上村なおかさんのソロダンスを見てのメモ

炭鉱のカナリアは、人間より早く空気の変化を感じて声をあげるのか、声を上げなくなるのか、どっちかわからない

訳のわからない「かんかく」をわけのわからないまま、どうどうと告げる、そのたしかさ、ゆるぎなさ

ダンスは、ダンサーを見るものであると同時に

自己を見出すもの

踊るダンサーを千の目で見ること

イコール、自分を世界に対して千の方向から開くこと、

その行為に飛び込むこと、

自分を八つ裂きにすること、

自己の内臓を冷めた目で見ること

フェリーニのローマ(1972)の中に、ローマの地下鉄開通工事が延々と進まない光景がでてくる。数メートルごとに遺跡にぶつかってしまう為だ。

ある時、古代の壁画が色鮮やかに残る巨大な洞窟に掘り当たる。

ほぼ完璧な状態で残された古代の回廊。しかし、感嘆する研究者の前で、穿孔機の開けた穴から流れ込んだ外気が洞窟を満たすにつれ、壁画はゆっくりと砂となり崩れ去っていく。。。

たった数分間のあいだに、壁画には二千年の時が流れ、空気に触れて、止まっていたものが動く、消えていくもの、凝縮された時間、濃密さ。存在と、非存在。あること、と ないことは密度が違うだけで、おなじことではないのか 

ラストの数分間のうごきはそんな古い映画をおもった

投稿者: izumi noguchi

野口泉 オイリュトミスト 武蔵野美術大学映像学科卒。 2002年より舞踏家笠井叡に師事、オイリュトミーを学ぶ。オイリュトミーシューレ天使館第三期及び舞台活動専門クラスを経て、愛知万博「UZUME」(2005)「高橋悠治演奏「フーガの技法とオイリュトミー」(2008、2010)、「ハヤサスラヒメ」(2012)、「蝶たちのコロナ」(2013、2014)、「毒と劔」(2015) など様々な公演に出演。放射能からいのちを守る山梨ネットワークいのち・むすびばとの共同公演「アシタノクニ」や、仙台・月のピトゥリとの人形劇(正確には”にんぎゃうじゃうるり”)「きつねおくさまの!ごけっこん」(2014)、シュタイナー農法研究会(「種まきカレンダーを読み解く」2014)などを開催。近年はシュタイナー系の幼稚園で幼児教育に関わる。また各地でオイリュトミーワークショップを行う。オイリュトミーに関わるイベントを企画する「レムニスカート」を主宰。

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