『遊働する身体』第4号発売中!

『遊働する身体』第4号が発売となりました

昨年のオイリュトミー公演『おしごとは呼吸すること』のインタヴュー記事掲載の
「遊働する身体」第4号が発売されました。

こちらはご自身も気功を研究されている西田隆重さんが編集発行人となって出版している季刊誌。普段なかなかまとまって読むことのできない気功とオイリュトミーの最新情報をフラットな目線でレポート。ぜひこの機会にどうぞ!

 

  • 特集1 ユング心理学と「易」、そして気功

    ユング心理学と「易」、そして気功 定方昭夫 (←定方まことさん父) 
    「変化の哲理」ー『易』 星野稔 
    「易」と気功 山部嘉彦
    『「易」心理学入門』を読んで 西田隆重
    「気功で元気に!」ー養生学講座と実技ー 藤沢市気功養生学研究会
    「気功的死に方」をめぐって 濱野清志特集2   オイリュトミー・日本の現在

    対話『時代 社会 身体』 鯨井謙太郒 定方まこと
    「おしごとは呼吸すること」 野口泉
    「いろは歌」のオイリュトミー 吉野一恵
    「黄道十二宮と惑星のオイリュトミー」 樋原裕子連載:シュタイナーから読み解く宮沢賢治 第4回 「宮沢賢治ー星曼荼羅の宇宙」
  • 定価 1,000円(税込)
corvusのお二人、鯨井謙太郒さん・定方まことさんによる『時代 社会 身体』と題した17ページに渡るダイアローグも掲載。読み応えあり。

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原一男監督最新作『ニッポン国VS泉南石綿村』

渋谷で原一男監督最新作『ニッポン国VS泉南石綿村』を見た後は、

池袋と新宿を当てどなく歩き回って最終的に歌舞伎町で一人寿司屋に入ってしまうくらいの衝撃を受けました。

街の喧騒に癒されないと日常に戻れないという感じでしょうか。

 

ユーロスペースにて4月もまだやっているようですのでぜひご覧になってください。http://www.eurospace.co.jp/schedule/

 

いろいろな家族のかたち 他者と共に生きていくこと

今、いろんな概念が根本から書き換えられつつある。そんななかで自分もあたらしい考え方に脳を書き換えていかないと、と思わせられる場面に最近よく出会うんですよね。

そんなかで、すごくこの記事いいなと思いました。

家族のかたちはどんどん変わっていい。

今の社会状況からしたら変わって行かざるを得ないですよね。誰だって今の生活が永遠に続いていくわけじゃない。(今つらい人も、幸せな人も)どうやってこれから生きていきたいのかを考える時、こういうニュースがヒントをくれます。

 

 

こちらもとても興味深い記事です。↓
ベストフレンドは近所のおばあちゃん。今、欧米で「老人と子どものマッチングサイト」が広がっている理由

 

 

「静かな時限爆弾」に、父が倒れた _元の原稿

クラウドファンド記事から抜粋した私の父の死に関する記述部分です。最終原稿から削った部分もブログに載せておこうと思います。

仕事現場で受け取った「静かな時限爆弾」に、父が倒れた

わたしの父は「悪性胸膜中皮腫」という病気で亡くなりました。2014年のことです。この病気は、アスベストという物質を吸い込むことによって起こります。アスベストを吸い込んでから、20年~40年の年月を経て、肺を包んでいる薄い膜に腫瘍(組織・細胞が生体内の制御に反し自律的に過剰に増殖することによってできる塊)ができるというものです。吸入してから発症までに長い期間を要することから「静かな時限爆弾」と呼ばれています。

アスベストとは

アスベストは1950年代の戦後復興期から、2001年くらいまでの約50年のあいだ、日本全国の建材などに使われた、ひじょうに使い勝手の良い、便利な鉱物です。ちょうどその頃に働き盛りだった建設業、造船業などに従事していた方たちの多くが、現在、この病気にかかっています。今後も2030年をピークにとどまらず、増えていくだろうと言われています。

現在この病気には根治する薬、治療法はないとされています。

20~40年かけて、静かに進行する、病状

 2012年に、風邪のような症状がしばらく続いたのが発端でした。肺のレントゲンを撮ったあと、すぐに精密検査をし、その結果、かなりの量の水が胸に溜まっていることがわかりました。即検査入院となり、胸に穴を開けて水を抜く、ドレナージという処置をしたところ、胸に6ℓもの水が入っていました。

