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「肉体をどんなにマシンガンでブツブツにしたとしても」

先日の甲府でのワークショップと世田谷美術館のイベントの準備で時間が取れず、購読しているメーリングリストなどをなかなか開けずにいた。

昨日、やっと3月3日付の「テネモス通信vol.37」を開いたところ、3月1日に飯島秀行先生が死去されたことを知った。

 以前の同mlにて、飯島先生が、2月の末に無料で連日講義をされるという情報は知っており、ただ事ではない空気を感じていた。聴きに行きたい気持ちでいたが調整できずに叶わなかったのが残念でならない。

2月29日まで講演をされて、3月1日に亡くなられたというのは言葉を失う。

人間の寿命は自分の意思で決めるものだ、と先生が仰っていたその通りに体現された。「自分が治ることが目的ではない、医者の意識を変えることが目的だ、と自我ではなく全我を通された」とのこと。そのような気持ちで病院に通う人がいたということに驚く。自分はどうだろう。

「この世に抹殺できるものは1ミリもない。こわすことができるのは有限性の世界だけ。肉体をどんなにマシンガンでブツブツにしたとしても無限性の世界は1ミリもこわれない。」

先生のたくさんの言葉が自分を支えてきてくれたと思う。

環境としての「おかあさん」/AIRY ZOO PROJECT「甲府動物園映画上映&ワークショップ」終了しました

AIRY ZOO PROJECT「甲府動物園映画上映&ワークショップ」

アーティスト・イン・レジデンス山梨 によるイベントの詳細なレポート↓↓

ZOO PROJECT

からだとうごきのワークショップを終えて

今回のオイリュトミーワークショップは、おやこ向けクラスとおとな向けクラスのふたつ。ちいさな子供に向けて何かを行うことは、とても大きな責任をともなうので、私にとっては難しい課題。どうしたら誠実な態度で子供という存在の前に立てるのか。その答えをさまざまな書籍や、幼児教育の先輩に求めた。最終的に、自分のなかの「幼児」的なるものに出会う、よい経験になった。

 

シュタイナーの幼児教育に関しての書籍のなかでも、『霊学の観点からの子供の教育』は非常に興味深く読んだ。シュタイナーの1906年の講演をまとめた内容。

この本をとおして、すっかり忘れていた自分の子供時代の感覚がよみがえり、大人は子供がメタモルフォーゼしたものであるという、ふつうのことを改めて思った。そして、そんな視点を心のなかに持つと、道行くさまざまな年代の人のなかに、その人の幼児の姿が垣間見える。

 

「7歳まで(歯の生え変わるまで)の子供は、完全に環境とひとつになって生きています。その意味で、子供は全体が感覚である、と言ってもいいくらいです。」同『霊学の観点からの子供の教育』より 

 

この甲府での幼児向けのオイリュトミーのために、これらの言葉に触れるうちに、ある時、おもいがけず、自分の「幼児」の時の「おかあさん」に対する愛情の感覚を再体験することになった。

今となっては、母親を、一人の歴史を持った他者として相対することができるが、「幼児」にとって「おかあさん」は自分のすべてといってもいい。「環境」の大部分とは母親のことである。

「幼児」の自分が「おかあさん」を、どんなふうに、どれほど愛していたか、環境から切り離された「個」ではなく、「環境とひとつ」である、という感覚がどんなものだったか。それを再体験できたことは自分にとって大きな出来事だった。この感覚が、自分にとっては、特に、オイリュトミーの朗唱で発声するときに、とても重要なものになった。

 

オイリュトミー版「日本国憲法を踊る」

 

今、4月28日の オイリュトミー版「日本国憲法を踊る」公演の稽古をしています。

「日本国憲法を踊る」は2013年の秋に笠井叡先生がソロダンス公演として踊られ,その後14年、15年と憲法記念日に再演されています。

私の中で2013年の初演は特別なもので、作品の内容もですが、会場の空気含めて、没時空的な体験として今も強烈な印象が残っています。終演後、「今作以上のダンス公演に出会うことは今後二度とないだろう」と、雨に煙る横浜の埠頭を眺めながら熱い涙を流した記憶があります。

