰が味方で誰が敵かも分かってないのに面白く見させるっていうのは相当多義的な魅力に富んだ作品なのでしょう。久しぶりに見て…これは…やはり最高に傑作でした。
 きっかけはそもそもなんとなく初めにマイケル・ペニャを見たくなり、『エンド・オブ・ウォッチ』を見てデヴィッド・エアー監督いいなーと続いて『フェイクシティ ある男のルール』これがまたとてもよく、しかも『L.A.コンフィデンシャル』に話がそっくりだと思ったら脚本ジェイムズ・エルロイ。さらに偶然「アンダーワールドU.S.A.シリーズ」第1部『アメリカン・タブロイド』上下巻2冊をなぜか各巻100円でブックオフで入手し読み終わっていたところということもあり、

ブックオフミラクル


続けて「L.A.コンフィデンシャル」を見ると主要人物設定がほぼ同じですごくわかりやすかった。主人公二人/猪突猛進タイプと冷静沈着タイプのドラマが主軸になり、タブロイド誌のトップ屋の洒脱な節回しで物語が進んでいく。そして魅力的な脇役(ロロ・トマシ…)、裏切りにつぐ裏切り、落ちていく人、はい上がる人のひきこもごも…。
「アメリカが清廉潔白だったことなんて歴史上一度もない。」『アメリカン・タブロイド』の書き出し。ジェイムズ・エルロイの筆致が冴えわたる裏の時代史。

ちょっとあれなんだろう!?

 普段あまり外食する方ではありませんが、この緊急事態宣言中、通りを歩いていてほとんどのお店が閉まっている時間帯など、寂しいです。このお店に集って楽しそうにやっていた人たちはどうしているんだろう、テキパキ働いていた板前さん・大将・店長・料理人・ホール係はどんな日常を過ごしているんだろうと想像してしまいます。

 そんな時は散歩に出るのがおすすめです。街を歩いているだけで、面白いものに出会えるから。

 先日はパンチパーマ、アイパーがかけられるという鹿の首の剥製が飾ってある理髪店を見つけました。ツイン・ピークスに出てきてもおかしくない店構えに萌え。

「アイパーとは何だろう?」という疑問に対しては埼玉県の新所沢にある理容店・床屋 ヘアスタジオガイズのブログで多彩なテクニックを見ることができました。これがアイパーなんだ!街でよく見かける髪型は「濡れパン」だったんだ!勉強になります。

 近場での散歩であれば、その日の気分に合わせて気楽にルートを決められるという利点があります。今日は何となく見晴らしが良いところ、空気が清々しいところに行きたい等。

また時間帯によっても、日没が近ければ夕焼けが素晴らしいところ、夜であれば比較的明るい道など、その時の状況に合わせてフラッとほっつき歩く、そんな気まま加減が近場散歩の良いところ。

目新しさはなくとも、自分の日常を取り巻く環境を肌で感じることができるのです。

鮭を使ったメニューが多かったキッチンベル

あそこの工事が少し進んだとか、いつも窓際にいて通りを見ているおじいさんが今日はいない、というような、小さな発見の数々によって、相対的な現在進行形の街の雰囲気を感じ取ることができるのです。さて、今日の牛はどんなかな?

草を食べ終わってのんびり

 反対にしっかり計画を立てて攻める遠出散歩。前からゆっくり歩いてみたかったところであれば、まずマップを検討してどのくらいの時間をかけてどこからどこまでの移動を目的とするかを考えます。その作業だけでもかなり楽しいものです。

限りなく透明に近いブルーな風景を激写

その土地の初心者である故に選んだ、なんの変哲もなく空気の悪い産業道路を歩いていてさえ発見の連続になること請け合いです。

ランチ時の立川を激写。

 地元の人ならば、なんらかの目的がなければまず通らないような田舎道を歩いている時など、向こうから歩いてくる地元の住人が、こちらが地元の人間でないということを諒解していることがなんとなく伝わります。

挨拶を交わすわけではないけれど、何かお互いに居心地の良いような悪いような、独特のコミュニケーションが生まれる瞬間。自分がよそものであるという新鮮な感覚。自分のテリトリーにいてはなかなか味わえないものです。

 また、思いがけないところに大きな段差があったり、周囲の雰囲気がなんとなく違う一体があったりする場所は、探究心が湧いてくるならば、帰宅後にその地の歴史や成り立ちを調べるのも楽しい時間となります。

