人がバラを好むのは


人がバラを好むのは、

バラが、私たちの睡眠中に、

私たちの幼児期の最初の思い出を

受けとってくれるからなのです。

そのことを知らなくてもそうなのです。

ルドルフ・シュタイナー『遺された黒板絵』より

先日、東京調布市の神代植物園を訪れました。

折しもバラの開花時期、所狭しと咲き誇る大輪のバラ、バラ、バラ、、、

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連休明けとあってか家族連れの姿は見えず、ほとんどの来園客はシニア層です。

広大なバラのジャングルを背景に、人は童心に帰らざるを得ないのでしょうか。

バラの花が、その前に立つ人の幼い姿を映し出しすスクリーンの役割をしているかのようです。

咲き誇るバラを前にして、人は顔を近づけて香を嗅がずにいられないもの。

嗅覚を鋭敏にして深く息を吸い込むと、人は、何か遠くの記憶がよみがえるような、懐かしいものを見るような表情になるのです。誰もかれもがバラを介して微笑みかわす。その光景は一足先に天国に迷い込んだかのよう…。または天国シーンの映画撮影に迷い込んだか…

一度、花が語りかけてきたことがあります。父が亡くなり、火葬場の空きを待つ数日間、遺体とともに過ごした時のことです。

亡くなった後、2日目あたりに遺体の顔が生前以上に生き生きと輝いた時期がありました。不思議と肌がつやつやとあかるく輝いているのです。しかしそれは束の間で、物質に帰り始める「かげり」のようなものが、その頬にあらわれてくるまでにさほど時間はかかりませんでした。

そんな数日間を過ごした後、公演の稽古をしに、ある公民館へ出かけました。稽古を終えて帰るとき、ふと生けてある花の前で足を止めました。その時、花が私の中にスッと入ってきたのです。花がまるで人格をもった存在のように、私に言葉ではない何かを伝えました。私の中に花の存在が移動してきた、とでも言ったらよいのでしょうか。

そしてその時、自分の中のほとんどが「死」で占められ

ていることに気づきました。干からびかけた土に生命の水が流れ込んだような体験でした。

バラを見る時、冒頭にあげたシュタイナーの言葉が、なぞのように思い出されます。

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