さて、憲法改正の是非が叫ばれる昨今、私自身も、第二次大戦敗戦後、GHQが制定したとされる日本国憲法に対する日本人としてのアイデンティティーに少なからずゆらぎを感じる部分を否めずにいました。しかし昨晩、公演チラシが出来上がってきて、そこに記された笠井叡先生の文章を読み、そのアイデンティティー不在さを生み出している源泉がはっきりもし、自分がなぜこの時代に日本人として生まれてきているのか、ということに対しても自分なりの納得する答えを得ることができました。(この文章は非常に重要な内容だと思いますので下の方に書き起こしてあります。)

昨年末、オイリュトミー版「日本国憲法を踊る」の稽古が始まり、憲法を読めば読むほど、絶望と怒りがこみ上げてくるという経験がありました。なぜなら憲法を実際声に出して発声してみると、そこに掲げられている高い理想が一切実現されていない現状が、自分の声帯を通して身体的に迫ってきたからです。現代社会はむしろ急ピッチでこの理念と正反対の方向に転げ落ちて行っているというのに、なんなんだろう自分の発声しているこの現実味のない宇宙語のような文言は…という驚きに似た怒りと困惑。しかしその現実味のなさがむしろ「理念」としては現実味を帯び、自分の中で「存在」し始めたのです。

今現在の日本において、「自由・平等・博愛」という輝かしい理想を掲げるほど、人間の不自由さ、差別、憎しみといった影の部分が浮き彫りにされるだけであり、そんな理想を掲げることには何の実用的意味もない、誰も救われないし馬鹿げている、という立場に立つことの方が理にかなっているのかもしれません。しかし、はっきりしているのは、その高すぎると思われる理念に自分を引き上げて行かなければ今後自分自身が確実に堕落していくだろうということです。

 

さて、今回のオイリュトミー版ですが、出演者がぐっと増え、総勢22人が舞台上に会すこととなります。オイリュトミー公演の規模としても、このような機会はあまりないと思います。ぜひ会場に足をお運びいただければと思います。

 

天使館オイリュトミー・グループ公演

オイリュトミー版《日本国憲法を踊る》

□2016年4月28日(木)国分寺市立いずみホール

□前売り:2,700円 当日:3,000円

□開場19:00 開演19:30

□構成・演出/笠井叡

ご予約→info@akirakasai.com

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(チラシ裏面書き起こし)

日本国憲法の淵源を辿ろうとしますと、それはいつしか歴史とカラダの闇の中にまで入り込んでしまうほど、深いものでしょう。「自由・平等・博愛」という、人間の本性を、初めて憲法精神と結びつけたのは、モンテスキュー(1689~1755年)と言われています。モンテスキューが初めて少人数の仲間たちにこれを語って以来、その精神はやがてフランス人権宣言(1789年)や、或いはアメリカ合衆国憲法(1788年)を支えるものとなりました。しかしそこでは自由と平等は人間の権利と結びつき、高らかに謂われましたけど、「博愛」の精神は合衆国憲法にも人権宣言においても、盛り込まれませんでした。なぜなら、「無償で必要なところに必要なものをプレゼントする」という経済生活の根幹である「博愛」(完全な社会保障制度)が、もし憲法化されるならば、戦争など行うことは不可能になります。日本占領下のGHQのメンバーは、このフランスにおいても、アメリカにおいても実現されなかった、完全な理想主義精神を、この日本国憲法の中に実現しようとしました。ですからGHQが日本国憲法を作ったのではなく、それは歴史の地下水として流れている「自由・平等・博愛」の精神を、地上に引き上げるためのポンプの役割を果たしたのです。精神生活における自由と、国家・法生活における平等、経済生活における博愛は、単に社会生活の根幹であるだけでなく、人間のカラダを支える根源の法則であると言えます。今回、オイリュトミー公演において、日本国憲法を取り上げたのは、政治的な衝動からではなく、私たちの方だを支える衝動としてこの憲法を捉え、それを舞台作品として上演したいと思います。内容は、大日本帝国憲法(明治22年)から始まり、フランス人権宣言、古事記冒頭の国産みの神話、天皇による玉音放送を経て、昭和21年公布の日本国憲法にまで、カラダとコトバを通して、表出してみたい、と思います。 笠井叡