日が落ちた後しばらく続くミラクルタイム…

 

 しかし、いくら周到にマップとルートを検討しても計画通りには決していかないのが小旅行の醍醐味。googlemapに載っていない店などいくらでもあるのです。実際行ってみなければ見つけられない小径もたくさんあります。

緊急事態宣言下でも酒類販売禁止でも「居酒屋必要ないですか〜?」という声が聞こえてきたりするように、みなさんそれぞれの状況下で生きています。

 ふらっと外に出るだけで、今まで見逃していたあなた好みの風景に出会えるかもしれません。散歩は未知との遭遇です。知覚感覚の拡張に他なりません。どんな小さな散歩も、そこから生まれる感覚や疑問はあなたを知るヒントになるはずです。考えが行き詰まった時など、自分の固定観念を打ち破る助けにもなります。

さあ、散歩に出かけてみよう!

フィトンチッドを感じる…

ハッピー・バースデイ!

交差点で、デルタ9てやつはメガネのちっちゃいやつで、一人は逃げて〜、という会話が聞こえてきて、

あー、舐達磨というおもしろい名前を持ったラップのグループは幻でなく本当に存在するんだな、とぼんやり思った。

私はその音楽を聴いたことがないが、

誰かの魂を救うような音楽はいつの時代も生まれてくる。

人間は、言葉や、音や、旋律の組み合わせで涙が出たりする。それは本当に神秘的なことだ。

そのことを分析して説明することができたとしても、

素晴らしい曲は次から次へと降ってくる。

私のバースデイにいただいた水晶

少女ムシェット

幸福に泥を投げつけるムシェット、頬を張られて黙って泣いているムシェット、カフェオレの入れ方がものすごく適当なムシェット、机の下に隠れるムシェット、クロワッサンを投げ捨てるムシェット、酒をらっぱのみしても酔えないムシェット…
ロックンロールの定義は人の数だけあると言うが、私にとっては彼女のすべてがロックンロールだ。

香りの王様

電動ブレンダーに入れる前に大体の大きさを均一にする

スパイスカレー作りにはまっています。

手前の緑のさやと黒い中身のものは、香りの王様と言われているホールのカルダモン。


レイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』(ハヤカワ文庫)で、主人公の探偵フィリップ・マーロウが、悪徳警察署長と互いの腹の内を探り合うスリリングな会話のシーンで、お酒と共にカルダモンが登場します。


私たちは飲んだ彼はしょうずくの実をいくつか割り、私たちはお互いの眼を見つめながら、黙ってその実を噛んだ。

この「しょうずく」というのがカルダモンのことです。
8世紀頃にバイキングたちがトルコからこの実を欧米に運んだのだそうです。

お酒や食事の匂いを消すために食後にこの実を噛む習慣もあるらしく、『さらば愛しき女よ』の中では、酒のつまみというよりも匂い消しとして使われているのですね。
だって場面は昼下がりの警察署長室ですから!

カレーを作るときは電動式のブレンダーでガーッとやるのですが、こないだ少量をすりつぶしてみたら電動に比べてものすごく良い香り。


電動ブレンダーは便利だけれど、時にはゆっくり香りを立たせてみたいものです。
やはりすりこぎとすり鉢が欲しくなって来ました。

まっすぐな散歩道

散歩の途中、長くて真っ直ぐな道を見つけると嬉しい。飛び出してくる車や人を避ける必要のない人気のない道だとなお良い。気をつけることが少ないほどリラックスして歩けるからだ。

しかし最近は人通りがめっきり少なくなったような気がする。

長い道の初めから終わりまでほとんど人とすれ違うことがない。特に小さな子供の遊ぶ姿を見ることはまれだ。

今後、日本は少子高齢化が進み、さらにこの光景に拍車がかかるはずだ。空き家が増え、閑散とした街並みの中を歩くことになることは想像に難くない。

なにはともあれ、歩いていると家々からさまざまな匂い、音や会話が流れてくる。

人の生活を身近に感じることができる。もしくはかつて生活の場があったであろう空間を。

そんなことを感じながら住宅街を歩くのが好きだ。
その道の今を感じながら歩いて行きたい。

仙台駅の新幹線改札口