破壊と再生-ルンペルシュティルツヘンにおける命名

メルヘンを読んでいると、話の筋が意味不明であることが多い。

例えば、全く理不尽なわがままを繰り返すだけのお姫様が最終的に幸せを手に入れる、優柔不断で周囲のなすがままに行動してきただけの人物が富豪になる、というような場合である。

こうした点を考えると、メルヘンというものが現代の理性や常識の範囲内で何かを伝えようとするものではない、ということは明白である。

メルヘンにおいては一つの名詞に付加されているイメージが計り知れない深さを持っている。例えばきこりや狩人という職業には、人間の発達段階の終着点、「物質世界で独立する」という意味合いが込められる。反対に王様や漁師という職業は、天からの所与のもの(根源的な叡智、豊かさ)を無尽蔵に受け取ることのできる存在として描かれる。

『サウルの息子』という映画は、第二次世界大戦中のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、特殊部隊として同胞殺害に手を貸さざるを得なかった人物の一日半を描いている。この映画にはメルヘン的な名詞についての示唆が満ちている。

ゾンダーコマンドと呼ばれる特殊部隊は移送されてきた同じ民族である者たちを騙し、ガス室に送り、その死体を処理させられるという役目を負っていた。時には自分の家族の遺体を発見するという悲惨な状況もあったという。そして彼らもまたナチスによる大量虐殺の事実を知る存在として、数ヶ月後には新しく補充されたゾンダーコマンドに処理される運命であった。さらにソ連軍による収容所解放時には彼らはナチス協力者として処刑された。そのような極限下において主人公は徹底的に感情を殺し、何を見ても心を動かされなくなっていく。

あまりにも悲惨で非現実的な状況故に、この映画の中に現れる情景描写は、メルヘンの世界に見られる象徴的なイメージの本質と重なる部分が多くある。果てしなく続く灰の山、それらが振りまかれる底の見えない湖。森の緑、埋葬。

感情を閉ざした心にはこれらのイメージは何ら意味を持つことはない。だがそこから湧き上がる色、質感、温度は見るものの感覚において還元され、それらのイメージは他者の記憶の中で甦る。言葉や判断を押さえ込み、深みの中で共有される。

本来名付けようもない漠たるイメージに名前を与えること。ルンペルシュティルヘンはなぜ、他のどの名前でもなく、ルンペルシュティルツヘンという名前なのか。事象は名づけられることによって限定性を帯び本来のカオスは失われる。だがそのことによって時間が生まれ記憶が生じ、人間は分化・差別の世界へと進化していく。

私たちは進化と破滅のカクテルをがぶ飲みしながら、一方に不可解なイメージの世界を持っている。それは心臓の左右心室のように表裏一体の存在である。一定のリズムの中で時代という身体をかけめぐり、酸欠となればイメージの世界へ立ち返り、そこから再生する。『ルンペルシュティルツヘン』が名前を開示することで未来への希望が繫がれるように。

RUMPELSTILZCHEN LAST THREE DAYS
ルンペルシュティルツヘン最後の三日間  
オイリュトミーによる試み

2020年10月30日(金)
17時開演(16時半開場)

くにたち市民芸術小ホール スタジオ

料金2,000円
中学生以上対象

出演
三上周子
清水靖恵
野口泉

朗読 
井上美知子

演奏
ヴァイオリン 五十嵐和子
ピアノ 相沢裕美

チケット予約
koomoriclub@gmail.com

お問い合わせ
080-4206-0392

協力
月のピトゥリ
クレーシュすみれ

主催
野口泉

共催
こうもりクラブ

※10月31日(土)動画撮影のための無観客上演あり