(敬称略)

甲府動物園映画上映&ワークショップ

甲府動物園映画上映&ワークショップ 

3月5日に甲府でオイリュトミーのワークショップを行います。

おやこ向けクラスとおとなクラスのふたクラス。どうぞふるってご参加ください。

 

AIRY ZOO PROJECT 「甲府動物園映画上映&ワークショップ」

3月5日(土)甲府市役所1階 市民活動室 入場無料

 

映画上映  10:00~12:30  ※全編20分55秒の映画は繰り返し再生されます。

 

からだとうごきのワークショップ 

13:00~14:00 おやこ向けクラス

14:30~16:30 大人向けクラス  (詳細は下のほうをご覧ください)

 

甲府市遊亀公園付属動物園に関するドキュメンタリー映画の上映とオイリュトミーのワークショップです。映画、ワークショップとも入場無料となりますのでふるってご参加下さい。※ワークショップは参加申し込みが必要となります。

 

下記を記載の上、お申し込みはメールでどうぞ

 airy@air-y.net

 

件名:ワークショップ申し込み

氏名:(フリガナ、漢字)

性別

ご住所

電話番号

参加ワークショップ名:おやこ向けクラスor大人向けクラス

 

 

【おやこ向けクラス】3歳から小学生

動物の童話を動いてみよう

13:00~14:00 定員20名 要申し込み

 

【大人向けクラス】

五感を拡張してみよう 

オイリュトミーワークショップ 動物と人間、ヨコの力とタテの力

14:30~16:30 定員20名 要申し込み

 

※両クラスともにピアニストの伴奏あり。

 

 

講師プロフィール 

野口泉

オイリュトミスト。2002年より舞踏家笠井叡に師事、オイリュトミーを学ぶ。オイリュトミーシューレ天使館第三期及び舞台活動専門クラスを経て、愛知万博「UZME」(2005) 高橋悠治演奏「フーガの技法とオイリュトミー」(2008、2010)、「ハヤサスラヒメ」(2012)、「蝶たちのコロナ」(2013~2015)、「毒と劔」(2015) など国内外の様々な公演に出演。放射能からいのちを守る山梨ネットワークいのち・むすびばとの共同公演「アシタノクニ」(2011)や、人形劇「きつねおくさまの!ごけっこん」、シュタイナー農法研究会(「種まきカレンダーを読み解く」)などを開催。オイリュトミーに関わるイベントを企画する「レムニスカート」を主宰。次回出演は2016年4月28日オイリュトミー版『日本国憲法を踊る』

 

甲府動物園おもて 甲府動物園うら

 

高木由利子さんの写真

写真家の高木由利子さんのオリジナルプリントを見せていただく機会があった。

とても小さな植物の器官を惑星のように拡大して撮られた『SEI』という一連のシリーズ。

白手袋をはめた写真家の手からプリントが立ち上がってくるたびに、紙に擬態した未知の生き物を見ているかのようだった。

冷たく水気があって紙より厚く角が丸い、とろりとした質感の、、、妖怪の一反もめんが一番近いかもしれない。

ギャラリーの壁にガラス越しに見る作品にはない、不思議な体験をさせていただいた。

夢の話

夢の中で眠りから目覚め、夢の中で見ていた夢を夢の中で人に話しているという夢をみた。

どうも夢の中の世界ではアイフォンで夢を画像保存できるらしく、アイフォンの写真をスクロールしながら見た夢を思い出すことができるようだ。(←そのうちこのような技術はできそうですね)

