本当に恐ろしい描写ほどさりげないものだ。
やり切れない、恐ろしい描写を読んだあとは、本を閉じて眠りに落ちると夢でうなされる。
このような部分。
“ここでは、囚人達は、町を直撃する砲弾の音を聞くよりも前に目で見る。前回の戦争中、エティエンヌの知る砲兵たちは、双眼鏡を覗き込み、空に上がる色で、自分たちの放った砲弾による被害を見てとることができた。灰色は石。茶色は土。ピンク色は肉体。”
また、以下の部分には非常に感銘を受けた。
“彼はツォルフェアアインで見た、老いて打ちひしがれた坑夫ことを思う。椅子や木箱に腰かけたまま、何時間も動かず、死にたいと思っている男たち。そんな男たちにとって、時間とは、うんざりする余剰でしかなく、樽から水がゆっくり抜けて行くの見つめるようなものだ。だが実際には、時間とは自分の両手ですくって運んでいく輝く水たまりだ。そう彼は思う。力を振りしぼって守るべきものだ。そのために闘うべきものだ。一滴たりとも落とさないように、精一杯努力すべきだ。”
“空気は生きたすべての生命、発せられたすべての文章の書庫にして記録であり、 送信されたすべての言葉が、その内側でこだましつづけているのだとしたら。
彼女は思う。一時間が過ぎるごとに、戦争の記憶を持つだれかが、世界から落ちて消えていく。
わたしたちは、草になってまた立ち上がる。 花になって。歌になって。”
アンソニー・ドーアの『すべての見えない光』 より
