やたら強い女やブランド品が沢山出てくる軽快さと、通奏低音のように流れるタイトルの意味の重さが対照的である。
多少流れがいびつになっても売れる本を作ろうという意欲を感じる。受けるネタを詰め込みあくまでも結果を出そうと暴走するストーリーにひっぱられて登場人物が精彩を放つこの感じ、嫌いじゃない。
ドジっ子の主人公もヤキモキするけど嫌いじゃない!
カーアン・ヴァズ・ブルーン&ベニ・ブトカ『誹謗』長谷川圭訳早川書房
やたら強い女やブランド品が沢山出てくる軽快さと、通奏低音のように流れるタイトルの意味の重さが対照的である。
多少流れがいびつになっても売れる本を作ろうという意欲を感じる。受けるネタを詰め込みあくまでも結果を出そうと暴走するストーリーにひっぱられて登場人物が精彩を放つこの感じ、嫌いじゃない。
ドジっ子の主人公もヤキモキするけど嫌いじゃない!
カーアン・ヴァズ・ブルーン&ベニ・ブトカ『誹謗』長谷川圭訳早川書房
現世の劇を成功させる秘訣は、すべての物の釣合いを保ち、自己の位置を失わずして他に譲ることです。自分の役柄を立派に演ずるためには、その劇の全体を知らなければなりません。個人という概念の中で、全体という概念はけっして見失われてはならないのです。
これを荘子は、得意の「無」の比喩をもって説明しています。ただ「無」にのみ実在の真に肝要なものがある、と荘子は主張しました。たとえば、部屋の実在は、屋根と壁に囲まれた空間にあるのであり、屋根や壁自体ではないのです。水指の役に立つところは、水の入る空間にあり、水指の形とか、それを作っている材料にあるのではありません。「無」はすべてを包むがゆえに万能です。無にあってのみ、運動が可能になるのです。己を虚しくして、そこに他が自由に入りこめるようにできる人は、どんな場合においても、自由な支配者でいられる-全体は常に部分を支配できるのです。
こちらの言葉、オイリュトミー群舞稽古の極意ではないでしょうか?! オイリュトミーで沢山の人たちと一緒に群舞を作り上げていく作業は自分を知る絶好の機会。毎日のお稽古に参加させていいただくことはとてもありがたいことだなと最近特に思います。
こんにちはオイリュトミスト野口泉です。
映画『ゲット・ショーティ』や『ジャッキー・ブラウン』(原作は『ラム・パンチ』)の原作者として有名なエルモア・レナードの最新刊「オンブレ」を読んだので紹介します。
幼少期にさらわれてアパッチ族に育てられた“伝説の男”「オンブレ」
オンブレとは「男(man)」という意味のスペイン語だ。黒い肌にブルーの瞳、一見白人のようだがアパッチ族の砂漠で生き抜く術も心得た孤高の主人公が、灼熱の荒野で悪党たちと息詰まる死闘を繰り広げる…
エルモア・レナードの犯罪小説を読んだことがある人は多いと思いますが、初期に西部劇を書いていたとは知る由もありませんでした。なんとそんな初期傑作二作品がこの度出版されたのです。書店で見つけて即購入しました。
訳は村上春樹さんです。
この小説ではさまざまな背景の人物がマッドワゴン(いわゆる駅馬車)に乗り合わせます。
御者、17歳の少女、インディアン管理官夫妻、荒くれ者、そして語り部である青年と“男”(オンブレ)。この青年がオンブレとの出会いからことの次第を回想する、という形で物語は進んでいきます。
灼熱の砂漠においても、オンブレはアパッチ・インディアンの中で育っているので、消耗しない水の飲み方を知っている。また砂漠を歩かねばならない時は一人だけカウボーイブーツを脱いで、見たこともないようなモカシンに履き替える。
そういった描写の端々がオンブレの人物像を浮かび上がらせます。
今期の猛暑、外を歩いてクラクラしながら、つい「オンブレならこんな時どうしただろうか」「水道が民営化されてと考えてしまいます。
物語が進むにつれ、マッドワゴンに乗り合わせた全員にそれぞれの精神的な極限状態が訪れます。