夢の夢の中で見ていた夢の内容は、他愛ない寓話的なものともとれるのだが、自分にとっては、あっ、そうなのか、という膝を打つような内容。

さらにその後、現実の世界の自分の部屋で目覚め、夢の夢の中で見ていた夢の話をしていると、あれ?もしかしてこれも夢なのでは、と思わせられ、そういうこともありえる、と妙に納得したのだった。

オイリュトミー ワークショップ予定

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野口泉 オイリュトミー ワークショップ

毎月第1・第3日曜日 午後3時〜5時
次回は2月7日です。

ご予約はinfo@noguchiizumi.comまでお願いします。
お電話でのご予約はこちらへどうぞ→080-4206-0392

場所:ヒーリング・ルージュ 東京都国立市中1-4-4 JR国立駅より徒歩5分 国立駅南口を出て、SEIYU前を立川方面に直進。国立公民館向かいです。

料金:2,000円

このクラスでは…
オイリュトミーのムーブメントへ至る前段階から体験していきます

・骨格における垂直と並行の力によって立つこと、歩くこと
・頭部、胸部、肢体系の三分節化と統合
・三次元空間の身体意識をつくる etc

オイリュトミーってなに?という方、スポーツ経験のない方もお気軽にご参加下さい。お待ちしております。

 

 

講師プロフィール
野口泉
オイリュトミスト。2002年より舞踏家笠井叡に師事、オイリュトミーを学ぶ。オイリュトミーシューレ天使館第三期及び舞台活動専門クラスを経て、愛知万博「UZME」(2005)「高橋悠治演奏「フーガの技法とオイリュトミー」(2008、2010)、「ハヤサスラヒメ」(2012)、「蝶たちのコロナ」(2013~2015)、「毒と劔」(2015) など国内外の様々な公演に出演。放射能からいのちを守る山梨ネットワークいのち・むすびばとの共同公演「アシタノクニ」(2011)や、人形劇「きつねおくさまの!ごけっこん」、シュタイナー農法研究会(「種まきカレンダーを読み解く」)などを開催。オイリュトミーに関わるイベントを企画する「レムニスカート」を主宰。

長谷川等伯『松林図屏風』

素晴らしい絵画は絵でありながら絵を超えている。見る人に没時空体験をもたらす。作品の前に立つだけで、顕在意識と無意識があいまいなところへワープするというか、自分の記憶と誰かの記憶が混ざってあれ???地面ちゃんとあるよね?となる。そんな作品に出会ったら悪あがきせずただその瞬間に身をゆだねればいい。どんな場所にも無限の宇宙がころがっていて、それを開くのが芸術作品。悪意なき落とし穴がそこかしこに。ダンスも映画も、あらゆる作品はそういう意味で多次元空間に開かれたスポットというか、生き物。
1月14日、長谷川等伯『松林図屏風』を見て

笠井叡 太宰治を踊る

1月10日、笠井叡 太宰治を踊る テキスト太宰治作 ヴィヨンの妻 を見ました。

一番奥の壁に映像、森山大道の写真、昭和の空気、影の世界、虚像の世界、視覚的

その手前に太宰治の作品世界、太宰作品的な着物を着た原さん、朗読、半フィクションの世界、半虚像の世界、聴覚的、ホログラム的

一番前に笠井先生、ダンス、おたけびと語り、時事的、現在進行性、実像の世界、肉体、熱病的熱感覚、

三重構造の世界が照明と映像でスイッチングされ、虚が実に実が虚にめざましく変化するのはとても不思議なファンタジックな世界。
壁に映し出された笠井先生のシルエットのダンスが実世界の笠井先生にまさる場面も多々あり…
こんなふうに映像が扱われるなんて前代未聞というか、わたしははじめて出会ったのでとても興奮した。

