熊本の人のために祈りはじめると最終的には自分が癒されている
人のために何か行為することは そのことが自分に必要だからするのだと思う
そういう意味では結局じぶんのことになる
思い浮かべたイメージ、思考内容はじぶんのうちで生き物として立ち上がってきて、じぶんじしんに確実に作用をおよぼす
そのとき距離が消えて現在しかない
祈ることにやりかたなんてないし、本当にやりかたはどんなでもいい
ただやってみないとわからない
やってみて なにが出てくるかもわからない
人は本当にふかいところでは利己的であるということはありえない
自己が同時に他者でもあるところでは
表層の議論にまどわされて人を批判の気持ちで見ないこと
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投稿者: izumi noguchi
野口泉
オイリュトミスト
武蔵野美術大学映像学科卒。
2002年より舞踏家笠井叡に師事、オイリュトミーを学ぶ。オイリュトミーシューレ天使館第三期及び舞台活動専門クラスを経て、愛知万博「UZUME」(2005)「高橋悠治演奏「フーガの技法とオイリュトミー」(2008、2010)、「ハヤサスラヒメ」(2012)、「蝶たちのコロナ」(2013、2014)、「毒と劔」(2015) など様々な公演に出演。放射能からいのちを守る山梨ネットワークいのち・むすびばとの共同公演「アシタノクニ」や、仙台・月のピトゥリとの人形劇(正確には”にんぎゃうじゃうるり”)「きつねおくさまの!ごけっこん」(2014)、シュタイナー農法研究会(「種まきカレンダーを読み解く」2014)などを開催。近年はシュタイナー系の幼稚園で幼児教育に関わる。また各地でオイリュトミーワークショップを行う。オイリュトミーに関わるイベントを企画する「レムニスカート」を主宰。 izumi noguchi のすべての投稿を表示