環境としての「おかあさん」/AIRY ZOO PROJECT「甲府動物園映画上映&ワークショップ」終了しました


AIRY ZOO PROJECT「甲府動物園映画上映&ワークショップ」

アーティスト・イン・レジデンス山梨 によるイベントの詳細なレポート↓↓

http://air-y.net/archives/category/blog/archives/6772

からだとうごきのワークショップを終えて

今回のオイリュトミーワークショップは、おやこ向けクラスとおとな向けクラスのふたつ。ちいさな子供に向けて何かを行うことは、とても大きな責任をともなうので、私にとっては難しい課題。どうしたら誠実な態度で子供という存在の前に立てるのか。その答えをさまざまな書籍や、幼児教育の先輩に求めた。最終的に、自分のなかの「幼児」的なるものに出会う、よい経験になった。

シュタイナーの幼児教育に関しての書籍のなかでも、『霊学の観点からの子供の教育』は非常に興味深く読んだ。シュタイナーの1906年の講演をまとめた内容。

この本をとおして、すっかり忘れていた自分の子供時代の感覚がよみがえり、大人は子供がメタモルフォーゼしたものであるという、ふつうのことを改めて思った。そして、そんな視点を心のなかに持つと、道行くさまざまな年代の人のなかに、その人の幼児の姿が垣間見える。

「7歳まで(歯の生え変わるまで)の子供は、完全に環境とひとつになって生きています。その意味で、子供は全体が感覚である、と言ってもいいくらいです。」同『霊学の観点からの子供の教育』より 

この甲府での幼児向けのオイリュトミーのために、これらの言葉に触れるうちに、ある時、おもいがけず、自分の「幼児」の時の「おかあさん」に対する愛情の感覚を再体験することになった。

今となっては、母親を、一人の歴史を持った他者として相対することができるが、「幼児」にとって「おかあさん」は自分のすべてといってもいい。「環境」の大部分とは母親のことである。

「幼児」の自分が「おかあさん」を、どんなふうに、どれほど愛していたか、環境から切り離された「個」ではなく、「環境とひとつ」である、という感覚がどんなものだったか。それを再体験できたことは自分にとって大きな出来事だった。この感覚が、自分にとっては、特に、オイリュトミーの朗唱で発声するときに、とても重要なものになった。