第九条

2016年、年明けて間もなく、4月28日に西国分寺のいずみホールで行われる『日本国憲法を踊る』公演の稽古が再開した。憲法第九条を動いてる時、思いがけず込み上げてくるものがあった。というのは、この第九条で言われている内容が、あまりにも現実と乖離しているという現状をいやというほど感じさせられるからである。

このあきらかな乖離のために、まるで泥の中の蓮の花のように、第九条が一つのイデアとして異様な輝きを持って迫ってくる。いったこれは何を源泉としてもたらされた言葉なのだろうかという疑問が湧いた。

稽古では自らが発声しているのにもかかわらず、死者からの声を聞いているような、ひたすら苦しみの中で死んでいった魂たちに動かされているような不可思議な空気が流れた。

黙読や音読だけでなく、体を動かしながら言葉を体験するオイリュトミーの稽古では、皮膚感覚や内臓感覚を通して、思考内容が、耳を通した頭部のみならず胸部、肢体系、呼吸から血液系にと複合的な強度を持ってダイレクトに響いてくる。
そんな感覚も単なる思い込みであるとも言えばそれまでだが、どのような直感にも数パーセントの真実が含まれているものだ。

第九条(抜粋)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

オイリュトミー公演「雪月花」が終了しました

2011年から4年振りとなる、ペルセパッサ・オイリュトミー団のオイリュトミー公演「雪月花」、全3回公演を無事に終えることができました。おいでくださった皆様、誠にありがとうございました。

思い返せば7月27日に谷合ひろみ先生の訃報を聞き、その夜にバッハのシャコンヌを踊ることを決めました。谷合先生が背中を押してくれなければ、こんな大曲に挑む勇気は一生出なかっただろうと思います。

先生にはオイリュトミークライトの扱い方、シュライヤーの繊細な補修の仕方、そのほか、数え切れないほどのことを教わりましたが、何よりも、人からものを教わる時の態度を学ばせていただいたと思っています。

谷合ひろみ先生、本当にありがとうございました。

1歩ずつ

オイリュトミー「蝶たちのコロナ」3ヶ国語バージョン、大盛況のうち終えることができました。いらして下さった皆さま本当にありがとうございました。

7月のローマ公演後、8月から始まった3ヶ国語の作品作り、個人的に今回はとても充実した稽古を重ねられたという実感がありました。

ローマから来たalessandraがずっと稽古に付き合い、視線を送ってくれていたからかもしれません。

集まってなぜかずっと税金の話だけしていた日もあったりしたけど。それも含めて良い稽古期間を過ごせたと思います。共演者のみなさんには今回も本当にお世話になりました。

来年の「日本国憲法を踊る」でまた再会できるのが楽しみです。

ローマから来たアレッサンドラとは帰り道が同じだったので、よく話しながら帰りました。オイリュトミーは難しいね、でもstep by step で稽古して行くしかないよね、たとえテロがあってもね、と、昨晩は打ち上げからの帰り道でした。

稽古の邪魔にならないように気をつけて見学していた、という彼女の”存在”は自分の中で大きかったことを実感した夜でした。

そして舞台を見つめて下さる方々の視線もまた。。。

さてさて、今日からは12月の「雪月花」の稽古です。今度はソロ作品、群舞と違って孤独な道のりですがstep by stepで参りたいと思います。

雨ですが、みなさまも良い夜を!

「蝶たちのコロナ」ゲネプロ2回目

「蝶たちのコロナ」日独伊3ヶ国語バージョン公演が迫っている。
9月あたりから通し稽古はやっていたが、11月に入って今日は2回目のゲネプロ。
あと2回のゲネプロと、本番が1回。

2年前、日本語版上演時には24点あったテキストを、今回は6点にしぼり、日本語、ドイツ語、イタリア語の3ヶ国語で上演する。「上演する」というのはあくまでもひとつの角度から見たかたちであり、作品をつくっていく、という視点からとらえるならば、これらのテキストや音楽作品と、他の誰よりも仲良くなろうとする行為、というのか、テキストの内容と切っても切れない深い関係を持つ、もしくは、こういう言い方もできるだろうか、そのテキストによって体をつくっていく、というかなり私的な作業になる。理解しがたいがなんとも魅力的な憧れの人になんとか近づいて少しでも同じ空気を吸いたい、という気持ちと似ているかもしれない。それを別な角度から見ると「上演する」という上から目線な表現になる。