その後、肺の一部を切り取る生検をした結果、「悪性中皮腫のステージⅣ」、腫瘍が片方の肺に広がっている状態でした。

地元の病院では何もできることがないため、紹介状を書いてもらい有名な大学病院へ治療計画の相談に行きました。

日本ではかなりの数の悪性胸膜中皮腫の手術を手がけてきたという先生によると、片肺(心膜・胸膜・横隔膜を含む)摘出、抗がん剤治療、放射線治療、の三つだけがこの病気に有効であるということでした。たとえこの治療を全部行えた場合でも20ヶ月生きられて、そのうちの1~2割は5年生存できるかどうか、という厳しいものでした。何の治療もしなかった場合の余命は半年から9ヶ月、早くて3ヶ月。と明快に告げられてしまいました。

先生の話をきいた父の見解はこうでした。

「15歳の時から今まで(発病時67歳)働いてきて、こうなって(病気になって)覚悟はできている。このまんま(「治療をしない」の意)の方がいいと思う。うん、それでいけるね。先生の話をきいてますますそう思った。だってそれだけやっても1~2割でしょ。(中皮腫手術の名医と言われる)先生には失礼だけどさ、抗がん剤はやらないってこと!」

「早く死のうとは思わないけどね、いずれまいっていくのはね、受け入れていいんだと思うんだけどね…」

父の人生はあんがい充実していたのかもしれないな。と、今、この言葉を聞いて思います。「生きる意志が弱い」「病気に立ち向かう勇気がない」と受け取る人もいるかもしれませんが、私はそうは思いませんでした。むしろ毎朝洗い立ての作業着をきて、がたぴしの車で電気工事のしごとに出かけていく父の姿が、ある種、神聖な光景としてよみがえってきたのです。

父の死、浮力と重力の間で

父が残してくれた大きな課題。人間のしごととは、呼吸することとは、いったいなんなのだろう?

その後、結局、父は何の科学的治療や、外科治療をせず、その後の20ヶ月を生きました。

最期はわたしの腕の中で亡くなりました。

わたしが偶然、実家の父の寝ている部屋に泊まり込んでいる日のことでした。

最後の一週間ほどはモルヒネ(鎮痛剤)を使用していたため、半分夢の中のような状態でした。今までの人生のいろいろな場面の幻覚を見ては、ときどき現実の世界に戻ってくるという、時空間があいまいになっている様子が、さまざまなうわ言から伺えました。時には車を運転していたり、子供時代の遊びをしているようでした。

その晩遅くになって、もうほとんど食べられませんでしたが、何か食べたいというので、ほんの一口お餅を食べさせました。「おいしいなぁ!」と感嘆するように言っていたのが印象に残っています。おそらくこの世で最後の食事だということが、この時の父にはわかっていたのだと思います。この世界の全食べ物に対しての賛辞のような感情が、その言葉にこもっていました。

明け方ちかくになって父が呼ぶ声で目覚めると、しっかりと目を開いてベットに半身を起こした父がいました。

そして、ほぼ二十四時間着けていた酸素吸入器のチューブを鼻からはずし、わたしに押し返すように渡してきたのです。その頃の父は、一言話すのに全生命力をふりしぼらなければならない状態だったと思いますが、「こんなものいるか。」というような内容のことを言ったのがわかりました。

それからしばらくして父は、ベッド脇に置いてあった椅子に移動しようとしました。ですが、体勢を変えようとした拍子に、はげしく呼吸困難におちいったため、わたしが両脇から体を支えるかたちになりました。この数ヶ月でかなり体重が落ちていたとはいえ、父はとても重く、わたし一人の力では支えきれずに、椅子のそばにしりもちをつく体勢になりました。これは父にとってかなりの重労働だったと思います。とても浅く短い息で、苦しい様子が全身から伝わってきました。ですがわたしは両腕で父の上半身を支えているため、呼吸器をつけてあげることもできません。かなり乱れている呼吸が整うのを、そのままの体勢で待っている時でした。

父は突然、とてつもなく長い深呼吸をしたのです。まるで朝つゆにぬれた高原の香りを胸いっぱいに吸いこむかのような、あるいは刷毛で真っすぐ天に向かって線を引くような、清浄というより他に言い表しようのない呼吸でした。そして次に息を吐いた時、戻ってきたのは父の肉体だけでした。それ以降、二度と父は息を吸い込むことはありませんでした。

わたしはぐったりと重さを増した父の体に向かって「お父さーん」と何度も叫びましたが、いよいよ「戻ってこないのだ」ということがわかり、最後の呼吸とともに抜け出た父の意識をさがし、しばらくの間、天井の方を見上げていました。呼吸というしごとをやめた父の身体は、その後、数日間のあいだに地球の重力へ、優しく引き取られていったようでした。


登と私
(写真:父とのスナップ 2013年7月)

