金曜夜の九時、仕事に疲れた私は持ち帰り牛丼を求めて入店する。
券売機に並び、最もポピュラーな牛丼並盛りを選ぶ。私の前にチケットを購入したサラリーマンでカウンターは満席だ。
コの字型のカウンターは十人程のサラリーマンによる黒系の色彩一色である。
肩が触れるかという距離感。
なぜかみな姿勢が良い。狭い中でのパーソナルスペース確保の為か。
持ち帰り専用カウンターの小さなスペースへ歩み寄ると、返す刀で暑いほうじ茶が供される。
今日のホール係は三十代前半の女性と、調理場にはもう少し年配の女性の二人である。
空いている時分であればものの二、三分で提供される持ち帰り牛丼だが、本日は満席以上に満席、私の次にも持ち帰り牛丼三つを購入意志のおばあさんが大荷物で佇む場所もなく控えている。
しかもこのおばあさんはタッチパネル式の券売機に対応できず、カウンター内から三十代前半女性店員が出てきてチケット購入の補助に付いた。
そんな彼女の大奮闘振りを宿り木のサラリーマンたちは着丼を待ちながら見るともなく見ている。なぜか皆、少し恥ずかしげだ。
ものすごい速さで注文をこなし、次々に暖かい料理が運ばれる。3秒差くらいでサラリーマンが割り箸をセパレートする音が響く。管理職もエンジニアも熱々のチーズハンバーグを口に運ぶ。総じて嬉しそうだ。
誰もが何となく楚々としているように感じるのは何故だろう。
その間にも床に落ちたレシートを拾い、カウンターを出入りしながらアクロバティックに飛び回る。かといって悲壮感も漂わせず、あせっていないわけでもない。
全力を出しながらも己のペースを乱さない。たとえ乱れていたとしてもそれが急カーブを曲がる蒸気機関車のような美しさ好もしさを保っている。
そんな三十代女性店員を明らかに店中の皆が尊敬し憧れた瞬間があった。
彼女の働きに対して襟を正した瞬間があった。
その時、狭い店内は大伽藍にも匹敵する聖なる空間へと変容した。
皆、限られた動作の中で彼女に対する感謝と尊敬をあらわそうと自ずと礼儀正しくなっていたのだった。
私も普通の感謝の言葉にそれ以上の思いを込めて牛丼並盛りを受け取った。
世界は広い。
そしてアイデアやコンセプトによって、
また別の言い方をするならば、心持ち一つで到達するゴールは全く違うのだ。
横断歩道を渡りながら思った。自分のいる地点からだけモノを見ていてはいけない。
牛丼を買いに行って思いがけず南米に旅行したような不思議な距離感の出来事だった。