そんな中でオンブレは徹底的に孤独であり、思想的にも行動的にも自分だけのルールに従ってブレません。
なぜそんなに冷静でいられるのか。
人間を超えた透徹した冷たさ、それは感情という要素をそぎ落とさずには生きてこられなかったオンブレの半生を想像させます。
そんな生命の本質だけが冷たく輝いているような孤高の存在であるオンブレの壮絶な生い立ちが語られるでもなく語られます。レナードは語らずに匂わせることが最高に上手い作家です。
ネタバレになるので詳しくは書けないのですが、こういう人物がいる(小説の中だけど)のなら生きていける、もう少し頑張れる、そう思わせる主人公像を創作したレナードはすごい。脱帽というしかありません。
そしてこの小説に出てくる悪役は本当に悪い。想像を絶するワルさです。でもそれがいい。ギリシャ神話なみにすべての登場人物のキャラが立ってます。
また人種差別が普遍的な人間の問題として淡々と描かれている。そこに説教くささや押し付けは一切ない。ただ特異な生い立ちを持つ一人の男が見る世界がそのまま綴られる。
欺瞞、裏切り、さげすみ、あらゆるみじめさ、うしろめたさを抱えた登場人物たちは、砂漠を生き抜くために彼を指針とするしかない。
そしてついに訪れる究極の選択のとき…!
文句無しにおもしろいので夏に読書したいと思っている人には絶対的におすすめします!
犯罪小説家として有名なエルモア・レナード(1925-2013)の初期傑作作品集。エルモア・レナードは小学校5年生の時から芝居の台本を書いていたらしい。
村上春樹訳である。
人間の極限状態が描かれている西部劇。
御者メンデスのセリフがかっこいい。
現代人にとって新鮮な感覚で読める内容。
こちらもおすすめ
古本屋さんで見つけたらぜひ。
1977年刊の『シャイニング』はキューブリックの映画化作品があまりにも有名ですが、やはり小説の方が数段おもしろい。
今回読んだ『ドクター・スリープ』は『シャイニング』で幼児だったダニー少年が成長し、父と同様アルコール中毒になっています。
スティーブヴン・キング自身も薬物、アルコール中毒に苦しんだ時期があるようです。
『11/22/63』は1963年11月22日のダラスでのジョン・F・ケネディ暗殺が主題となっています。こちらも好きです。
アガサ・クリスティは有名すぎて長らく手に取らずにいました。
ですが最近海外ドラマで『そして誰もいなくなった』を見てあまりのおもしろさに驚き、
それ以来時間があるときに読むようにしています。
『未完の肖像』はクリスティ作品のなかで、「ミステリ」ではなく「普通小説」という部類に入ります。ですので殺人が起こったり名探偵が出てきたりしません。
主人公の少女シーリアの生活の描写が延々と続きます。年頃のシーリアがアニー・ペザントの『神智学』を読んで退屈する場面なども出てきて興味深いところです。
読み進めていくと主人公シーリアとは、ほぼクリスティ自身の娘時代のことであることがわかってきます。
非凡なようでいて平凡でもある一人の女性の人生。どこにでもある恋、だれもが抱く将来への夢、両親や周囲の人々の思い出。
才気煥発な少女の目を通して瑞々しく描写される時代。まるでタイムスリップしたような感覚におちいります。
500ページ越えの長編ですが飽きることがありません。
ファンタジー、ロマンス、そしてなんとサスペンスまで、全てが詰まっています。
一見地味だけど「こんなにすごい小説があったんだ!」と驚くことうけあいです。
読後、女版『バリー・リンドン』のようだと思いました。
本書を読み終わった後、アガサ・クリスティ自身への興味が湧いてきます。
アガサ・クリスティ自身の生涯とほぼリンクした内容
長い小説なので通勤途中、仕事の気分転換に読み進めていくのにおすすめ
19世紀初頭のイギリス上流社会の風俗が興味深い