『ビューティフル・デイ』が好きすぎる

どうしても一人で見たい映画のジャンルがある。

人生においてあまりにもひどいことが起こりすぎて精神的にどうにかなりそうな人たちが過ごす日常の風景が描かれている。

ものすごく悲しく、同時にものすごく美しい。ジョニー・グリーンウッドの音楽がそのガラスのような感覚の質感を千差万別に変化させている。


幼い時に虐待を受けた記憶の中で、凶器はハンマー。トンカチ。金槌。殺し屋となった自らが選んだ凶器もハンマー。とんかち。カナヅチ。

ちなみに思い起こす人が多いのは『オールド・ボーイ』も凶器がトンカチだということだ。ハンマーは頭部を連想させる。頭部という人体において個人を表象する象徴的な部分。それの破壊。アイデンティティ、精神性も粉々にするというメタファーか。それほどに幼児期の心の傷が深いことがうかがえる。

人混みの中で、カメラを意識して避けている一般人が写ってしまっているシーンがある。監督と俳優が二人だけ、ないし少人数で雑踏の中で撮影しているのだと思われる。

自らが手を下し今にも生き絶えんとする人物と床に横になり手を握って「I’ve Never Been To Me」(「私はいろんなところに行っていろんなことをしたけど私自身には出会えなかった…」という内容の曲)を歌うシーンが異様だが、もっとも美しくもある。

極限状態のどうしようもなさがここまで簡潔に描かれているシーンがあるだろうか。


鈍色の風景

これだ。これが、

鈍色。ニビ イロ。

日本海の色。

海なのに明るくない、海にいるのに開放感がない。

それ故に光を感じる。

私にとっては苦しさと、希望を感じる風景。