この公演で取り上げているルドルフ・シュタイナーの黒板絵からのテキストとも長い付き合いになった。日本各地、ドイツ、イタリアと各国語で上演もしてきた。しかしおそらくこれが最後になるのではないかと思う。

シュタイナーの存在は10代の頃から書店などで書影は見知ってはいたが、はじめて読んだのは、学生時代、バイトで知り合った東大哲学科の友人が「とんでもない本がある」といって紹介してくれた時だ。確かに誰にでも受け入れられる種類の内容ではないが、これほど興味の尽きないことが書いてある本にはなかなか出会うことができない。

「蝶たちのコロナ」で取り上げるテキストも、なんともミステリアスで魅力的でいながらも親近感を感じさせる憧れの先輩のような存在だ。その存在に、あと2回のゲネプロと1回の本番で、どれだけ近づけるのか、同じ空気を吸えるのか。しかし稽古の度に相手は新しい魅力を放ってくるのである。

10月も最後の日

最近の冷え込みで体調をくずしたり、秋らしく精神的にも落ち込んだりしていたが、今日あたりからフルで動けそう。
体調がよくないときは、ゆっくりストレッチをしたり、家でご飯を炊いたりする時間を大切にするようにしていた。11月に入ると、「蝶たちのコロナ」三ヶ国語バージョンのゲネプロが入ってきて、いよいよ本番という感じ。また12月の谷合ひろみ先生追悼公演のチラシが出来上がってくる。どんな色味に仕上がってくるのか楽しみ。

エポック授業

10月23日

7月から、天使館オイリュトミーシューレで受け持っていた音楽オイリュトミーのエポック授業が終わった。テーマはリズム。

授業をするにあたり、音楽史におけるリズムの起源を遡ってみると、18世紀末に音楽の起源を考察した思想家はいたようである。

しかし、私が知りたいのは、せめて紀元前5000年ほどは昔に奏でられていた音楽についてなのである。もちろん、そんなことが載っている本はない。

結局「リズム」というものがなんなのかは、自分にとっては音楽史の問題ではなく、人間と天体、宇宙の進化にまつわる問題なのである。朝起きて夜寝る、それすら一番みぢかなリズムであるといえよう。それがわかっただけでも今回の経験は大きな収穫であった。

授業においては、現存する最古の楽譜と言われるネウマ譜から、バロック、古典派、ロマン派の作曲家までを時系列に沿って取り上げた。ピアニストの橋本さんには、音楽史の面でも多大なる協力をいただき、感謝の念に堪えない。そしてこれからも5期生のみなさんの成長を見守っていきたいと思う。

高尾山に登る

10月21日

高尾山に登った。
8年ぶりくらいだろうか。

今回初めてコースを調べ、通ったことのない6号路という道を選ぶ。
沢の音を聞きながら、入り組んだ木の根や、鋭角に砕けた岩間に感覚を預けて進むのは至福の時間だ。

何も考えなくていい。地面の起伏に身を沿わせていけばいいだけだ。

結構な難所もあるが幼稚園児が沢山いたのはシュールな光景だった。
しかし、子どもはからだも軽く、関節も柔らかいことを思えば、不思議なことではないのだろう。

むしろアスファルトの方が肩腰にくる。

谷合ひろみ先生の形見分けに

10月12日(月)
15年近くお世話になった谷合ひろみ先生の形見分けに行く。

残された沢山の楽譜や資料に触れ、厳しくもきめこまやかで繊細な先生の授業を思い出す。

私も機会あるごとに先生から教わったこれらの財産を伝えていけたらと思う。