「蝶たちのコロナ」ゲネプロ2回目


「蝶たちのコロナ」日独伊3ヶ国語バージョン公演が迫っている。
9月あたりから通し稽古はやっていたが、11月に入って今日は2回目のゲネプロ。
あと2回のゲネプロと、本番が1回。

2年前、日本語版上演時には24点あったテキストを、今回は6点にしぼり、日本語、ドイツ語、イタリア語の3ヶ国語で上演する。「上演する」というのはあくまでもひとつの角度から見たかたちであり、作品をつくっていく、という視点からとらえるならば、これらのテキストや音楽作品と、他の誰よりも仲良くなろうとする行為、というのか、テキストの内容と切っても切れない深い関係を持つ、もしくは、こういう言い方もできるだろうか、そのテキストによって体をつくっていく、というかなり私的な作業になる。理解しがたいがなんとも魅力的な憧れの人になんとか近づいて少しでも同じ空気を吸いたい、という気持ちと似ているかもしれない。それを別な角度から見ると「上演する」という上から目線な表現になる。

この公演で取り上げているルドルフ・シュタイナーの黒板絵からのテキストとも長い付き合いになった。日本各地、ドイツ、イタリアと各国語で上演もしてきた。しかしおそらくこれが最後になるのではないかと思う。

シュタイナーの存在は10代の頃から書店などで書影は見知ってはいたが、はじめて読んだのは、学生時代、バイトで知り合った東大哲学科の友人が「とんでもない本がある」といって紹介してくれた時だ。確かに誰にでも受け入れられる種類の内容ではないが、これほど興味の尽きないことが書いてある本にはなかなか出会うことができない。

「蝶たちのコロナ」で取り上げるテキストも、なんともミステリアスで魅力的でいながらも親近感を感じさせる憧れの先輩のような存在だ。その存在に、あと2回のゲネプロと1回の本番で、どれだけ近づけるのか、同じ空気を吸えるのか。しかし稽古の度に相手は新しい魅力を放ってくるのである。