死へ向かう「しごと」、祈りとしての「しごと」

冷戦時代の1961年、ロシアの原子力潜水艦で起きた放射能漏れ事故を描いたキャスリーン・ビグロー監督の『K-19』という映画があります。

冷却装置のひび割れからの炉心溶解を防ぐため、数人の乗組員が高濃度暴露をものともせず復旧作業を行うという凄惨な内容です。

また、ロベール・アンリコ監督の『愛する者の名において』では、ナチスによるユダヤ人迫害がいよいよ本格化してきたワルシャワのゲットーで母親と幼い兄弟をガス室に送られながら、地獄のような日常の中にあってなお、自己の青春を見出す青年の姿が描かれています。

そして『タイタニック』では、自分の命とひきかえにしても演奏をやめなかった音楽家たちがいます。

ロバート・ワイアットの『Shipbuilding』という曲では、1970年代のイギリスの造船業の街が題材になっています。不況の中、生活のために軍艦を作る造船業者たち。自分が生涯をかけてその腕を磨いてきた熟練工が、自分の作った軍艦に息子が乗って戦争に行くかもしれないことをうすうす感じながらも、家族を養うためには仕事にありつかなければならない。そのどうにも救いようのない状況が美しい旋律に乗せて語られます。(造船業というのはアスベスト職業ばく露の最も多い業種の一つです)

なぜ人は、自分が死の瀬戸際に立っていてさえ、仕事をし続けることが出来てしまうのでしょうか。人間の生とはなんだろう?死とは何のためにあるのだろう?

人は生まれてからこの世を去るまで、何らかの行為をし続ける存在です。ある一定の年齢になれば、その行為は「しごと」となります。

赤ちゃんは、この世へ生まれた瞬間から「呼吸」という生命活動をしはじめます。あらゆる生命活動は、最終的に人間を「死」へと送るものです。

「人間の行為はすべて、死へとつらなっている」そのように捉えることは、一見悲観的ではあります。しかし、その視点から日常を振り返ると、毎日のしごとや休息、毎回の食事や会話の一つ一つ、そして「呼吸すること」が、かけがえのないものに思えてきます。

人間の行為、それは死へ向かっていく、ということと同時に、途切れることなく続いていく「祈り」「しごと」でもあるのです。

クラウドファンド準備いろいろ

5月9日 幼稚園のしごとのあと実家へ。母と、父の中皮腫罹患時の当時の治療選択について話す。現在もっとも有効な方法はなんだろう。帰宅して桃公演のチラシとチケット作成などの制作作業。そののち引き続き中皮腫ブログ「ブーブーとダディ」を読む。

5月10日 人が引っ越してきて6畳一間に三人、家が狭くなって怒っている自分の夢を。滑稽な自分を感じて、心を整理して怒りのコントロールせねば。。。と思った。歩いたりできること、どこも痛くないこと、本当に幸せでありがたいことだなと思う。先月体調くずした経験からそう思ったり。

5月11日 明け方まで「ブーブーとダディ」読む。

5月12日 各方面にメール連絡。かなり時間かかるものもいくつか。

5月13日 藤野で打ち合わせ。途中からツッチー参加。滋賀県の石田三成PR動画おしえてもらう。うーんプロの仕事。三上さんの「判例ジャーナル」アスベスト国賠訴訟部分読む。

5月14日 やすえどんに国分寺まで乗せてもらう→ボシュロムのコンタクトレンズが知らないうちに値上がり。→尼崎労働者安全衛生センターに漫画『石の綿』を購入したい旨電話するも手元に2冊しかないとのこと。最新の資料を送ってくれるようお願いした。

5月15日 いろいろ仕事の空き時間に資料を読む。とりあえず読む。目とふくらはぎが同時に疲れる気がする。

5月16日 幼稚園でこどもと接した後、帰宅後すごく食欲が出て眠くなる。

5月17日 koomori.clubサイトオープン。

5月18日 目を酷使しているので目薬購入。整骨院で背骨も調整してもらう。パソコン作業も肉体的に重労働。

5月19日 自分のやったことが形を変えて自分に返ってくると、という内容を今日見た夢から受け取った。

5月20日 立川立飛ららぽーとに初めて行ってみた。照明家さんとのメールやりとり。感動的な内容。

5月21日 WS。こうだみやこさんに11月公演のリーディングのオファー。受けてくださる。こうださんは宇宙人みたいな雰囲気がある。

5月22日 クラウドファンドの原稿作り。重要な部分に手をつける。

5月23日 引き続き原稿作り。一番大変なところは越えた。

5月24日 笑顔で挨拶。これは大事。

5月25日 フォルトコース卒業公演1日目。

5月26日 フォルトコース卒業公演2日目。良い公演だった。

5月27日 小金井で宣伝映像の打ち合わせ。その後、アーツ千代田3331に行くのに道に迷い秋葉原から1時間かかってしまった。佐藤直樹さん個展イベント。

5月28日 明け方まで作業。

5月29日 ロージナ茶房で照明の小駒さん、映像とコンセプトアドバイザーの梨乃さんと打ち合わせ。やはりザイカレー人気のロージナ。

5月30日 刺される系の夢をみてうなされる。

5月31日 やすえさんの卒業祝いの夕食会。

6月1日 ものごとがスムーズに流れていくことの幸せをいつも排泄時に味わう。

6月2日 久しぶりに夕方まで家で過ごせた。夜は三鷹星のホールへオイリュトミー公演を観にいく。その後三鷹駅前のバーミヤンで打ち合わせ。

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三鷹の古い街並み

6月3日 どんな分野にもベテランがいることを知る出来事あり。本屋さんで。なんとなく天丼をお土産に実家へいったら大好評。

6月4日 ほうれん草を食べるとルテインという成分が目にいいらしい。

6月5日 仕事先近くの食堂でさっそくほうれん草食べる。寝不足で疲労感。

6月6日 寝不足のままやってはいけない仕事。それは子供と接する仕事であると実感。パワーに負けてしまう。3331へ再び。佐藤直樹さん個展での、首くくり栲象さんパフォーマンス。骨格、構造、触覚について考えさせられた。触覚は他者を存在させる感覚。石、縄、椅子などの無機物が生命を持ったような瞬間があった。マジカルな触覚体験。

6月7日 仕事のあとesou ceramicsさんと渋谷で打ち合わせ。

6月8日 整骨院で骨の模型見ながら説明受ける。夜はこうもりクラブ打ち合わせ。

6月9日 朝まで作業。仕事が進んだ分だけタスクが増えて行く。昼の仕事のあと集まって夜はこうもりクラブ稽古と打ち合わせ。この生活が10年くらい続けられていることに感謝。健康は得難い財産である。

6月10日 昼間、珍しく頭痛でぐったり。夜は母と打ち合わせ兼ねた夕食。企画原稿を読んでもらい意見を聞く。

6月11日 朝8時まで作業。昼まで寝て再び作業。夜はこうもりクラブ稽古。

帰宅後また朝まで作業する。

6月12日 各方面にさらなるオファーを出す。

6月13日 灰野敬二さんにオファーの連絡。

6月14日 11月公演「おしごとは呼吸すること」仮チラシ製作。

6月15日 各種方面とやりとり→稽古→打ち合わせ。

6月16日 蚊にさされまくって寝不足。稽古→打ち合わせの流れ

6月17日 小金井「くすの樹」で打ち合わせ→原稿直し

6月18日 父の日。歯が痛くなり顎下のリンパも腫れている。

6月19日 強い日差しにクラクラ。三鷹駅で奥山ばらばさんとすれ違う。目で挨拶。

6月20日 また蚊がいて明け方まで眠れず。ネット契約したWiFiが届く。

6月21日 各プロダクト製作、翻訳の件で各方面とやりとり。仕事がはかどった日。

6月22日 なんだか疲れやすく、肉を食べないせいかなと思い、ちょっと食べてみたがしばらく食べないうちに味が苦手になっている。一番の原因は寝不足だろう。

6月23日 歯の痛みとリンパの腫れおさまる。でも歯医者さんには行った方が良さそうだ。昼、大阪へ移動。JR尼崎駅で中皮腫・アスベスト疾患 患者と家族の会の飯田浩さんとお会いする。中之島のホテルNBC泊。

6月24日 「アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎集会」へ参加。中皮腫治療の現在など興味深い講演多数。詳しくは後日レポートする予定。

6月25日 夜稽古など。

6月26日 午前中、こうだみやこさん、夜、灰野敬二さんと打ち合わせ。

6月27日 ここのところ火曜日は仕事を掛け持ちにしているのでいそがしい。使う場所が違うのでなんとかなる。そう思っているのは自分だけで多分ご迷惑をおかけしている。

6月28日 人は毎日何十万人もが死に何十万人も生まれていることをふと思う。

6月29日 こうもりクラブ稽古。良い稽古だった。

アスベスト関連資料

5月4日

アスベスト関連の資料にあたる。

これらは2012年に父が悪性胸膜中皮腫にかかった時に家族で集めたもので、分厚いファイルにまとめてある。

今年は11月にオイリュトミー公演を企画しているのだか、その内容の根底部分に関わってくるため、

2014年に父が亡くなってからなかなか手に取れずにいたが、今回やっと読み返すことができた。

あれから3年経って悪性中皮腫の治療方法は進歩しているのだろうか。

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こちらは「中皮腫・アスベスト疾患 患者と家族の会」に資料を請求したところ、最新の会報とともに送ってくださった新書『アスベスト 広がる被害 大島秀利著 知りたいことがコンパクトに収まっていてとてもありがたかった。